父と母の教え
私の父母は、大分県の臼杵市と海崎町の出身です。
子供は、3人(姉、私、妹)です。
父は、旧国鉄の勤務で55歳で定年退職して、郷里の臼杵市に帰り民生委員、菜園、蘭、万年青、菊の栽培をしていました。
母は、父を支えて生きた昔風の女性でした。
父は、70歳で肝臓がんで亡くなりました。
母は、70代でパーキンソン氏病になりましたが、94歳まで長生きをしました。
父も母も、温厚な性格で私に対して文句や愚痴をいうこともありませんでした。
私が大学を卒業して、就職もしないで帰ってきて2年位の就職浪人しても愚痴をいうこともありませんでした。
2年後に、やっと裁判所に就職できて親不孝を逃れました。
父母共に喜んでくれましたので、自分なりに安堵しました。
父と母と暮らした中で、父と母が私に厳しく教育したことはなかったのですが、2、3点教えられたことがありました。
父の教え
私が大学に入学したときに、父が禁止したことが2つありました。
1つ、タバコを吸わないこと
1つ、麻雀をしないこと
外に、人生訓などは何も言いませんでした。
お酒は、自分が好きなのか飲むなとは言いませんでした。
父の教えは、旧国鉄時代に自分がたばこを吸ったり、麻雀をして体を壊したことからでした。
私は、大学時代以降後期高齢者の現在まで、たばこをもらってプカプカとふかしたことはありましたが、肺にいれたことはありません。
肺はピンク色で綺麗だと思っています。
麻雀も就職してからも、一切しませんでした。
賭け事は、パチンコを若いときに熱中したことがありましたが、デジタル化されてからは面白くなくてしていません。
代わりに、頭脳ゲームの囲碁に熱中しました。
母の教え
母が唯一私に教えたのは、「実ほど頭を垂れる稲穂かな」というのをいつも言っていました。
母らしい謙虚な教えでした。
※ 意味は「立派な人ほど謙虚な姿勢である」です。
母は、ぼた餅があれば一番良いぼた餅は近所の人にあげて、私たち子供には2番目のぼた餅を食べさせるというような性質の人でした。
後に、私が大人になった時に母に言ったことがありました。
「一番良いぼた餅は、自分たち家族が食べるのが当然で、余ったぼた餅があれば近所の人にやれば良いのだよ。」と言ったことがありました。
母は、謙虚過ぎて稲穂が地に落ちたのでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます