秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

(その5&終 月山富田城跡・和鋼博物館)北陸・山陰紀行

2019年07月14日 13時40分45秒 | 旅行

5月20日 、前日に引き続き、朝からお昼過ぎまで足立美術館。

それから、徒歩で飯梨川の太平寺橋を渡り(このすぐそばに宿の「夢ランド しらさぎ」があります)、西に向かって右折し、土手の上を行きますと、約1時間で月山の麓にある安来市立歴史資料館に着きます。
15世紀から16世紀末の戦国時代、月山富田城跡は尼子家の居城で、1566年、尼子家と毛利家の存亡をかけた戦いで、尼子義久は毛利元就の軍門に帰し落城しました。その後も、尼子家再興のために一生を捧げ「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」との言葉で有名な山中鹿介幸盛ゆかりの地でもあります。

  花々を励みに峻険城跡へ

 月山は標高が256メートル、歩行距離は3キロとのことでしたので、2時間もあれば往って帰ってこれるだろうと少し高をくくっていましたが、先の資料館の方が、「3時間は見ていた方がいいですよ、杖も外に用意してありますからお使いください」とのこと。登り始めてみれば、ご説明の通り山道の勾配は急で、杖に助けられました。難攻不落のお城と言われている所以にも体で納得。

喘ぎあえぎ登っていた時に出逢ったのが写真のお花、タンポポです。レンズの先で話しかけ、励ましてくれるような気がしました。

下の写真は安来市立歴史資料館にあるジオラマです。お城への道の峻嶮さが一目で分かりますが、これを見た時点では実感できていませんでした。

 

 がんばれと雲雀におされ城跡へ 

 遠くに城跡とおぼしき景が見えはじめるところまで登ってきた時、出逢ったのがこのお花です。どんよりした曇り日で、登っているのは私だけの、ちょっと心的には不安な状況。この彩りの薊(アザミ)は初めてで、棘状の厳しさの中にある紫色の彩りの優雅さに惹きつけられました。雲の彼方からは、姿は見えねどハイピッチで元気な雲雀の囀りが聞こえてきます。 

登り来る薫風難攻城の跡

 今から500年から450年前、この峻嶮な山肌で、下からはよじ登り、上からは蹴落とそうとする人間の血みどろの死闘が長い年月にわたって繰り広げられました。今、その場で、人間の業にやるせなさを感じつつ、新緑におおわれたこの急な斜面を登り来る薫風につつまれています。

新緑の城跡遠く興亡史 

月山富田城の本丸跡です。古戦場跡を訪ねる度に、遺跡が少なければ少ないほど、そこでの歴史に想いがつのります。人間の性(さが)をうら悲しく思い、しかし、その性に起因する長い長い人間の業の積み重ねのごくごく微小な一つとして、今の自分と自分の生活がある。歴史に謙虚に、今あるをありがたく、合掌・・・。

 

城攻めの行く手横切る蟻の列

 下山途中でこの光景に出逢いました。

上掲句を読まれた俳句仲間の福良好さんが以下の素晴らしいコメントを寄せてくれました。「 人が戦に明け暮れている時でも動物の世界では日々の営みを何世代も続けている。きっと、死線に向かう戦士達も蟻の列を見てそう思ったに違いないと思う句です。」

この福良好さんのコメントへの私の返信です。「福良好さん,こんばんは!深い読みですね~! そこまでは思いませんでした。でも、解説されてみれば、納得です。小生は自然の営みの不思議さの一光景に出会った喜びと、偶々城跡での蟻行列との出会いでしたので、お城の熾烈な攻防戦とが重ねて思い起こされた次第です。戦士の心境までには思い至りませんでした。ありがとうございます。秀山拝」

 

 宿入りを待ちて雨ふる初夏の旅 

 月山富山城跡には、歴史を想い、575の言葉をひろい、写真を撮りながら、3時間近くいました。重い足を引きずりながらの帰路、15時頃、神宮橋で出逢った野の花畑です。菜の花畑と同じくらいタンポポのお花畑が好きです。ここから宿まで徒歩で30分の道のり。空はどんよりしていて、雨に降られたらやだな~、と思いながらトボトボと歩いていましたが、宿の軒をくぐりかけた時、雨が降り始めました。ありがたいことに、今回の旅も、お天気ではラッキー続きです。

興亡史ありてし今が 冷一本 

今日は朝早くから夕刻まで、長く、中身の濃い一日でした。足立美術館では、大自然の中での優雅・繊細な枯山水と、心安らぐ日本画の数々。月山富山城跡では、峻嶮で難攻不落の城跡での人の性・業・歴史への想い巡らし。宿に着いたら雨、の幸運。露天風呂に直行し、湯面(ゆおもて)に雨の織り成すリズミカルな自然の芸術を鑑賞しながら、一日を振り返りました。疲れも心地よくほぐれていく感じです。

湯上りの夕餉。今、在ることに感謝し、冷や酒で乾杯。 

明日はいよいよ帰京。明朝は宿から足立美術館まで徒歩20分、持ち運びには便利とはいえサイレントギターがありますので、この間に雨が振らなければ助かるのだが、と思いつつ就寝・・・

 

宿を出る朝にはあがる初夏の雨 

朝の日にはえる新緑 露天の湯

翌朝、嬉しかったですね~、しかも、青空が見えます。露天風呂のいい写真が撮れそうと思い、他のお客さんが来られる前の早い時間に行って撮った写真です。青空、白い雲、朝日を浴びる緑と深紅の若葉、そこにポツンと灯籠、 湯に居るは我一人・・・ 

雨あがりぬ ビール注文宿の朝

朝食では家でも旅先でもお酒は飲まないのですが、心配していた雨が上がったこの日の朝は、何となく気分がビールを注文していました。鍋はドジョウではなく、Ham & Egg sunny side up 。

 

美と歴史学び晴ればれ初夏の旅

              飯梨川より足立美術館を望みて

          飯梨川より月山富田城跡を望みて
               最奥の山並みに木々が点々としている処が城跡 

この地では美術館と古戦場跡を訪れることができ、充実した二日間を過ごすことができました。また、良い友人を持つことのありがたさの一つを改めて知ったところでもあります。友は自分一人だけの世界を広げてくれます。 

今回の旅を計画する時には、月山富山城跡の存在を知りませんでした。それが足立美術館の近くにがあることを教えてくれたのは高校の後輩。早速インターネット地図で調べてみれば、泊る宿が城跡と美術館のほぼ中間点で、しかも歩ける距離であることが分かりました。今回の旅の一日目、金沢・やました旅館で大学の友人に月山富山城跡を行く予定と話しましたら、一人が尼子家と毛利家の攻防史をとうとうと語ってくれました。私の月山と城跡への想いは膨らみました。

今回の旅の最後の訪問地となる「和幸博物館」の存在も、高校の後輩が教えてくれました。安来駅から徒歩15分のところにあります。

5月21日朝、宿から歩いて足立美術館に向かい、そこで安来駅行の始発シャトル0920発に乗りました。0940に安来駅着、そこから少し歩きますと漁港があり、海に沿ってのどかな風景を楽しみながら和鋼博物館に向かいます。

 

 魂をこめ神やどる日本刀 

和鋼博物館には10時から3時間ほどいました。この間、静かな感動の連続でした。出会った事実が大きく、私の句力では季語を入れることができず、初めて知った事実の感動をただ報告する575となりました。館内撮影禁止でしたので、写真は館の方が撮ってくれたこの一枚のみです。

私は小さい時に剣道を少々習っていまして、日本刀を両手で押し頂いて持ったことはありますが、この写真のように柄だけをもって構えたのは初めてです。ずしりとくる剣の重さに驚きました。この剣を振り回し、しかもこれで人を切るということは大変な力と技がいるのだろうな、と思いました。

何の予備知識もないままに和鋼博物館に入りましたが、そこでの充実したビデオ案内と館員の懇切丁寧な説明で、日本刀の原材料である玉鋼(たまはがね)が戦後40年を経て払底し、日本刀を作れなくなる危機があったことを初めて知りました。日本刀の特性は「折れず、曲がらず、よく切れる」というもので、この「硬にして柔」という相反する物の質を昇華・統合するのが、玉鋼と刀をつくる匠の技だそうです。そして、日本刀は美しい芸術品です。この日本刀が作れなくなる・・・

日本刀制作過程での厳しい鍛錬に耐え得る純度の高い玉鋼は、古代から伝承された人力と技術による「たたら吹き」製法でしか作れないとのことです。現代の先端技術を駆使して作られた玉鋼に類似した鋼は、刀への鍛錬の途中で折れてしまったり、この鋼で作られた刀は炭素量が足りずに脆い仕上がりになってしまったそうです。人手による古代製法はコスト効率が悪く、玉鋼の生産は縮小し、古代からの伝承技術を会得した匠の後継者もいない、という日本刀制作の危機に直面したのです。そこで、1977年、日本美術刀剣保存協会が、文化庁の後援と ㈱日立金属安来製作所の人的・技術的支援を得て、かつての「靖国たたら」の跡地(島根県仁多郡奥出雲町)に「日刀保たたら」を建設しました。世界で「たたら吹き」製法が残されているのはここだけとのことです。「日刀保たたら」が、刀匠に玉鋼を安定供給すると同時に、「たたら吹き」による玉鋼の製造と伝統技術の伝承、技術者の養成を担っているのです。

和鋼博物館は、 ㈱日立金属安来製作所の前身が開館・運営していた「和鋼記念館」が1993年に安来市に移管されたものです。現在も、実質的には、日立金属安来製作所の人的・資金的支援の下に運営されているようです。

私は、一民間企業である㈱日立金属安来製作所が、日本の誇るべき日本刀文化・芸術を支えるその志に感銘しました。

足立美術館の足立全康さん、そして、㈱日立金属安来製作所、偉いと思います。

経済のグローバル化と、Information Technologyの人間社会へのますますの浸透により、日本も世界の例にもれず、社会における格差が拡大しています。物質的な豊かさでなく、心の豊かさを感じられる場を提供してくれるお金持ちや会社がどんどん出てきてくれると、現代の索漠とした人の心にも潤いがもたらされる、その一助になるのではないか、と思いました。現在の文化財は過去の富の偏在の産物とも言い得、そこに矛盾を感じはしますが、これが事実のようです。現代の厳しい生存競争の勝者も、人の未来のため、これまでの文化財の保存、そしてこれからの文化創造者への支援に、その富を使ってほしいと思いました。1987年から89年の間、ニューヨークに滞在していましたが、その間、大富豪や世界的大企業の資金援助で運営されている美術館などの文化施設を巡り、あの競争社会そのものの索漠としたニューヨーク生活で、心を癒されたことを思い出します。

  

たたら吹き伝承讃歌  

    たたら吹き:古代からの製鉄法
    玉鋼   :たまはがね

魂をこめ神やどる日本刀

智慧手間の凝縮強き日本刀

 

たたら吹きでしかつくれぬ玉鋼
玉鋼なければできぬ日本刀

たたら吹き残るは世界で安来のみ
機械化の未だにできぬたたら吹き
古代から技引き継がれたたら吹き

たたら吹きの保存努力に敬服す
  ㈱日立金属安来製作所

 

 

 

 のどけきや山陰山陽列車旅

 山陰を後に夕暮れ初夏の旅

 山陰より代田にのびる夕日かな 

                  帰路の車窓(岡山―東京間)

和鋼博物館で太古と今の日本の文化と人に思いを巡らし、いよいよ山陰ともお別れの時が来ました。                  

安木発13:17 特急やくも18号・岡山行 15:39岡山着
岡山発16:23 ひかり478号・東京行   20:40東京着

七十路の私はジパング割引ですので3時間半の「のぞみ」利用が不可。ひかりでは4時間半ですが、急ぐ旅でないので苦にもなりません。新幹線は、車窓の景色はせわしないのですが、車体の揺れは特急より少なく、快適です。ビールを飲みつつ、旅を振り返り、句作に時を過ごしながら東京着。ちなみに、この日東京は雨が降っていましたが、私が南砂町駅からタクシーに乗った時は上がっていました、と運転手さんが言われていました。天に感謝です。

これで、北陸・山陰紀行は終わりです。

次は、湯西川温泉・平家の里紀行にとりかかろうかな、と思っています。

 

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(その4 足立美術館)北陸・山陰紀行句

2019年07月11日 18時32分57秒 | 旅行

5月19日、鳥取最後の日は朝の5時起きして河原風呂。名残惜しみながら宿に戻り、簡にして清楚な美味しい朝食。ギターを弾きながら一服し、宿の車で倉吉駅へ・・・。

倉吉駅から島根県・安来駅までは米子乗り換えで約1時間半、12:25に着きました。そこから足立美術館の無料シャトルバスで20分、美術館へ。

宿泊は美術館から徒歩15分の「さぎの湯温泉 夢ランド しらさぎ」。65歳以上限定の「足立美術館チケット付き」プランで2泊。2泊のメリットは、二日目に美術館の開館8時半と同時に入館できることです。

なぜか? 安来に着いた一日目は、午後2時から5時半まで美術館で庭園と館内の芸術品をじっくりと鑑賞しましたが、館内はかなり混んでいました。安来駅からの始発バスの美術館到着は9時10分。団体の観光バスは9時半頃以降に続々と到着と聞きましたので、翌日は開館の8時半前に行きましたら、待つは私のみ。開館と同時に入館、先ずは写真撮影が許可されている庭園に行き、人影のない庭の写真を思う存分、心ゆくまで撮ることができました。

 新緑のせせらぎ聴こゆ枯山水  

 静寂の中で、時を忘れて佇んでいました・・・

 新緑の風ゆきわたる枯山水 

 変幻する雲、山と山並み、彩り豊かな緑の草と木々、渓谷、ゆく川の流れ・・・、庵の佇まい

 

この景の前で、つくづく思いました。

執念に感謝薫風全康氏

低い山並みと田圃以外に何も無い風景にぽつんと美術館が一つ

創設者の足立全康氏は、横山大観に惹かれ、事業で成功するや、私財をかけて大観の作品蒐集のみならず、大観の山水画を日本庭園で再現すべく、借景となる山の一部も保有するというスケールの大きさ。ありがたいことです。  

 

滝はるかしづかにちかき枯山水

 山の奥深くにある滝から、水は深い渓谷を山女、岩魚たちを育みながら激しくくだり、今や豊かな緑の中を、舞うがごとく静かに曲がり流れくる・・・

 

薫る仏間窓越し枯山水

薄暗い仏間の窓に縁どられて、日の光をいっぱいうけた枯山水がくっきりと見えます。薄暗闇の仏壇と一幅の明るい枯山水という不思議な二つの世界を、「草木国土悉皆成仏」という言葉を思い浮かべながら、しばし眺めていました。

 

風かをる庵で一服枯山水

 一人静かに、煎茶道よろしく、湯冷ましで湯の熱さ加減をみ、急須にそそぎ、小さな煎茶茶碗で、先ず一煎、 ついで二煎目、三煎目・・・、

風かをるヴイオロンつむぐ絆かな
                      女と猫とヴィオロン弾き  富田憲二 1970年作

日本庭園に面したこの軒下に、なぜこの作品が展示されているのか?
目には見えない何かが、この三者の間に流れているような静かな時空・・・

 

新緑も侘寂深山の一軒家

 目に緑 耳にせせらぎ 風の音 庵に自然の 気の染み満つる

 

日本画は写真が撮れませんでしたが、素晴らしい作品が多々ありました。 

俳味ある日本画初夏の風わたる

日本画は心やすまる初夏のひと時

  と、今回初めて感じました

一幅の絵に小一時間初夏の風

  山元春挙の「瑞祥」

 

泥鰌鍋安来に来たと実感す

骨が気にならぬ安来の泥鰌鍋

 

足立美術館で日本の美を堪能した後、安来と聞けばドジョウ掬い。宿の夕食には早速ドジョウ鍋が出てきました。もうだいぶ前になりますが、東京でもドジョウ料理で有名なお店で食べたことがあります。骨が口に残るという記憶。そのつもりで口に運びましたが、骨が全く気になりませんでした。地酒の金鳳・冷や酒によう合いました。

 

その4(足立美術館)終わり

次は今回の紀行の最後、月山富田城跡と和鋼博物館です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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(その3 三徳山・三佛寺・投入堂)北陸・山陰紀行

2019年07月08日 23時02分12秒 | 旅行

これからいよいよ投入堂(なげいれどう)への参拝登山です。先達は木屋旅館の若旦那・御舩利洋さん。朝九時過ぎに宿を出まして車で15分。そこから修験道。先達さんから修験道に入る心構えを一通り教えられて登山開始。

店の昼餉は朝摘み初夏山菜

写真は、三徳山登山口ある食堂「谷川天狗堂」の方が、今日の昼メニュー用の山菜を綺麗に仕分けしているところです。山菜はミズでしょうか? この時、帰路のお昼の予約をしました。

巡りめく新緑煩悩大念珠

登山口までの参道にある輪光院。
大自然、新緑は太古より太陽一巡ごとに一回、人の煩悩は知恵を得てからこの方数限りなく、巡りめく・・・
この「百八煩悩転生大念珠」を念じながら回すと厄除け開運となる由。
触らずに合掌して通り過ぎました。

修験への道新緑につつまれて

三佛寺本堂への階段です。峻嶮と言われている修験の道が間近だと思うと、気は引き締まる一方、わが身は新緑に溶けいる心地です。

風薫る行者はかくも優しきや

本堂からしばし行くと宿入橋(しくいりばし)があります。この橋を渡ると聖なる修験の地に入ったことになるとのこと。道がだんだん険しくなり、先達さんの「六根清浄」に唱和しながら登ります。するとこの像に出会いました。役行者(えんのぎょじゃ)、または役小角(えんのおづの)。役行者の存在は言葉でしか知らず、厳しく近寄りがたきお方と思っていましたが、この優しさ・・・。悟りの境地の一表現なのでしょうか・・・。
伝説では、役行者が、蓮の花びらを「神仏にゆかりのあるところへおとされたし」と念じて空に投げた所、石鎚山(愛媛)・吉野山(奈良)と三徳山(鳥取)に舞い降り、それらの山に修験道の行場を開いた、とのことです。

新緑や六根清浄修験道

修験の道はかなり険しく、息が切れて「六根清浄」を唱えるのも苦しくなり、「投入堂まであとどのくらいあるか分からないけど、行けるかな~」と不安になったことが一、二度ありました。救いは、タイムリーな先達さんの優しい励ましと、新緑です。

新緑や堂断崖に置かれてをり

投入堂の手前にある三徳山文殊堂。投入堂も文殊堂も、古代からの日本の伝統工法により「置かれている」からこそ、これまでの大地震にも柔軟に耐えてこられたとのことです。

 

踏みはづせば奈落新緑修験道

 もうすぐ投入堂です。この伝い道、昔は、一人がやっと通れるほどの道を、六根清浄を念じ、絶壁に身を沿わせながら身命を賭してお堂をめざしたにちがいない・・・

 

道峻険堂新緑の絶壁に

信仰の力新緑投入堂

三徳山三佛寺の投入堂(なげいれどう)縁起には以下のように書かれています。「役行者が三徳山を訪れた時、その山のふもとでお堂をつくりました。役行者は法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、大きな掛け声と共に断崖絶壁にある岩窟に投入れたと言われています。このことから『投入堂』と呼ばれるようになりました。」写真の右側のお堂は「不動堂」で、下の小さな写真は不動堂の屋根の鬼瓦(木製か?)を拡大したもので、菊の御紋がありありました。

この記事を書いた後で、 木屋旅館の若旦那・御舩先達さんにfacebook messageで、「鬼瓦のように見えますが、木製ですか?また菊の御紋がありますが、三佛寺と皇室とはどのような関係なのでしょうか」と質問したところ、ご親切にもいろいろと調べていただき、以下のような回答をいただきましたので、ここに記します。御舩さんとは宿と参拝登山とのご縁しかありませんのに、この縁に感謝です。御舩さん、ありがとうございます<m(__)m>

「不動堂には鬼瓦はございません。あれは木製です。瓦は修験道の中の全ての神社には一切瓦は使用されておりません。また、全て木製の建物です。投入堂は『懸造』という造り方の建物です。屋根はヒノキの皮を重ねた檜葺きです。その檜葺の屋根に鬼の彫刻がされた『鬼板』が装飾されています。皇室との関係についてですが、 平安時代中期に活躍した円融天皇の妻である藤原遵子(ふじわらのじゅんし)が子宝祈願で三徳山に鏡を奉納してから繋がりがあります。結局じゅんしは生涯世継ぎを産むことなく生涯を終えたのですが、奉納した鸚鵡文銅鏡は世界に3つしかない貴重な鏡として、その一つが三徳山で今でも大切に保管されています。菊の御紋があしらわれた建物との関係は、今のところ分かっておりません。」

 

こんなところに、よう建てたものだ、とただ感心するばかりです。

 

 積善に摩耗石段風薫る

 このように摩耗した石段を見るのは初めてです。古代より途切れることのない投入堂参拝登山。人の信仰心の深さの一歩一歩、人の善の一つ一つの積み重ねを象徴する景のように思えました。

新緑や輪廻転生石段も

 人の参拝登山で摩耗、崩れては、その隣に新たな石段をつくる人々の永々と続く素朴な営み。

投入堂の参拝終ふや桐の花 

 投入堂参拝登山という長年の夢が七十路にしてかないました。修験の地から俗人の地に帰り、喜び、ほっとしてかの谷川天狗堂への階段を降りようとした時、視界に飛び込んできたのがこの花です。往きに通った道ですが、その時は気が付きませんでした。そして、初めて見る花で、先達・御舩さんが花の名前を教えてくれました、桐の花・・・。忘れられない人生の一コマとなるような気がします。

 

店の昼餉は朝摘み初夏山菜

 参拝登山を無事終えた後のこの山菜天ぷらとお蕎麦は格別でした。

    三徳山登山口 谷川天狗堂

 

その3(三徳山・三佛寺・投入堂)終わり

次は、島根県に入りまして、足立美術館、月山富田城跡、和鋼博物館です

 

 

 

 

 


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(その2 三朝温泉)北陸・山陰紀行

2019年07月05日 16時04分55秒 | 旅行

湯三昧初夏の山陰一人旅

 旅の三日目は朝六時四十五分のサンダーバードに乗り、一路山陰へ。実は、ゴルフ会が金沢と決まった時、ついでに念願の鳥取県・投入堂に行こうと決めていました。というのも、金沢からは日本海に沿って電車で行けばそんなに時間はかからないだろうと思ったからです。ところが、JRみどりの窓口に行って驚き。鳥取に行くには一旦大阪まで下りて瀬戸内に沿い、岡山から上がって日本海に向かうとのこと。Everyday is Sunday の身なので、これもまたよし、とそんなには落胆しませんでした。で、ルートは; 

金沢06:45発 JR特急サンダーバード6号 09:22着 大阪 09:25発 JR特急スーパーはくと3号 12:30着 倉吉 

特急はのどか新緑山陰へ

ですが、特急の揺れは意外に激しく、乗り心地は新幹線の方がいいかな、と思いました。

倉吉駅には、木屋旅館のご主人が車で迎えに来てくれました。ここで、お一人で三徳山三佛寺投入堂に参拝登山されようと考えておられる方にアドバイス;

どうせ泊るならお寺の宿坊が良かろうと思い、三佛寺の宿坊に電話して部屋の予約を取ろうとしましたら、「一人での投入堂参拝登山は禁止されています。木屋旅館さんには一人でも参加できる参拝登山ツアーがありますよ」と案内してくれました。それで木屋旅館に二泊した次第。もう一つのアドバイス、このツアー参加には年齢制限がありまして、原則75歳以上は不可。なんとなれば、医学的に75歳が山登りのための体力の限界というのが世界的に認められているとのことでした。私は七十路、危うくセーフ。翌日、実際に参拝登山しましたら、この二つの条件、十分に納得しました。

宿でリュックとギター(silent guitarで持ち運びに便利です)をあずけて早速、町を散策。

ヴィオロンの館三朝に竹の秋

 

ヴァイオリン専門の美術館があることを、ここで初めて知りました。清楚な美術館で、ヴァイオリン制作の各工程が実物で展示されています。二階にはかわゆいコンサートホールがあります。いい響きなんだろうな、と思いを巡らしました。館の左側には工房があり、若い方々が静かに、はつらつと制作されています。まわりには建物もなく、静かで豊かな自然の中で、文化の薫りにしばしひたることができました。

 

人気なき三朝湯の町初夏の昼

 

ひなびてものどか湯の町八百年

小さい時に見たようなレトロな光景で、心が和みます。

 

 風薫る古き湯宿の落ち着きぬ

 木屋旅館は創業明治元年。木造三階建で、全館が国指定登録有形文化財認定、古き良き雰囲気が守られています。湯治宿であったようで、湯屋も時代を感じさせてくれます。誰もが入れる湯屋の内、二つは、一人でも先に入れば、鍵をかけて何時間でも使えるとのこと。三時間でも湯屋に居られる長湯の私は大喜び。が、ラドン湯の温まりようは半端でなく、小一時間も居れませんでした。湯を出た後も汗は止まらず。でも、この宿は、何回でも新しい浴衣を出してくれます。

地下牢か老舗ラドン湯ひとり占め

 鍵をかけて一人で降りていきます。初めは正直、ビビりました。木の湯舟も相当年代物で、床は自然石で湯が湧いてきます。しかしながら、良質の湯で、しばらくすると、なんとも言えない居心地となりました。

湯治宿汗のとまらぬラドン泉

 

この湯屋も独りでゆっくりと入りました。写真右奥のラドン湯の飲み場があります。

肝に良し信じラドン湯飲みにけり

 源泉のランド湯で、柄杓で掬ってうっかり手にかけてしまいました。説明はされましたが失念、70度。水道水を流し続けて危うく難を逃れました。「鰯の頭も信心から」で、コップに入れ、肝と胃の腑のあたりを撫でつつ、飲みました。お蔭さまで、旅行中、正露丸、キャベジンのお世話にはなりませんでした、いつものことではありますが・・・。

食は簡ビールは美味し湯治宿

 男一人旅にはこのお料理で十分。先ずはビールで乾杯。そのあと、一日を振り返り、句作りに苦しみつつ冷やに進む。ほろ酔い加減でギターをつま弾き、夜風に触れたく、宿をでる。

 

河鹿なく三朝橋より星月夜

夜に鳥なくかや河鹿美しく

 河鹿の鳴き声は初めて聴きました。美しい・・・。

 

一夜明け、人の通りもないであろう早朝に、生まれて初めての河原風呂に行きました。

長生きの町新緑に河原風呂 

 手前が足湯、衝立の向こう側に混浴ラドン湯があります。二回入りましたが、女性との遭遇はゼロ。地元の方々が湯道具持参で入られていました。家のお風呂と同じようで、大自然の中での日々の入浴。羨ましく思いました。

薫風を顔に河原の露天風呂

 

 せせらぎにまじり河鹿や河原の湯

 

三徳山ながめ新緑河原風呂

写真中央奥にある山が、三佛寺・投入堂のある三徳山(みとくさん)です。

 

 

その2(三朝温泉) おわり

次は、いよいよ三徳山・三佛寺・投入堂への参拝登山です 

 

 

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(その1 東京・金沢)北陸・山陰紀行

2019年07月02日 23時05分13秒 | 旅行

2019年5月15日から21日に、金沢、三朝温泉、三徳山三佛寺投入堂、足立美術館、月山富田城跡、安来駅近くの和鋼博物館を旅してきました。金沢にはこれまで、度々訪れていましたが、その他は初めての地。いずれも、いつかは訪ねてみたいと思っていたところで、期待にたがわず、食と温泉、美と歴史・文化を満喫できました。


鴨そばで雅な加賀へ初夏の旅


東京駅発の旅の時は、朝の7時頃に駅構内のすし好で朝食。今回は1時間遅かったので結構混んでいました。で、隣のそば屋さん。加賀は小京都、ちなんで鴨そば、にしました。

金沢に近づいてきますと、黒瓦屋根が目につき始め、加賀に来たな~、といつも思います。

黒瓦に初夏の陽加賀に 来たりけり

 

 

金沢の昼餉は雅 風薫る



昼餉は大学時代の友人三人と金沢駅からタクシーで20分ほどの「茶寮 卯辰かなざわ」。
卯辰山から金沢の新緑を愛でつつ、雅なお弁当を楽しみました。

「卯辰かなざわ」からは金沢奥座敷へ。タクシーで30分ほどですが、緑と静けさにつつまれています。

恋多き夢二の湯宿竹の秋


泊りし宿は「湯涌温泉 お宿 やました」。歴代加賀藩主の湯治湯で、大正時代は夢二が恋人彦乃と逗留した宿との由緒あるお宿です。時代を感じさせる室内には夢二の絵が多く展示されており、ゆっくりと鑑賞できます。

竹の秋古風湯宿に癒やされて
 
 
殿様と夢二と初夏の夕餉かな


この後、日本酒に進みましたが、浴衣、日本酒、由緒宿、と金沢奥座敷の舞台仕掛けのお蔭で、歴史と文化を偲び、一転、明日のゴルフ、と話は時空を駆け巡りました。

夢二の絵かさなるムンク竹の秋
ものかなし夢二女人画竹の秋



宿の斜め向かいに「金沢湯涌夢二館」があります。夢二の絵をたくさん観るにつけ、夢二という人は複雑な人なんだろうな、と思うと共に、自分が知っている数少ないムンクの絵数点を重ねて観ていました。

「茶寮 卯辰かなざわ」と「お宿 やました」で、小京都・金沢の食・文化・温泉を堪能したよく日は、金沢ゴルフクラブ。七十代の四人は、新緑の金沢奥座敷・丘陵コースを、気は半世紀前の若さに戻りながら楽しいひと時を過ごしました。
夕刻、二人は金沢駅からそれぞれ神戸と東京への帰路に。私ともう一人の友人は、近江町市場に向かいました。「鮨処 源平」で美味な鮨を食べ終え、友人は能代空港に向かい、東京へ。
ここから私の一人旅の始まりです。その夜は、以前に地元の友人と行ったスナックで、見ず知らずの地元の方と語らい、駅前のホテルで一泊。

(その1 東京・金沢)終わり。
次は、三朝温泉です。

追記:
この記事は、私にとりまして初めてのブログ記事です。高校後輩のH女史に強く勧められ、且つ技術上のご助言を得てようやく作り上げることができました。
ここに感謝の意を表します

コメント (2)
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