秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

今年もあと一日・・・

2020年12月31日 09時40分50秒 | 日記
 今年もあと一日を残すだけとなりました。
 コロナ禍は収束の兆しもなく新たな年を迎えようとしています。
 自衛・他衛を心がけ、じっと動かずに逞しく生きている木々からも元気をいただきながら、一日一日を質素に、気持ちだけでも明るく生きていけたらと思います。
 コロナ禍の中で、私たちのライフラインを支えておられる方々に感謝し、皆さんが良い年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。
 
  コロナ禍や無事寒柝の打ち仕舞ひ
      町会の夜回りも30日に無事終了。寒柝:かんたく、拍子木
 
 コロナ禍でも 夕日黄葉や気の晴れる
 散りて生く冬木たくまし子も逞しく
 地を覆ふ黄葉新たな命へと
 
 コロナ禍では、今まで以上に自然を身近に感じ、自然に考えさせられ、教えられ、励まされたような気がします・・・
 
 
 

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(その6 天龍寺)コロナ禍でのヴァーチャル京都もみじ狩

2020年12月29日 10時42分20秒 | 旅行
 京都もみじ狩りの二日目は、朝食前に霜の降りた大原を寂光院まで散策し、芯まで冷えた身体に朝食で暖をとり、三千院に歩いていきました。午前一杯三千院と来迎院を参拝し、午後はバスと電車を乗り継いで天龍寺。里山から降りて、という感じで、天龍寺に着いた時は平地の広いお寺で、もみじの木々が高く感じられました。
 
天龍の紅葉木高く逞しく
天を衝く紅葉大木龍の如
 
 
 
 臨済宗の天龍寺は、1339年に夢窓疎石によって開かれました。お寺自体の歴史としてはそんなに古くはありませんが、この地には平安時代初期以降、天皇家の離宮などが建てられていた地とのことで、もみじにも禅宗的なものと千年の長きに育まれてきた雅さを感じました。
 
儚くも淡く美し京もみじ
千年のはぐくみ京のもみじかな
それぞれに美し山茶花紅葉かな
色形きりつと禅刹紅葉かな
   禅刹:ぜんさつ、禅宗の寺院
 
 
 
 
 
 昨日よりもみじ美にひたりながら時を過ごしてきましたので、枯蓮との出逢いは印象深いものがありました。私にとってはもみじと枯蓮とを一緒に見るのはこれが初めてです。枯蓮は東京・上野の不忍池でも見られますが、禅寺で出逢ったからか、唐招提寺の古代蓮の美しい蕾、開いた花が思い浮かびました。
 
枯蓮や生の観想禅の寺
                    観想:かんそう
 
 
 
内に秘む和上の蓮の蕾かな
和上より継がれ千年蓮咲けり
          唐招提寺にて 8月
 
 
 
 天龍寺の参拝の後は二尊院に歩いて向かいました。その道すがら、桂川沿いに民家と思われるお家の庭から大きく高いもみじが午後の日に輝いていました。
 
豪勢な京の民家のもみじかな
        天龍寺より二尊院への桂川沿いの道すがら
 
 

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コロナ禍での和太鼓と子どもたち

2020年12月28日 11時12分01秒 | 日記
   頭が柔軟で体も動く若い時にやっておけばと思っていたことがありました。第九合唱、クラシックギター、タップダンス、お神輿担ぎ、あの消防士の放水、そして和太鼓。
 昨年末、最後まで実行できていなかった和太鼓を教えてくれる処が近所にあることを知り、早速体験させていただきました。会の名前は「寿太鼓 江戸の星」。少数の大人の方がボランティアで運営されていますが、メンバーの主力は私の孫のような女の子の小学生で、誠にお上手。気後れしましたが、指導されている古賀勝先生が私と同年代の方で、「健康のためにもいいですよ」と温かく迎えてくれました。
 
子らに習ふ 和太鼓練習納かな
子らしみじみと 太鼓励みと 年の暮
 
    コロナで始まり終わる二千二十年
 
 
 
  即座に入会させていただき、明くる1月、さっそく太鼓を思い切り叩かせてくれました。私はそれぞれの曲にあったリズムとテンポをマスターすればいいのかなと思っていましたが、大間違い。打ち方には基本の型が8通りあり、且つそれぞれの曲に「振り」があるのです。タップダンスの時は、お子たちは先生の「振り」を見て直ぐに覚えてしまいますが、私他3名のおじさんタッパー(?)はレッスン中に覚えられず、直ぐにビデオに撮り自宅で練習。タップは膝に負担を感じ始めましたので3,4年前に止めました。和太鼓は、タップ同様「振り」覚えに苦しみそうですが、身体と頭の健康には良さそうで、毎週土曜日の練習が楽しみになっていました。
 そんな矢先のコロナです。3月から中止になり、11月にやっと再開。26日は今年の練習納です。練習を早めに終え、円陣を組んで一言挨拶となりました。お子たちは皆小学生ですが、異口同音に「このコロナで学校がお休みになり、友達と会えず、話ができなかったのが辛かったです。和太鼓の練習が再開できてとても嬉しいです。長いこと練習していなかったので技も忘れてしまっていたり、少し下手になってしまったかなと思いましたが、がんばります。来年もよろしくお願いします」と元気に挨拶されていました。七十路の私には単なる巣籠でしかなかったコロナ禍は、お子たちには苦しみを与えていたのだな、と思いました。
 お子たちなりにコロナ禍と向き合い、逞しく日々を過ごしているお子たちを、頼もしいと思いました。心身ともに柔軟なお子たちは、新しい生活様式の時代を逞しく適応して生き抜いていかれるだろうと思いました。
追申:
「寿太鼓 江戸の星」は会員大募集中です。
練習日は毎土曜日の17時~19時、基本は六砂小体育館
江東区お住まいの方、いかがですか?一度、下記のURLを訪問してみてくださ~い(^.^)/~~~

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コロナ禍でのクリスマス

2020年12月24日 10時43分31秒 | 日記
明日、クリスマス。今、自衛他衛を意識して巣籠をしていますが、今朝、ふと思いました・・・
 
ひかり 熱 日のありがたく 冬の朝 
自然とは 明日クリスマス コロナ禍の
 
 
部屋はまだ暗き冬の朝
カーテンをあけるとひかりが差し込みます
ひかりのあたたかみを感じます
 
太陽は偉大でありがたいと感じました
 
明日はクリスマス
コロナ禍でのクリスマス
キリスト教徒でない私も
今朝は楽しい気分になれません
 
人と自然と宇宙
 
謙虚さ、が大切か・・・

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木星と土星の大接近

2020年12月22日 16時11分03秒 | 日記

木星土星 孫また見れる 大接近

 昨日、2020年12月21日の宵、木星と土星は1623年7月17日(日本では徳川家光が江戸幕府3代将軍になる1か月ほど前)以来の大接近をしました。実に397年ぶりです。次に今回と同程度近づくのは60年後の2080年とのこと。七十路の私にはこれが見納めと思い、めっきり冷え込むベランダで三脚を立てリモコンでシャッターを切りながら撮りました。撮影時間は17:17から18:25。ISOは400、露出は5.6で固定し、シャッター速度は5秒から1/8秒までの間でいろいろと変えながら撮りました。1/4秒が一番良かったみたいです。

 明るい二つの星の内、下の方の大きいのが木星、上の方の小さいのが土星です。パソコンで画像処理したら、木星の左上斜め方向に2つ、右下斜めに2つ星が写っていました~!名前は分かりませんがとても嬉しかったであります。

 私はNHK BS3の「コズミック フロント NEXT」を毎回見ています。この2つの星はレンズ越しには点でしかありませんが、番組で見ているNASAの衛星が撮った巨大画像を思い浮かべながら少し興奮しながら見ていました。

 地球から月までの距離は38万km、1.3光秒(光の速さで1.3秒の距離)。太陽までは1億5000万㎞で8光分。木星までは7億5000万kmで40光分、接近時は6億kmで30光分。土星までは15億kmで80光分、接近時は13億kmで70光分。ちなみに、地球の一周は約4万キロ。

 宇宙は広いですね~!!!今の宇宙は138億年前のビッグバンで誕生し、この宇宙に存在する物質の根源もその時に誕生し生成され今日に至っている、従って、人間の構成物質も含めこの宇宙に存する全ての物質の根源的構成要素(素粒子)は同じ、従って全ての存在物の内なる宇宙と外なる宇宙は同一、との現代科学の世界観は仏教の世界観と同じように思えます。

 このような世界観に立てば、差別意識はなくなり、「起きて半畳寝て1畳」の人生観が実は宇宙の哲理に合っている、ということになるのかもしれません。

 孫が次の「大接近」を見る頃の世の中はどのようなものになっているのか皆目見当がつきませんが、新たな価値観の中で、心安らかな生活を送れていることを願うばかりです。

 400年ぶりで、次回はこの世にはいない木星と土星の大接近をレンズ越しに見続けて、あれこれ思うひと時でした。


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