前回までのあらすじ~
コンビニで休んでいると話しかけられることが多かった。
中には
「息子に(髭人の)爪の垢の煎じて飲ませたい」
と、言われるほど(殺したいの?)
幕張辺りを越えたあたりでビジネスホテルに泊まった。
丁度その日に近くで花火大会が行われて、方向感覚を失い迷ったものの
宿に戻って休みました。
ピーピーピーと腕時計のアラームに起こされた。
昨日や一昨日の朝のように、深夜起きる事も無かった。
恐らく、相当疲れていたからこそ起きなかったのだろう。
それともこの環境に慣れたから安心を感じていたからなのか?
その理由は定かではないが朝起きてみるが体が何かだるく朝からサッパリ!って感じではない。
一応、頭を起こす為にテレビを付けてボーっと見つめる。時刻は「4:30」ぐらい。
風呂場で軽く石鹸をつけてバシャバシャと洗って干していた下着などをバッグに仕舞う。乾いては無い。
湿っていた。だから、バッグの重量は増す事だろう。重くはなるが下着は使い捨てではないので、しょうがないと仕舞った。
1日目や2日目の宿はベッドに対してその日の宿は布団なので、ちゃんと敷布団や掛け布団を畳んで置いておく。
(当たり前だからわざわざ書くほどの事ではないのだが…)
持ってきたもので散らかっていた部屋をサッパリと片づけて部屋を何度か見て、忘れ物が無いか最終確認をする。
「5:00」ちょい前だったか、バッグを背負う。
痛い…
何日も長時間、リュックを背負いつづけているので肩に跡が付いていた。
初日の夜に風呂に入る時に気付いていたんだけど、真っ赤にまるで日に焼けたような感じで
「ここだけ日焼け?」
などと思ったが、それがリュックから来ている物だと後で知った。(今頃?)
極力、肩が擦れないようにして、歩き出す。今日の目標は決まっている。
家に帰る事、それだけである。
鍵を昨日、爺さんに言われたブロックの穴に置き、自転車に跨る。
お尻は痛いが幸い足の痛みは深刻な物ではなかった。
「行けそうだ」」
走り出して、コンビニで朝食を取る。
眠かった頭も少しはスッキリして注意力は悪くはないようだ。
食べてから休んでいても帰れないので走る。走っている時は何を考えていただろうか?
行きは景色を楽しんだり、周りの事を気にしたり、今日は何処まで行けるのだろうか?と考えたり余裕があった。
その時は、もう自分の事以外に考えるのはない。
「体が痛い」「何か車や自転車が飛び出してこないか?(周辺確認)」「今日中に帰る」
という事である。
コンビニで休み、休み、どうにか千葉を越えて東京に入った。時間は「8:00」前…
次第にビルなどが建ち並んでスーツ姿のビジネスマンの数も増えてきた。
歩道は危険だなと、車道を走る。車道は2~3車線あって、狭く1車線だった時と比べてマシのように思えたが、時折ある駐車車両が邪魔だった。
そのせいで道路の内側に入らなければならなくなる。しかも駐車車両が急発進する事だって考えられる。
歩道に入れば人、人、人、かと言って車道は危険と隣り合わせ。
だから車道と歩道を行き来しながら、走る。それを判断するのは自分しかない。
だがこういう駆け引きみたいのがあるのは俺的には好きだ。(何、浸ってんねん)
スリルの感覚が好きなのか危険な感覚かも知れない。
前に方向感覚を失って右往左往していた日本橋を越えて、すぐに東京駅が見えてきて後は知っている道まで走り続けるだけである。
新宿まで5kmという標識が見えてそこで休憩しようと思ったけど、無理だった…
なだらかで長い傾斜が俺の行く手を阻む。それなら傾斜はきつくても短い方が良かった。
低くて長いのよりも高くて短い方が時間の節約になるからだ。低いのなら走れって思うだろうけど、俺の体がそれを拒否する。
体が勝手に
「降りろ。無理!歩け」
と命令する。疲れもあってその命令に反抗したいという気持ちは起きなかった。
コンビニでも無いようなちょっとした出っ張りに腰を下ろしてコールドスプレーを吹きかける。
路上の脇なのでズボンを脱ぐわけにも行かないのでズボンの上に吹きかける。
素肌に掛ける冷たさはないが結構冷たかった。と、コールドスプレーの出が悪くなってきた。
結構、大きめのを持ってきたんだが、それでもかなり減っているという事は、相当使っているって事である事は言わなくてもわかるだろう。
使っているという事はつまり、俺の疲労もかなりのレベルまで来ているという事であろう。(回りくどいな)
新宿駅を通過する。通りが逆だったという事で人の数はそれ程多くなかった。
新宿を越えてからはちょっとアップする道を走る。「9:00」か「10:00」
力を付ける為におにぎりを食べる。
定例って思えた。パンでも良かったんだけどどうもパンってスカスカしてそうで、力が増えないような気がしたので買わなかった。
「やはり俺って日本人だな…」
と実感する。まぁ米を食べる民族は日本人だけじゃないけどね…
その日は道の日って事もあってか警官が道路に出ている事が多かった。
その内の一人のおじさんが信号待ちの時に
おじさん「何処に行くんだい?」
髭人「もう○○のうちに帰るだけです」
おじさん「どこに行ったんだい?」
行った所とか、何日で周ったとか話して
おじさん「気をつけて帰れよ…」
と励まされて走りつづける。標識で「地元まで後20km」と走れば走るほど「18km」「17km」と減ってくる。
その減ってくる感じが妙にうれしい。
地元につくまでの辛抱である。って地元についたってそれから家に帰るまでがある。
標識に20kmと書かれていても実際の所、家に着くまで+4~5kmと見て走る。
走っているうちにその時、俺は何を思ったのか、帰るルートを少々変更する事にした。
川沿いに行く事にしたのだ。気分を変えるためという所だ。車道は狭くて危ないし、歩道も狭くて人や自転車がいると邪魔である事この上ない。
その川は行きに渡ったのでいくら川沿いの道を見たことが無くても走る方向さえ間違えなければ走っていれば家に帰れることは可能である。
まぁ地図もあるし
川沿いに着くと見た事があるようなないような道だった。恐らくそれは昔、父と遠くに行ったときにに通った道だったからかもしれない。
小5,6の時、オッサンに連れられてやっぱり自転車でうちから羽田空港まで行った事があったのだ。
ガキの頃を思い出して、日差しが強くなる中走る。日焼け止めは塗ってある。
向かい風が吹いて、疲れたら大きな橋の下で一休みし、相棒に乗る。単調なそんな繰り返しである。
昼になって昼食を食べる。コンビニの昼食である。サラッと食べて、走る。
走りつづけていると見覚えのある地に着いた。家まではまだあるが、何度も来た事がある所だ。
そこでプールがあった。沢山の人が泳いでいた。俺も泳ぎたいと思った。水着は持っているのだ。
あそこに入ればどれほど気持ちいい事か…でも水に入るのはちょっと危ないかと思った。ただでさえ疲労しているのにこれ以上疲れたら帰るのに更に問題になるだろう。
気持ち良さそうに泳ぐ子供達を見送り、木陰で休憩を取る事にする。
「これが最後の休憩だ…」
ペットボトルに入れた温くなったお茶を飲み干して、立ち上がる。重いリュックを背負う。
肩は痛くてもう痺れている感じだった。ハンドルを握ってサドルに座る。スタンドを蹴ってペダルを踏む。
1つ1つの動作を確認する。
家まで後もう一息である。目の前の橋を渡る。それは地元との境と言える橋である。
そこを渡って、大きな坂が立ち塞がる。気力を振り絞って立ち漕ぎで越えたい所だったけどそんな元気は残っていなかった…
歩いて越える。相棒に声を掛けた。「やっと帰れる」って事を…
傍から見たら異常者だな…
坂を上りきって下り道、風を全身に受ける。テンションは知らず知らずの間に高ぶった。そしてやっと学校の登校する道に来た。しかし何故か不思議な気持ちに捕らわれた。
何時も通る道なのに
髭人「ここは俺の地元なのか?」
と…記憶はあるのに確信を持てないという半信半疑。ずっと知らないような道を行ってきたからか疑問があった。(よくわからない感覚)
知っている道、家までの道、当然ちゃんと知っていてその道を確かめるように走る。
我が家が見えてきた。そろそろ長い間住んでいる家だ。家の前に着いて、実感は持てなかった物の、やっと帰って来たと思う事にした。
でなければ俺の帰り着くべき場所がわからないから…
長かった…長い道を行き、やっと家のドアに手を掛けて中に入った。
15:00ぐらい。無事に家にたどり着くことが出来ました。
短くあとがき
特に語る事もないかな。
全7回のこれらの文章がすべてだから。
髭人の中の人生の財産のうちの1つという所かね。
若いころに何かやるってのはいいこと。いいこと。
今、やりたいという気はない。
というか行きたい場所がないからな。
じゃ、再び房総一周をしてみてはどうかって?
そんな振り返りながら行くような旅でもなかったからな。
髭人の思い出の中にしまっておくとしますよ。
そんなところでここまで読んでいただいた全ての方に
ありがとうございました!
来年夏には、ブログ上で「自転車旅行日記 ~新潟編~」をアップするはずなのでその時までお待ちください(笑)
コンビニで休んでいると話しかけられることが多かった。
中には
「息子に(髭人の)爪の垢の煎じて飲ませたい」
と、言われるほど(殺したいの?)
幕張辺りを越えたあたりでビジネスホテルに泊まった。
丁度その日に近くで花火大会が行われて、方向感覚を失い迷ったものの
宿に戻って休みました。
ピーピーピーと腕時計のアラームに起こされた。
昨日や一昨日の朝のように、深夜起きる事も無かった。
恐らく、相当疲れていたからこそ起きなかったのだろう。
それともこの環境に慣れたから安心を感じていたからなのか?
その理由は定かではないが朝起きてみるが体が何かだるく朝からサッパリ!って感じではない。
一応、頭を起こす為にテレビを付けてボーっと見つめる。時刻は「4:30」ぐらい。
風呂場で軽く石鹸をつけてバシャバシャと洗って干していた下着などをバッグに仕舞う。乾いては無い。
湿っていた。だから、バッグの重量は増す事だろう。重くはなるが下着は使い捨てではないので、しょうがないと仕舞った。
1日目や2日目の宿はベッドに対してその日の宿は布団なので、ちゃんと敷布団や掛け布団を畳んで置いておく。
(当たり前だからわざわざ書くほどの事ではないのだが…)
持ってきたもので散らかっていた部屋をサッパリと片づけて部屋を何度か見て、忘れ物が無いか最終確認をする。
「5:00」ちょい前だったか、バッグを背負う。
痛い…
何日も長時間、リュックを背負いつづけているので肩に跡が付いていた。
初日の夜に風呂に入る時に気付いていたんだけど、真っ赤にまるで日に焼けたような感じで
「ここだけ日焼け?」
などと思ったが、それがリュックから来ている物だと後で知った。(今頃?)
極力、肩が擦れないようにして、歩き出す。今日の目標は決まっている。
家に帰る事、それだけである。
鍵を昨日、爺さんに言われたブロックの穴に置き、自転車に跨る。
お尻は痛いが幸い足の痛みは深刻な物ではなかった。
「行けそうだ」」
走り出して、コンビニで朝食を取る。
眠かった頭も少しはスッキリして注意力は悪くはないようだ。
食べてから休んでいても帰れないので走る。走っている時は何を考えていただろうか?
行きは景色を楽しんだり、周りの事を気にしたり、今日は何処まで行けるのだろうか?と考えたり余裕があった。
その時は、もう自分の事以外に考えるのはない。
「体が痛い」「何か車や自転車が飛び出してこないか?(周辺確認)」「今日中に帰る」
という事である。
コンビニで休み、休み、どうにか千葉を越えて東京に入った。時間は「8:00」前…
次第にビルなどが建ち並んでスーツ姿のビジネスマンの数も増えてきた。
歩道は危険だなと、車道を走る。車道は2~3車線あって、狭く1車線だった時と比べてマシのように思えたが、時折ある駐車車両が邪魔だった。
そのせいで道路の内側に入らなければならなくなる。しかも駐車車両が急発進する事だって考えられる。
歩道に入れば人、人、人、かと言って車道は危険と隣り合わせ。
だから車道と歩道を行き来しながら、走る。それを判断するのは自分しかない。
だがこういう駆け引きみたいのがあるのは俺的には好きだ。(何、浸ってんねん)
スリルの感覚が好きなのか危険な感覚かも知れない。
前に方向感覚を失って右往左往していた日本橋を越えて、すぐに東京駅が見えてきて後は知っている道まで走り続けるだけである。
新宿まで5kmという標識が見えてそこで休憩しようと思ったけど、無理だった…
なだらかで長い傾斜が俺の行く手を阻む。それなら傾斜はきつくても短い方が良かった。
低くて長いのよりも高くて短い方が時間の節約になるからだ。低いのなら走れって思うだろうけど、俺の体がそれを拒否する。
体が勝手に
「降りろ。無理!歩け」
と命令する。疲れもあってその命令に反抗したいという気持ちは起きなかった。
コンビニでも無いようなちょっとした出っ張りに腰を下ろしてコールドスプレーを吹きかける。
路上の脇なのでズボンを脱ぐわけにも行かないのでズボンの上に吹きかける。
素肌に掛ける冷たさはないが結構冷たかった。と、コールドスプレーの出が悪くなってきた。
結構、大きめのを持ってきたんだが、それでもかなり減っているという事は、相当使っているって事である事は言わなくてもわかるだろう。
使っているという事はつまり、俺の疲労もかなりのレベルまで来ているという事であろう。(回りくどいな)
新宿駅を通過する。通りが逆だったという事で人の数はそれ程多くなかった。
新宿を越えてからはちょっとアップする道を走る。「9:00」か「10:00」
力を付ける為におにぎりを食べる。
定例って思えた。パンでも良かったんだけどどうもパンってスカスカしてそうで、力が増えないような気がしたので買わなかった。
「やはり俺って日本人だな…」
と実感する。まぁ米を食べる民族は日本人だけじゃないけどね…
その日は道の日って事もあってか警官が道路に出ている事が多かった。
その内の一人のおじさんが信号待ちの時に
おじさん「何処に行くんだい?」
髭人「もう○○のうちに帰るだけです」
おじさん「どこに行ったんだい?」
行った所とか、何日で周ったとか話して
おじさん「気をつけて帰れよ…」
と励まされて走りつづける。標識で「地元まで後20km」と走れば走るほど「18km」「17km」と減ってくる。
その減ってくる感じが妙にうれしい。
地元につくまでの辛抱である。って地元についたってそれから家に帰るまでがある。
標識に20kmと書かれていても実際の所、家に着くまで+4~5kmと見て走る。
走っているうちにその時、俺は何を思ったのか、帰るルートを少々変更する事にした。
川沿いに行く事にしたのだ。気分を変えるためという所だ。車道は狭くて危ないし、歩道も狭くて人や自転車がいると邪魔である事この上ない。
その川は行きに渡ったのでいくら川沿いの道を見たことが無くても走る方向さえ間違えなければ走っていれば家に帰れることは可能である。
まぁ地図もあるし
川沿いに着くと見た事があるようなないような道だった。恐らくそれは昔、父と遠くに行ったときにに通った道だったからかもしれない。
小5,6の時、オッサンに連れられてやっぱり自転車でうちから羽田空港まで行った事があったのだ。
ガキの頃を思い出して、日差しが強くなる中走る。日焼け止めは塗ってある。
向かい風が吹いて、疲れたら大きな橋の下で一休みし、相棒に乗る。単調なそんな繰り返しである。
昼になって昼食を食べる。コンビニの昼食である。サラッと食べて、走る。
走りつづけていると見覚えのある地に着いた。家まではまだあるが、何度も来た事がある所だ。
そこでプールがあった。沢山の人が泳いでいた。俺も泳ぎたいと思った。水着は持っているのだ。
あそこに入ればどれほど気持ちいい事か…でも水に入るのはちょっと危ないかと思った。ただでさえ疲労しているのにこれ以上疲れたら帰るのに更に問題になるだろう。
気持ち良さそうに泳ぐ子供達を見送り、木陰で休憩を取る事にする。
「これが最後の休憩だ…」
ペットボトルに入れた温くなったお茶を飲み干して、立ち上がる。重いリュックを背負う。
肩は痛くてもう痺れている感じだった。ハンドルを握ってサドルに座る。スタンドを蹴ってペダルを踏む。
1つ1つの動作を確認する。
家まで後もう一息である。目の前の橋を渡る。それは地元との境と言える橋である。
そこを渡って、大きな坂が立ち塞がる。気力を振り絞って立ち漕ぎで越えたい所だったけどそんな元気は残っていなかった…
歩いて越える。相棒に声を掛けた。「やっと帰れる」って事を…
傍から見たら異常者だな…
坂を上りきって下り道、風を全身に受ける。テンションは知らず知らずの間に高ぶった。そしてやっと学校の登校する道に来た。しかし何故か不思議な気持ちに捕らわれた。
何時も通る道なのに
髭人「ここは俺の地元なのか?」
と…記憶はあるのに確信を持てないという半信半疑。ずっと知らないような道を行ってきたからか疑問があった。(よくわからない感覚)
知っている道、家までの道、当然ちゃんと知っていてその道を確かめるように走る。
我が家が見えてきた。そろそろ長い間住んでいる家だ。家の前に着いて、実感は持てなかった物の、やっと帰って来たと思う事にした。
でなければ俺の帰り着くべき場所がわからないから…
長かった…長い道を行き、やっと家のドアに手を掛けて中に入った。
15:00ぐらい。無事に家にたどり着くことが出来ました。
短くあとがき
特に語る事もないかな。
全7回のこれらの文章がすべてだから。
髭人の中の人生の財産のうちの1つという所かね。
若いころに何かやるってのはいいこと。いいこと。
今、やりたいという気はない。
というか行きたい場所がないからな。
じゃ、再び房総一周をしてみてはどうかって?
そんな振り返りながら行くような旅でもなかったからな。
髭人の思い出の中にしまっておくとしますよ。
そんなところでここまで読んでいただいた全ての方に
ありがとうございました!
来年夏には、ブログ上で「自転車旅行日記 ~新潟編~」をアップするはずなのでその時までお待ちください(笑)