秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

2019年8月 富賀岡八幡宮祭

2019年08月28日 22時51分36秒 | 日記

下町の絆あらたに大神輿

8月25日催行の富賀岡八幡宮のお祭り。深川の富岡八幡宮ではありません。江東区南砂にあり由緒ある神社で、深川の富岡八幡の元宮という説もあり、元八幡宮と俗称されています。このお神輿は大きく立派で、担ぎ応えがありました。

お祭りの準備は、氏子の町内会挙げて1年かけて行われます。お祭り当日も、各町内会の人が町の角々で担ぎ手への御接待をされます。このような準備と当日のおもてなし、そして後片付けを町内会の人々が行う過程で、この町の人々の絆が維持され、次世代に引き継がれていくのだと、お祭りのたびに思います。自治はその住民のボランティア精神に支えられている、そう思います。祭に関わられておられる方々に感謝です。

大神輿腰にズシリと重みかな

朝から夕刻までお神輿とお付き合いしていましたが、腰を伸ばすために夜、2時間ほど泳ぎとストレッチをしました。が、翌朝、やはり腰に来ていました。明日、ゴルフがありますので、大事をとって今夕、マッサージ・・・。お蔭さまで、27日のゴルフも調子よく、28日現在、腰に特段の痛みもありません。

大神輿しめ縄軋むリズムかな

しめ縄のところで担いでいますと、キュッ、キュッと軋む音が心地よくリズミカルでした。お神輿を見上げながら、その造作の匠技に感心。本当にお社が宙に浮いて移動していく感じです。この写真は、お社、しめ縄、そして丸太の三者の関係を急に撮りたくなり、担ぎながらスマホを胸元から取り出し撮りました。

大神輿肩に優しき丸太かな

恥ずかしながら、陶法睦の会の仲間が撮ってくれた写真です。肩の痛さは角棒とはえらい違いです。とはいえ、肩に食い込みますが・・・。我が年代(70代)の担ぎ手は少なからずおられ、楽しんでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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富岡八幡での小学生和太鼓演奏 

2019年08月12日 22時56分18秒 | 日記
頼もしや小学和太鼓夏祭
 
深富岡八幡で、昨日(8月11日)はお神輿を担ぎましたが、今日は境内演奏会「第24回 富岡八幡宮太鼓の宴 神々への響き」に行ってきました。15時から21時まで15団体の和太鼓演奏が延々と続くとのこと。私は最初の二つの小学校と一つの中学校の和太鼓クラブと大人の最初の和太鼓クラブの演奏を聴いて帰りました。
炎天下の演奏でしたが、大勢の観客・応援団が見守る中、立派に演奏されていました。
日本の伝統芸の和太鼓を小学生、中学生が立派に演奏されていることに感銘しました。音の強弱と切れ、テンポ、リズムは、さすがに大人の演奏には及びませんでしたが、それでもハイレベルの演奏で聴衆からの大喝采を浴びていました。
私にとって、和太鼓はやりたくてやり残していることの一つで、うずうずであります。
 

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富岡八幡 水掛け祭り

2019年08月11日 21時21分13秒 | 日記

水を掛けかけられもえる神輿かな

今日は8月11日の日曜日。地元のお神輿の会「陶法睦」の方々と富岡八幡宮令和元年例祭に行ってきました。

今年は蔭祭で、門前仲町一丁目のお神輿を担がさせていただきました。猛暑日で熱中症を懸念していましたが、水を掛ける人の熱意のお蔭で、ずぶ濡れになりながら一同無事担ぎ終えました。「水掛け」は場所によっては半端でなく、水しか見えない時もありました。担ぎながら、青空の中のお神輿の造りに見とれ、時折、水が滝のように浴びせられる。何とも言えない気分です。八幡宮の境内、永代通りの交差点では担ぎ手の意気は自然と昂揚し、一種の陶酔感にひたりながらひたすら掛け声を上げ、足を踏んでいました。

担ぎながらいつも思うことですが、あの重いお神輿が皆で担ぎ上げると耐えられる重さになる。人の和の力を感じるひと時です。

来年は本祭。永代橋を渡る時の昂揚感、また担げますよう日頃の水泳とストレッチを楽しみながら続けなくては、と思いました。 


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暑きほど背筋のばして颯爽と

2019年08月05日 18時47分20秒 | 日記

8月5日、今日は妻と健康診断の日。

昨日はアルコール、食事なしの健康的な生活を送り、今朝は清々しき目覚め。
カーテンを開けましたら快晴、真白き雲が点在していました。
で、窓を開けましたら、ドドット蝉時雨。暑さを一挙に感じた次第です。

蒼天の朝に白雲蝉時雨

 

 テレビをつけると、関東一円黄色と赤で、どこもかしこも30度を超えるとの予報。

関東はどこも超えるや三十度

ひと日でもニュースとなりし三十度

     何年前だったでしょうか???

三十度 でも風あるね と慣れはじめ

人間の適応能力の高さに我ながら感心。

ところで、若い時は、私は暑がりで妻は寒がりでした。ところが、いつの頃からかは覚えていませんが、今ではこの関係が真逆となっています。私は今日も、冷房に備え、長袖シャツを一枚もって九段下のグランドパレスホテル会場に向かいました。

ホテルの入口手前に人工の滝がありました。着いた時は午前の10時半頃でしたので何の気なしに通り過ぎましたが、昨夜からの空腹を満たしてホテルを出たのは午後2時過ぎで、猛暑真っ盛り。

涼みあり猛暑都会の滝のそば

気のせいかもしれませんが、確かに涼しさを感じました。おそらく、滝が気温よりは低い水の流れで、その周辺に気の揺らぎを作ってくれているお蔭かな、と思いました。グランドパレスホテルの粋な計らいに感謝です。

健康診断といえば、私の持病は軽い高血圧とそろそろ手術かと思われる白内障だけですが、身長測定結果は昨年より1センチメートルほど縮んでいました。そのことを担当の方に冗談ぽく言いましたら、真剣な顔で、「もう一度測りますか、気にされる方もおられますので」とのこと。私は笑ってお断りしましたが、ふと、中2の孫娘に越されたかな、とちょっと気になりました。この土曜日に会いますので、背比べをして確認します。しない方がいいか??? 妻とは同じ検査項目ですが、女性は時間がかかるようで、待っている間にテーブルに置いてあった握力計で遊んでみましたら意外な結果。私は利き手は右ですが、右より左手の方が握力が強いのです。ギターの練習は週に4,5日していますが、左手の方が余分な(無駄な!)力を使って弦を押さえてきた結果かな、と推測しました。ちなみに、左46.7kgで45-49歳相当、右は45.4kgで55-59歳相当とのことでした。

さて、無事に我がマンションについて空を見上げますと、白雲は白雲でも朝のとはえらい違い。さっそく写真を撮りました。

真昼中猛暑エナジー白雲へ

猛暑の熱エネルギーが猛烈な勢いで雲に向かっているように思えました。

さて、短い一日の外出でしたが、道行く人、電車のホームでの人、なんとなく、暑さで参られているような表情と姿勢で歩かれていました。

いくら暑がっても涼しくはならないので;

暑きほど背筋のばして颯爽と

  東京の外気温 38度

これで行きたいと思っています。

ここ2週間ほど、飲み会が続いていまして、何時もより3キロほどオーバーでした。昨夜から今日で2キロほど減量。お昼で元に戻ったでしょうから、今日の夕食はお菜だけでひと泳ぎ。元にもどせるか~・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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(その1 長浜市)琵琶湖・京都紀行

2019年08月04日 22時47分25秒 | 旅行

2019年7月15日から19日まで、家内と滋賀県長浜市にある国宝渡岸寺十一面観音像、京都の桂離宮、迎賓館、御所を訪ねてきました。宿を予約した時は、この期間は梅雨が明けているはずと読んだのですが、見事外れ。朝の5時過ぎに家を出て、タクシーもありませんので小雨ふる中、南砂町の駅までトボトボと歩きました。しかしながら、京都に着く頃は雨も止み、梅雨晴れ。京都では、18日までは外を歩く時は常に晴れか曇りで、宿に戻ると雨。ただ、最終日の19日だけは午前中に雨が止まず、予約しておりました修学院離宮の訪問をキャンセルしました。祇園祭がこの期間中にあることを知らずに旅に出たのですが、烏丸御池で初めて山車の行列に出逢う幸運に恵まれました。

早朝の旅立ち妻と梅雨中へ

サンドイッチうまし夏旅始発かな

   0626発の新幹線でしたので、いつもの「すし好」さんは未開店

 

梅雨空も明るくなりぬ京近し

   晴れ男の面目躍如(^_-)-☆

 

訪日客 増えて深まる 日本理解
開国の時も かくて知られり 

 京都が外国人旅行者であふれているとの噂は東京でも聞いていましたが、京都駅構内で実感しました。同時に、この現象のお蔭で、国際社会における日本理解が進むのでは、とも思いました。世界が情報にあふれている今日においても、日本を訪れたことのない外国の一般の人にとっては、日本は西洋から見れば東の果ての小さな島国でしかすぎず、日本の人、社会、文化はあまり知られていないのではと思います。150年前の開国により日本に訪れる外国人が増え、彼らを通じて日本社会の中の生の在り様が彼らの母国に伝えられました。近年の爆発的な訪日外国人の増加は、ある意味、第二の開国かなと思いました。

時のの権力者は国と国との関係が悪化すると、自国民に相手国に対する敵愾心を植え付け・高揚するために、教育と報道の統制を通じ相手国の在り様に関し、事実と異なる情報を自国民に流し洗脳しようとします。戦争の最大の犠牲者はいつも一般市民です。国境を越えた一般市民の交流を通じて国民の相互理解が進めば、戦争の火種は火種の内に消すことができると思います。

国連は、1966年の第21回総会で1967年を「国際観光年」と指定し、「観光は平和へのパスポート(Tourism;Passport to Peace)」というスローガンを定めました。2000年10月、経団連は「21世紀のわが国観光のあり方に関する提言 - 新しい国づくりのために -」という提言書を発表しました。この提言作成に私も参加していたのですが、その前文には「観光を通じた諸外国との人的交流は、日本人の『内なる国際化』と国際的な相互理解の増進、ひいては平和の促進にも寄与する」と書かれています。

京都駅での光景を目の前にして、観光と平和、隣国との相互理解促進に思いが巡りました。

琵琶湖線 古名なつかし風薫る

  

京都駅では新幹線から琵琶湖線に乗り換え、石山駅に向かいました。駅の名前は皆、歴史の教科書や小説に出てきた懐かしい名前です。
  京都 山科 大津 膳所(ぜぜ) 石山
車窓の景色は何の変哲もない町や田園風景ですが、なんとなく奈良・平安時代の出来事を思い出しました。

石山駅からはレンタカー。東京ではほとんど運転していませんので、楽しい気分で渡岸寺の国宝十一面観音像さんに会いにドライブ!

民御仏を守り埋伏蝉時雨

  民御仏を(たみ みほとけを)

 

万緑や埋められ出づる 如来傷なく

 

埋められて戦火まぬがる 仏麗し

 

1570年、浅井・織田両家の戦火で光眼寺堂宇が消失する際に、住職や近隣の住民が観世音を土中に埋蔵して難を逃れた由。のち、光眼寺は廃され、渡岸寺(通称、向源寺)が建立され今日に至る

尚、この観音堂の維持管理も国の補助を受けながら、土地の方のご奉仕でされている由。案内人は、この観世菩薩さんは如来になられていると説明されておられましたので、ここでは、「如来」の言葉を使いました。

 

いも観音掬ふ民の地青田風

     

観音像を戦火から守るために、土地の人が川に投入れ、そののち、掬い出して信仰してこられたとのこと

長浜市高月町 歴史民俗資料館

 

古戦場の民はたくまし青田風
    長浜市高月町
    
姉川の戦い
  1570年7月、長浜市野村町付近、浅井・朝倉X織田・徳川
賤ヶ岳の戦い
  1583年4月、長浜市賤ケ岳付近、羽柴秀吉X柴田勝家

葉山椒おほふつゆ蕎麦土地の味
葉山椒そばはここだけと店主かな

    渡岸寺そばの「なかたに」

 


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