メザシの土光敏光
(石川島播磨重工会長、東芝会長)
※Wekipediaより
経歴
明治29年岡山県生まれ、昭和63年死没(91歳)
エンジニア、実業家、勲一等旭日大授章等
石川島播磨重工業社長、東芝社長
経団連第4代会長
「ミスター合理化」「土光臨調」と称されて、第二次臨時行政調査会で辣腕をふるう
橘学苑理事長
「メザシの土光さん」として親しまれた
質素な生活
普段の生活は非常に質素で、蓄財かでなく生活費以外の多額の収入はすべて橘学苑に寄付されていた。
有名な話として
- 戦後一回も床屋に行ったことなく、自宅で息子にやってもらう
- 穴とつぎはぎだらけの帽子
- 戦前から50年以上愛用のブラシ
- 農作業用のズボンのベルト代わりに使えなくなったネクタイ
- 妻との夕食は、メザシに菜っ葉の味噌汁、柔らかく炊いた玄米、「メザシの土光さん」のイメージ
- 経費節減のために、自家用車をやめバス通勤にしていた
- 自宅にはエアコンはなかった
- 家は古くガタピシだった
- 自宅には自給自足の畑を設けていた
無類の読書家
自宅の書斎には、大量の本(日本語だけでなく英語やドイツ語の本や古い辞書もあり)を持ち、家で夕食の後は書斎で読書の習慣が終生続いた。
YouTube動画より
土光敏夫、清貧と人格
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