勇一郎と藁木が対峙している。藁木の脇に立つ少女は勇太郎の娘であるさくらであった。
「さくら!どうしこんな所に!」
「そんなの関係ないでしょ!私はこの人と一緒にいたいからこうしているだけ!」
「そんな人の近くにいてはさくら、お前が悪くなってしまう。離れるんだ」
「何、言ってんの?今までずっと放っておいたくせに、今更、父親面しないでよ!」
「!」
「私がお母さんの方に行くって言った時も何も言わなかった癖に!」
「それはだな・・・私のところにいるよりはお母さんといる方がお前のためになると思ったからだ。引き取れるのであれば私が一緒にいたかった。これは本当だ」
勇一郎は離婚の際、さくらをどちらが引き取るのか話し合ったのだ。いや、妻が言う事に従うだけで話し合いなど成立していなかった。養育費の負担と娘の親権を要求したのだ。
「嘘よ!私のことなんて嫌いだったくせに!ずっと私を避けていたじゃない!」
「そんな事はない!今だって私はお前の事が好きだぞ!ただ、お前に嫌われたくなかった。小学生だったお前は私を臭い。キモいと言った。だからそれ以上嫌われたくなかったから」
確かに、娘は父親のパンツと一緒に洗うなと母親に言ったり先にトイレに入っていると嫌な顔をしたり明らかに勇一郎を拒絶する素振りを見せていた。
「そうやって心にもない事言ってその気にさせて!」
「おいおい。俺を除け者にしないでくれ。親子の久しぶりの楽しい会話というのは分かるけどよ」
「楽しくなんかないよ!あんな奴」
さくらは父親を指差していた。勇一郎は何も言わない。
「随分と、娘さんに嫌われたものだな。パパさん?よぉ」
「これは親子の問題だ。藁木さんには関係ない事だ!黙っていてくれ!」
「分かった。親子の問題には口を出さない。だが、こっち側に有り余るほどの恩を受けたにもかかわらず、裏切って馬鹿ガキ共に着いたお前を俺は許さないからな」
「それは藁木さん達が間違っていると思ったからです!しかも娘を人質に取るなんて正しいわけがないでしょうが!」
「人質?私がそんな卑劣な真似をするとでも思ったのか?」
「だったら何だというんです?」
「たまたま出会った少女を連れて来たらそれがただのお前の娘だっただけだ。折角だから感動の再会をさせてやろうという私からの粋な計らいだ。それを人質などと・・・人聞きの悪い言い方で呼ぶのはやめてもらおうか?」
だが、そんな事が信じられるわけがなかった。何か別のことを企んでいるだろう。
「と言うより、私があなた1人を相手に人質など使うわけなどないだろ?恥ずかしくて・・・」
「何?」
「よく見ておくんだ。さくら。君を見捨てた男に少々キツイお仕置きをしてあげなければならない。でなければこの男は反省しないからな。いいだろ?」
「うん。やっちゃって!あんな人!」
実の娘にこのように言われて胸が締め付けられる思いがする。自業自得とは言え、ここまで手ひどく言われるとは夢にも思わなかった。
「と言う事で、娘さんからのお許しを頂いたので痛い思いをしてもらいますよ。お父さん?」
「くっ!」
あまりにもこちらを馬鹿にしていた。それが自分だけであるのならば何とも思わないが娘の前である。腹立たしく思えてきた。
「でやぁぁぁ!」
ドコォッ!
ソウルドを発動して斬りかかろうとする勇一郎に対して藁木の鉄拳が炸裂する。勇一郎は見事なまでにパンチを食らい吹っ飛ばされて転倒した。
「プッ!ダサいな・・・」
娘のさくらは父親が殴られた所を見て、冷たい目で見下しているようであった。
「ここは絶対に負けられない!」
「負けられないだって?殴り合いどころか口喧嘩でさえまともにやった事がないあなたが空手、ボクサー経験があるこの私に勝てるわけなどないだろ?」
確かに、勇一郎は平和主義であった。平和主義というより相手が怖いのだ。怒った相手を見ると自分の怒りが急に冷めてしまいそれどころか逆に怖くなって何もできなくなってしまう。だから、喧嘩にもならないのだ。
「だからって負けられ!」
ドコォ!
「ソウルドを使うまでもない。それとも使って欲しいか?」
「うううっ!」
腹部に強烈なパンチを入れられ慌てて口を両手で押さえた。そこに追い討ちをかける。
「ふん!」
一発の腹部への強烈なボディブロー。ガードや受身を取る暇なく受けた。
「ぶぅええええぇぇえぇぇ!」
勇一郎の口から吐瀉物が溢れた。それは床に広がった。勇一郎は痛さのあまり屈み込んだ。
「おお!汚(きたな)!汚(きたな)!いい大人がゲロを吐いてしまうなんてな。みっともなくて世間を歩けないぜ。しかも娘の前で・・・何と情けない父親だ」
「くぅ・・・」
「お仕置きはまだ続くぜ。おい、さくら、父親が可哀想になったらいつでも止めてくれよ。やりすぎてしまうかもしれないからな~」
「だ、誰が、あんな奴!もっとボッコボコにしちゃって!」
「分かった。フフッ・・・良かったな~。ドSな娘に育ってくれてさ~」
『みんな悪いのは私だ・・・』
勇一郎は静かに受け入れる。こうなったのも全て自分のせいだと・・・勇一郎は仕事一辺倒の人間であった。かと言って仕事に対して心血を注いでいた訳ではなかった。家族のため、娘のためという大前提があった。彼の場合、コミュニケーション能力が欠落していた。気の利いた話をする事は出来ず、臨機応変に立ち回ることも出来ないのでどこか面白いところに連れて行った時に何か想定外の事が起きるとパニクってしまい対応できなくなってしまう。だから、仕事場でも同僚達に陰口を言われる始末だった。センスは最悪で、可愛い人形が欲しいと言う娘に対し、買ってきたものは小さく可愛くはあるが怪獣の人形であった。
自分でもそういう所は理解していたので彼は仕事でお金を稼ぐ事で生活を豊かにして愛している妻やさくらから認められたかったのだ。が、それは悲しい事ではあるが本人にしか分からないものだ。妻や子供にとっては父親が自分達よりも仕事の方が大切なのだと映るのは不自然ではない。
そして離れ行く家族に対して皆、自分が悪いのだと自責の念に駆られた。それが彼を自殺に向かわせた。しかし、その自殺も怖くなって出来ず、死ぬことも出来ないと自己嫌悪に陥った。そして、道端をフラフラと歩いていて、倒れた。空腹によるものだった。救急車で病院に運ばれたのだが、そこが海藤総合病院だった。体力が回復し、事情を説明すると彼らは励まして、彼に生きる意欲をわかせてくれた。その恩を感じ、病院で働く事に決めた。何年もそんな生活を続けていた田中であったが、一道達への仕打ちを見て病院側を出る決意をしたのだった。
「もうちっと強めにあなたをぶん殴らせてもらうよ。お仕置きが足りないようだからね」
「本当にごめん。父さんの子供に生まれてしまって、苦い思いを数え切れないほどさせてしまってな」
「・・・」
さくらは俯き、目を伏せて、勇一郎の方を見ようとはしなかった。
「怒っているみたいだな。娘の気持ちも分からないダメ親父だな~」
藁木は近付いて蹴りを入れる。膝を蹴られた為、バランスを崩して転倒した。それから胸倉を掴んだ。勇一郎は既に戦う気力はないようでこちらを見ようとせず項垂れていた。
「おい。そのどうでもいいって顔をやめてちゃんとリアクションをしろ。お仕置きってのはやられた方は必死に謝ったり、怒って抵抗したりするもんだろ?これはお前の問題だろうが!」
「さくらの事については私が全部悪いのです。私が・・・だから私に何でもして結構ですよ」
諦めの目。まるで面白みがないので藁木は苛立った。
「ちょっと責めるとまたそれだ・・・なら・・・フッ」
すぐにどうしたらいいか思いついたようでニヤリと静かに笑った。
「そんな愛娘を持った勇一郎さんにここ最近のとっておきの情報を教えてあげようか?」
「とっておき?私の知らない?」
さくらの近況を勇一郎は知らない。だから、何があったのか知りたかった。藁木は勇一郎の耳元に近付き囁いた。
「お前の娘。歳の割には締まりが悪かったなぁ・・・フフッ!」
「・・・??」
一体、何の事を指しているのか分からなかった訳ではない。ただ、内容が耳から抜けていったようであった。
「相変わらず勘の鈍い奴だ。分からなかったのか?だったら分かるように簡単に教えてやろうか?お前だって経験があるんじゃないか?17年ぐらい前にさ~クックック・・・」
何度か、頭の中でその言葉を繰り返し、思考にとどめていく。それが誰の話でどんな意味を持つのかをしっかりと実感していく。そして・・・
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
勇一郎は叫んだ。あまりに衝撃的な言葉であったために、理解するのに時間がかかった。
「お?」
藁木は先ほどのどうでもいいという顔をしていた勇一郎の顔が豹変したのを見て驚きと共に期待を抱いた。
『今まで一度も見たことがない反応だな。やはり娘の事となると効果絶大だな・・・』
「ううううう・・・」
勇一郎は持っていたバッグの中から小箱を取り出した。指輪を入れるような高価そうなもので鍵が付いていた。財布の中から小さな鍵を小箱に差し込んで開いた。
『何だ?指輪でも出すつもりか?何かの思い出の品か?』
藁木は黙って見つめていると、小箱が空いた。すると、そこにあったのは小さな折鶴であった。非常に雑で鶴というよりはアヒルにも見えなくもない丸っこい鶴であった。それを開いた。
「くぅ・・・」
勇一郎は開いて見て、硬く目を瞑って震えた。涙も浮かんでいる。
「どう思う?さくら。きっとお前が幼い時に折ってやったものだと思うぞ。それを今まで大切に持っていた親父。よほど嬉しかったんだろう。見直したんじゃないか?」
あんな下手な折鶴をあれだけ大切に保管していたとなれば藁木であっても誰が折ったかは大体検討が付くと言うものだ。
「そんな事、言われても・・・覚えてないよ」
「あ?覚えてない?本当かよ。わざとドSになっている訳じゃないよな?」
「そんな事言われたって本当に覚えていないんだって・・・ふざけている訳でもあの人にガッカリさせようと思っている訳でもないよ」
これは強がって言っている訳ではなく本当に言っているのだろう。残念だが幼い時にやった事など本人は強く印象に残りにくいものだ。された側がちょっとした事でいくら感動したとしてもだ。
「ハッハッハ!聞いたか?パパさんよ!現実は残酷でありすぎるな~。普通、思い出の品ってのは双方、覚えているのが相場だが、娘の方は一切覚えちゃいない。悲しいな~。あまりにも酷いからさすがの俺も同情するよ。ハッハッハ!」
「ぐっ・・・」
勇一郎はその折鶴をクシャと握りつぶし、こちらを睨み付けてきた。それは今まで見たことがないほど怒りが込められたものであった。それに対してニヤリと笑う。
「来いよ。やる気満々なんだろ?こっちも茶番を見せられて待ちくびれているんだぜ」
「うぉぉぉぉぉぉぉおおお!」
勇一郎は折り紙を手放してそれからすぐにソウルドを発動して、藁木に斬りかかった。藁木もソウルドを発動させ勇一郎の太刀を受ける。時には避けもする。藁木の動きは優雅にも見え余裕綽々と言った所であった。一方の勇一郎の動きは大振りすぎて無駄が多かった。ソウルドで斬る動作というよりソウルドを振り回しているだけと言った方が近いかもしれない。だからこそ一太刀も入れられないのであろう。
「はぁ!はぁ!はぁ!」
「息切れ・・・そんなに若くないんだから無理はしないほうが身の為だぞ」
「くぅおおおおお!」
そう言われて再び攻撃を入れようとした瞬間であった。勇一郎は藁木のソウルドが瞬時に消えたような印象を覚えた。
「うっ!」
殆ど見えなかった。だが、間違いなく斬られた。肩に力が入らなくなった気がした。深い。
「ぬおおおお!」
「!?」
勇一郎はソウルドを振るった。藁木は始めて大きな挙動で後ろに下がった。勇一郎は追い討ちをかけるべく一気に近付いてソウルドを振るった。それを受ける。
『何?今のでソウルドの維持など出来なくなるはずだ!』
その藁木の洞察を証明するかのように勇一郎の肩からは勢い良く魂が噴き出していた。だが、勇一郎のソウルドは健在であり勇一郎はソウルドを振るう。
『ちぃ!』
素早く動く。今度は、勇一郎の胸にかけて横一文字で斬った。
「どうだ!これでもう立ってもいられまい!」
2回目の深い一撃。胸を斬られ、魂があふれ出る。魂が見えるのであれば己の返り血ならぬ返り魂によって視界を遮られるほどかもしれない。
「だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
『何だとぉ!?』
明らかな深手を負っている。なのに何故、反撃する事が出来るのか?疑問に思った。
『まさか!コイツ、私と刺し違えるつもりなのか?だとしてもこいつの気迫は異常だ!』
その予想は十分に考えられた。既に常人ならば立てなくなるほどの攻撃を受けているのだ。それを無理して戦いを継続するのであれば、死を覚悟しているのだろう。
『だが、アンタは所詮五流なんだよ!』
3撃目を与える。勇一郎はダメージを受けながらも反撃するがそれによって技術が向上している訳ではなかった。相変わらずの無駄ばかりで無茶苦茶な攻撃である。避ける事は困難ではない。であるが・・・
バシィィ!
『何だとぉ!?コイツ!ゾンビか!?』
更に数撃入れていたが、勇一郎はまるで怯まない。そればかりか攻撃を受けるたびに、勢いが増しているかのようにも思えた。
『だが不死身の人間など存在しない!ダメージは確実に蓄積されている!私は勝てる!』
目の前をソウルドが通過する。この時、始めて、藁木は勇一郎に恐怖を覚えた。
『くっ!本気でこのバカ。私と刺し違えるつもりだ』
それだけ勇一郎にとって娘は大切だったのだろう。だが、ここで負ける訳など行かなかった。
「だが、お前如きが私に勝てるかぁぁぁぁ!」
ブオッ!
ソウルドによる攻撃が届かなかった。焦って間合いを間違えたのだった。
『私が冷静さを失っている!?』
全身が震え鳥肌が立っていた。ソウルドがゆらめき弱々しくなっていくのを感じた。どうにか心奮い立たせる。
『この私がこんなゴミ相手に恐れるだと!ありえん!いや、そんな事はあってはならんのだ!』
頭の中では否定して見ても、体は言う事を聞かない状態に陥っていた。
『くそっ!やむを得んか・・・最終的に勝てばいいのだ。最終的にな』
藁木は優秀であった。普段、見下している人間が上り調子であったら普通の人間であれば意地になって妨害する事だろう。だが、この藁木は認めたくなくても勇一郎の状況を考えてこちらが不利だと素直に認め、逃げる事が出来る男である。現状把握については優秀なのだ。だからこそ、今まで生きてこられたのかもしれない。
「チッ!」
走り、ソウルドをかいくぐり、距離を取る。それで反撃の兆しを探ろうと考えた。
『このまま奴が勝手に消耗するのを待って・・・』
「しまった!」
藁木はなんと床に滑って転倒したのだ。何と初歩的なことをしたのだろう勇一郎が見た中で藁木が始めて見た情けない姿であった。いつも自信に満ち溢れ、こちらを見下してきたその藁木がこちらを恐れている。それは自分の鬼気迫る顔に恐れたのだろうと思った。軽くふらついているがこの瞬間に力尽きる事はない。必ず倒す。後の事は考えていなかった。今までこちらをコケにし続けた藁木。その藁木が自分を見て怯えている。の藁木にこのソウルドを叩き込む。それだけであった。
「待て!待ってくれ!悪かった!俺が悪かった!」
命乞いをしても既に傷だらけで冷静な判断がつかない勇一郎は藁木にソウルドを叩き込もうとしたその時であった。
「何てな・・・」
「え?」
横にいたさくらを引っ張り出し、盾にしたのだ。斬りかかろうと突進した勇一郎であったがさくらが前に来た瞬間にまるで獣のような目をしていた目の色が元に戻った。
「さく・・・ら・・・」
「ふっ!」
その藁木はその勇一郎が緩んだ瞬間を見逃すわけはなく、藁木のソウルドは勇一郎の胸を刺し貫いていた。それを一気に横に切り払った。今までとは比較にならないほど夥しい(おびただしい)ほどの魂を体から放出した。さすがの勇一郎もそのまま仰向けになって倒れた。
「ふぅっ!」
「あ・・・あ・・・」
さくらは勇一郎にゆっくりと近付く。そのとき、チラッと潰れた折鶴が目に入った。それには『パパ、だいすき』の文字が書かれていた。まだ幼かった為か字をあまり覚えておらず『す』の丸が左ではなく右に書かれていたがそのように読み取れる。その時の事は思い出せなかったが、父の事が大好きであった過去は蘇ってきた。
「ぱ・・・ぱ・・・」
それから勇一郎にすぐに駆け寄った。するとさくらは夢を見た気がした。それは勇一郎の噴き出す魂を触れたからだろう。昔の懐かしい記憶、勇一郎の不器用ながらも喜ばせようという優しさ。邪険に扱われながらも家族を思い続けたひたむきさ。それは全て自分に対して向けられていた事を今、ようやく実感した。彼女の目から涙が溢れた。倒れた父親からとめどなく出ている魂を彼女が見ることが出来ない。だが、弱りきった父親を見れば瀕死であることは分かった。
「あ・・・あの・・・あの・・・」
口が震えて、上手く言葉が出なかった。そんなさっきまで酷い事をいった事に戸惑うさくらを見て父は穏やかな顔をした。口を開いた瞬間、どんな叱責を受けるのか覚悟した。
「さくら・・・怪我はないか?痛いところはないか?」
「な、ないよ。私は大丈夫だから、大丈夫だから」
「そうか・・・それは・・・良かった」
勇一郎はそれを聞いて安心し微笑んだ。すぐに勇一郎の力は途切れた。
「あ・・・冗談なんていつもしないじゃない。寝たふりをして私を驚かそうなんてさ・・・ねぇ・・・お父さん?お父さん?お父さぁぁぁぁん!!」
今、やっと『お父さん』という言葉が出た。やはりさくらにとって勇一郎は父親であったのだ。ただ、勇一郎はその言葉を聞く事は出来なかったが・・・
「ようやくくたばったか。ったく私をちぃっとばかり焦らせやがって・・・ハゲ、デブ、チビ、バカの四拍子揃った中年なんてのはどんなに頑張ってもせいぜいやられ役になるのが関の山だというのに・・・それが私に盾つくとは・・・こうなって当然だ。そう思わないかい?さくらちゃんよ」
「グッ・・・」
「ああ。さくら、君には分からないんだったな。お前の憎んでいた父親の心は死んだぞ。もう2度とお前を知った父親はこの世には現れない。良かったな」
「アンタ・・・」
さくらは藁木をにらみつけた。それは憎しみと殺意を持ったものであった。それを見て、藁木は笑う。
「おいおい。まさか気が変わって敵討ちなんて考えているんじゃないだろうな?別に良いけどな。来るなら今すぐ来なよ。大好きなパパと同じ所に連れて行ってやるぜ」
立ち上がろうとしようと思ったが勇一郎の手がさくらの袖をしっかりとつかんでいたのだ。勿論、勇一郎は既に魂はない。だが彼女にその手を温かさが残る父の手を振り払う事は出来なかった。
「ハッハッハ!やはり親子!ヘタレで何も出来やしない!血は争えないもんだよなぁ!こうはなりたくないもんだ!」
藁木は高らかに笑いながらソウルフルを取り、一道達が進んだ奥に向かった。さくらは勇一郎の方を見てまた小さくなって涙するばかりであった。
「全く、傑作だったよ。私にかすり傷一つ負わす事も出来ずやられ、尻の軽い馬鹿な娘が泣きながら近寄って来たのを見て笑って死んでったんだからな。全く残念な事をしたよ。ビデオに撮っておくべきだった。嫌な事があった日にでも見たら元気になれるだろうな。馬鹿親子の愛の交流つってな。ハッハッハ!」
藁木は高々と笑っていた。一道は黙って話し終えてから口を開いた。
「それは良かった」
「さくら!どうしこんな所に!」
「そんなの関係ないでしょ!私はこの人と一緒にいたいからこうしているだけ!」
「そんな人の近くにいてはさくら、お前が悪くなってしまう。離れるんだ」
「何、言ってんの?今までずっと放っておいたくせに、今更、父親面しないでよ!」
「!」
「私がお母さんの方に行くって言った時も何も言わなかった癖に!」
「それはだな・・・私のところにいるよりはお母さんといる方がお前のためになると思ったからだ。引き取れるのであれば私が一緒にいたかった。これは本当だ」
勇一郎は離婚の際、さくらをどちらが引き取るのか話し合ったのだ。いや、妻が言う事に従うだけで話し合いなど成立していなかった。養育費の負担と娘の親権を要求したのだ。
「嘘よ!私のことなんて嫌いだったくせに!ずっと私を避けていたじゃない!」
「そんな事はない!今だって私はお前の事が好きだぞ!ただ、お前に嫌われたくなかった。小学生だったお前は私を臭い。キモいと言った。だからそれ以上嫌われたくなかったから」
確かに、娘は父親のパンツと一緒に洗うなと母親に言ったり先にトイレに入っていると嫌な顔をしたり明らかに勇一郎を拒絶する素振りを見せていた。
「そうやって心にもない事言ってその気にさせて!」
「おいおい。俺を除け者にしないでくれ。親子の久しぶりの楽しい会話というのは分かるけどよ」
「楽しくなんかないよ!あんな奴」
さくらは父親を指差していた。勇一郎は何も言わない。
「随分と、娘さんに嫌われたものだな。パパさん?よぉ」
「これは親子の問題だ。藁木さんには関係ない事だ!黙っていてくれ!」
「分かった。親子の問題には口を出さない。だが、こっち側に有り余るほどの恩を受けたにもかかわらず、裏切って馬鹿ガキ共に着いたお前を俺は許さないからな」
「それは藁木さん達が間違っていると思ったからです!しかも娘を人質に取るなんて正しいわけがないでしょうが!」
「人質?私がそんな卑劣な真似をするとでも思ったのか?」
「だったら何だというんです?」
「たまたま出会った少女を連れて来たらそれがただのお前の娘だっただけだ。折角だから感動の再会をさせてやろうという私からの粋な計らいだ。それを人質などと・・・人聞きの悪い言い方で呼ぶのはやめてもらおうか?」
だが、そんな事が信じられるわけがなかった。何か別のことを企んでいるだろう。
「と言うより、私があなた1人を相手に人質など使うわけなどないだろ?恥ずかしくて・・・」
「何?」
「よく見ておくんだ。さくら。君を見捨てた男に少々キツイお仕置きをしてあげなければならない。でなければこの男は反省しないからな。いいだろ?」
「うん。やっちゃって!あんな人!」
実の娘にこのように言われて胸が締め付けられる思いがする。自業自得とは言え、ここまで手ひどく言われるとは夢にも思わなかった。
「と言う事で、娘さんからのお許しを頂いたので痛い思いをしてもらいますよ。お父さん?」
「くっ!」
あまりにもこちらを馬鹿にしていた。それが自分だけであるのならば何とも思わないが娘の前である。腹立たしく思えてきた。
「でやぁぁぁ!」
ドコォッ!
ソウルドを発動して斬りかかろうとする勇一郎に対して藁木の鉄拳が炸裂する。勇一郎は見事なまでにパンチを食らい吹っ飛ばされて転倒した。
「プッ!ダサいな・・・」
娘のさくらは父親が殴られた所を見て、冷たい目で見下しているようであった。
「ここは絶対に負けられない!」
「負けられないだって?殴り合いどころか口喧嘩でさえまともにやった事がないあなたが空手、ボクサー経験があるこの私に勝てるわけなどないだろ?」
確かに、勇一郎は平和主義であった。平和主義というより相手が怖いのだ。怒った相手を見ると自分の怒りが急に冷めてしまいそれどころか逆に怖くなって何もできなくなってしまう。だから、喧嘩にもならないのだ。
「だからって負けられ!」
ドコォ!
「ソウルドを使うまでもない。それとも使って欲しいか?」
「うううっ!」
腹部に強烈なパンチを入れられ慌てて口を両手で押さえた。そこに追い討ちをかける。
「ふん!」
一発の腹部への強烈なボディブロー。ガードや受身を取る暇なく受けた。
「ぶぅええええぇぇえぇぇ!」
勇一郎の口から吐瀉物が溢れた。それは床に広がった。勇一郎は痛さのあまり屈み込んだ。
「おお!汚(きたな)!汚(きたな)!いい大人がゲロを吐いてしまうなんてな。みっともなくて世間を歩けないぜ。しかも娘の前で・・・何と情けない父親だ」
「くぅ・・・」
「お仕置きはまだ続くぜ。おい、さくら、父親が可哀想になったらいつでも止めてくれよ。やりすぎてしまうかもしれないからな~」
「だ、誰が、あんな奴!もっとボッコボコにしちゃって!」
「分かった。フフッ・・・良かったな~。ドSな娘に育ってくれてさ~」
『みんな悪いのは私だ・・・』
勇一郎は静かに受け入れる。こうなったのも全て自分のせいだと・・・勇一郎は仕事一辺倒の人間であった。かと言って仕事に対して心血を注いでいた訳ではなかった。家族のため、娘のためという大前提があった。彼の場合、コミュニケーション能力が欠落していた。気の利いた話をする事は出来ず、臨機応変に立ち回ることも出来ないのでどこか面白いところに連れて行った時に何か想定外の事が起きるとパニクってしまい対応できなくなってしまう。だから、仕事場でも同僚達に陰口を言われる始末だった。センスは最悪で、可愛い人形が欲しいと言う娘に対し、買ってきたものは小さく可愛くはあるが怪獣の人形であった。
自分でもそういう所は理解していたので彼は仕事でお金を稼ぐ事で生活を豊かにして愛している妻やさくらから認められたかったのだ。が、それは悲しい事ではあるが本人にしか分からないものだ。妻や子供にとっては父親が自分達よりも仕事の方が大切なのだと映るのは不自然ではない。
そして離れ行く家族に対して皆、自分が悪いのだと自責の念に駆られた。それが彼を自殺に向かわせた。しかし、その自殺も怖くなって出来ず、死ぬことも出来ないと自己嫌悪に陥った。そして、道端をフラフラと歩いていて、倒れた。空腹によるものだった。救急車で病院に運ばれたのだが、そこが海藤総合病院だった。体力が回復し、事情を説明すると彼らは励まして、彼に生きる意欲をわかせてくれた。その恩を感じ、病院で働く事に決めた。何年もそんな生活を続けていた田中であったが、一道達への仕打ちを見て病院側を出る決意をしたのだった。
「もうちっと強めにあなたをぶん殴らせてもらうよ。お仕置きが足りないようだからね」
「本当にごめん。父さんの子供に生まれてしまって、苦い思いを数え切れないほどさせてしまってな」
「・・・」
さくらは俯き、目を伏せて、勇一郎の方を見ようとはしなかった。
「怒っているみたいだな。娘の気持ちも分からないダメ親父だな~」
藁木は近付いて蹴りを入れる。膝を蹴られた為、バランスを崩して転倒した。それから胸倉を掴んだ。勇一郎は既に戦う気力はないようでこちらを見ようとせず項垂れていた。
「おい。そのどうでもいいって顔をやめてちゃんとリアクションをしろ。お仕置きってのはやられた方は必死に謝ったり、怒って抵抗したりするもんだろ?これはお前の問題だろうが!」
「さくらの事については私が全部悪いのです。私が・・・だから私に何でもして結構ですよ」
諦めの目。まるで面白みがないので藁木は苛立った。
「ちょっと責めるとまたそれだ・・・なら・・・フッ」
すぐにどうしたらいいか思いついたようでニヤリと静かに笑った。
「そんな愛娘を持った勇一郎さんにここ最近のとっておきの情報を教えてあげようか?」
「とっておき?私の知らない?」
さくらの近況を勇一郎は知らない。だから、何があったのか知りたかった。藁木は勇一郎の耳元に近付き囁いた。
「お前の娘。歳の割には締まりが悪かったなぁ・・・フフッ!」
「・・・??」
一体、何の事を指しているのか分からなかった訳ではない。ただ、内容が耳から抜けていったようであった。
「相変わらず勘の鈍い奴だ。分からなかったのか?だったら分かるように簡単に教えてやろうか?お前だって経験があるんじゃないか?17年ぐらい前にさ~クックック・・・」
何度か、頭の中でその言葉を繰り返し、思考にとどめていく。それが誰の話でどんな意味を持つのかをしっかりと実感していく。そして・・・
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
勇一郎は叫んだ。あまりに衝撃的な言葉であったために、理解するのに時間がかかった。
「お?」
藁木は先ほどのどうでもいいという顔をしていた勇一郎の顔が豹変したのを見て驚きと共に期待を抱いた。
『今まで一度も見たことがない反応だな。やはり娘の事となると効果絶大だな・・・』
「ううううう・・・」
勇一郎は持っていたバッグの中から小箱を取り出した。指輪を入れるような高価そうなもので鍵が付いていた。財布の中から小さな鍵を小箱に差し込んで開いた。
『何だ?指輪でも出すつもりか?何かの思い出の品か?』
藁木は黙って見つめていると、小箱が空いた。すると、そこにあったのは小さな折鶴であった。非常に雑で鶴というよりはアヒルにも見えなくもない丸っこい鶴であった。それを開いた。
「くぅ・・・」
勇一郎は開いて見て、硬く目を瞑って震えた。涙も浮かんでいる。
「どう思う?さくら。きっとお前が幼い時に折ってやったものだと思うぞ。それを今まで大切に持っていた親父。よほど嬉しかったんだろう。見直したんじゃないか?」
あんな下手な折鶴をあれだけ大切に保管していたとなれば藁木であっても誰が折ったかは大体検討が付くと言うものだ。
「そんな事、言われても・・・覚えてないよ」
「あ?覚えてない?本当かよ。わざとドSになっている訳じゃないよな?」
「そんな事言われたって本当に覚えていないんだって・・・ふざけている訳でもあの人にガッカリさせようと思っている訳でもないよ」
これは強がって言っている訳ではなく本当に言っているのだろう。残念だが幼い時にやった事など本人は強く印象に残りにくいものだ。された側がちょっとした事でいくら感動したとしてもだ。
「ハッハッハ!聞いたか?パパさんよ!現実は残酷でありすぎるな~。普通、思い出の品ってのは双方、覚えているのが相場だが、娘の方は一切覚えちゃいない。悲しいな~。あまりにも酷いからさすがの俺も同情するよ。ハッハッハ!」
「ぐっ・・・」
勇一郎はその折鶴をクシャと握りつぶし、こちらを睨み付けてきた。それは今まで見たことがないほど怒りが込められたものであった。それに対してニヤリと笑う。
「来いよ。やる気満々なんだろ?こっちも茶番を見せられて待ちくびれているんだぜ」
「うぉぉぉぉぉぉぉおおお!」
勇一郎は折り紙を手放してそれからすぐにソウルドを発動して、藁木に斬りかかった。藁木もソウルドを発動させ勇一郎の太刀を受ける。時には避けもする。藁木の動きは優雅にも見え余裕綽々と言った所であった。一方の勇一郎の動きは大振りすぎて無駄が多かった。ソウルドで斬る動作というよりソウルドを振り回しているだけと言った方が近いかもしれない。だからこそ一太刀も入れられないのであろう。
「はぁ!はぁ!はぁ!」
「息切れ・・・そんなに若くないんだから無理はしないほうが身の為だぞ」
「くぅおおおおお!」
そう言われて再び攻撃を入れようとした瞬間であった。勇一郎は藁木のソウルドが瞬時に消えたような印象を覚えた。
「うっ!」
殆ど見えなかった。だが、間違いなく斬られた。肩に力が入らなくなった気がした。深い。
「ぬおおおお!」
「!?」
勇一郎はソウルドを振るった。藁木は始めて大きな挙動で後ろに下がった。勇一郎は追い討ちをかけるべく一気に近付いてソウルドを振るった。それを受ける。
『何?今のでソウルドの維持など出来なくなるはずだ!』
その藁木の洞察を証明するかのように勇一郎の肩からは勢い良く魂が噴き出していた。だが、勇一郎のソウルドは健在であり勇一郎はソウルドを振るう。
『ちぃ!』
素早く動く。今度は、勇一郎の胸にかけて横一文字で斬った。
「どうだ!これでもう立ってもいられまい!」
2回目の深い一撃。胸を斬られ、魂があふれ出る。魂が見えるのであれば己の返り血ならぬ返り魂によって視界を遮られるほどかもしれない。
「だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
『何だとぉ!?』
明らかな深手を負っている。なのに何故、反撃する事が出来るのか?疑問に思った。
『まさか!コイツ、私と刺し違えるつもりなのか?だとしてもこいつの気迫は異常だ!』
その予想は十分に考えられた。既に常人ならば立てなくなるほどの攻撃を受けているのだ。それを無理して戦いを継続するのであれば、死を覚悟しているのだろう。
『だが、アンタは所詮五流なんだよ!』
3撃目を与える。勇一郎はダメージを受けながらも反撃するがそれによって技術が向上している訳ではなかった。相変わらずの無駄ばかりで無茶苦茶な攻撃である。避ける事は困難ではない。であるが・・・
バシィィ!
『何だとぉ!?コイツ!ゾンビか!?』
更に数撃入れていたが、勇一郎はまるで怯まない。そればかりか攻撃を受けるたびに、勢いが増しているかのようにも思えた。
『だが不死身の人間など存在しない!ダメージは確実に蓄積されている!私は勝てる!』
目の前をソウルドが通過する。この時、始めて、藁木は勇一郎に恐怖を覚えた。
『くっ!本気でこのバカ。私と刺し違えるつもりだ』
それだけ勇一郎にとって娘は大切だったのだろう。だが、ここで負ける訳など行かなかった。
「だが、お前如きが私に勝てるかぁぁぁぁ!」
ブオッ!
ソウルドによる攻撃が届かなかった。焦って間合いを間違えたのだった。
『私が冷静さを失っている!?』
全身が震え鳥肌が立っていた。ソウルドがゆらめき弱々しくなっていくのを感じた。どうにか心奮い立たせる。
『この私がこんなゴミ相手に恐れるだと!ありえん!いや、そんな事はあってはならんのだ!』
頭の中では否定して見ても、体は言う事を聞かない状態に陥っていた。
『くそっ!やむを得んか・・・最終的に勝てばいいのだ。最終的にな』
藁木は優秀であった。普段、見下している人間が上り調子であったら普通の人間であれば意地になって妨害する事だろう。だが、この藁木は認めたくなくても勇一郎の状況を考えてこちらが不利だと素直に認め、逃げる事が出来る男である。現状把握については優秀なのだ。だからこそ、今まで生きてこられたのかもしれない。
「チッ!」
走り、ソウルドをかいくぐり、距離を取る。それで反撃の兆しを探ろうと考えた。
『このまま奴が勝手に消耗するのを待って・・・』
「しまった!」
藁木はなんと床に滑って転倒したのだ。何と初歩的なことをしたのだろう勇一郎が見た中で藁木が始めて見た情けない姿であった。いつも自信に満ち溢れ、こちらを見下してきたその藁木がこちらを恐れている。それは自分の鬼気迫る顔に恐れたのだろうと思った。軽くふらついているがこの瞬間に力尽きる事はない。必ず倒す。後の事は考えていなかった。今までこちらをコケにし続けた藁木。その藁木が自分を見て怯えている。の藁木にこのソウルドを叩き込む。それだけであった。
「待て!待ってくれ!悪かった!俺が悪かった!」
命乞いをしても既に傷だらけで冷静な判断がつかない勇一郎は藁木にソウルドを叩き込もうとしたその時であった。
「何てな・・・」
「え?」
横にいたさくらを引っ張り出し、盾にしたのだ。斬りかかろうと突進した勇一郎であったがさくらが前に来た瞬間にまるで獣のような目をしていた目の色が元に戻った。
「さく・・・ら・・・」
「ふっ!」
その藁木はその勇一郎が緩んだ瞬間を見逃すわけはなく、藁木のソウルドは勇一郎の胸を刺し貫いていた。それを一気に横に切り払った。今までとは比較にならないほど夥しい(おびただしい)ほどの魂を体から放出した。さすがの勇一郎もそのまま仰向けになって倒れた。
「ふぅっ!」
「あ・・・あ・・・」
さくらは勇一郎にゆっくりと近付く。そのとき、チラッと潰れた折鶴が目に入った。それには『パパ、だいすき』の文字が書かれていた。まだ幼かった為か字をあまり覚えておらず『す』の丸が左ではなく右に書かれていたがそのように読み取れる。その時の事は思い出せなかったが、父の事が大好きであった過去は蘇ってきた。
「ぱ・・・ぱ・・・」
それから勇一郎にすぐに駆け寄った。するとさくらは夢を見た気がした。それは勇一郎の噴き出す魂を触れたからだろう。昔の懐かしい記憶、勇一郎の不器用ながらも喜ばせようという優しさ。邪険に扱われながらも家族を思い続けたひたむきさ。それは全て自分に対して向けられていた事を今、ようやく実感した。彼女の目から涙が溢れた。倒れた父親からとめどなく出ている魂を彼女が見ることが出来ない。だが、弱りきった父親を見れば瀕死であることは分かった。
「あ・・・あの・・・あの・・・」
口が震えて、上手く言葉が出なかった。そんなさっきまで酷い事をいった事に戸惑うさくらを見て父は穏やかな顔をした。口を開いた瞬間、どんな叱責を受けるのか覚悟した。
「さくら・・・怪我はないか?痛いところはないか?」
「な、ないよ。私は大丈夫だから、大丈夫だから」
「そうか・・・それは・・・良かった」
勇一郎はそれを聞いて安心し微笑んだ。すぐに勇一郎の力は途切れた。
「あ・・・冗談なんていつもしないじゃない。寝たふりをして私を驚かそうなんてさ・・・ねぇ・・・お父さん?お父さん?お父さぁぁぁぁん!!」
今、やっと『お父さん』という言葉が出た。やはりさくらにとって勇一郎は父親であったのだ。ただ、勇一郎はその言葉を聞く事は出来なかったが・・・
「ようやくくたばったか。ったく私をちぃっとばかり焦らせやがって・・・ハゲ、デブ、チビ、バカの四拍子揃った中年なんてのはどんなに頑張ってもせいぜいやられ役になるのが関の山だというのに・・・それが私に盾つくとは・・・こうなって当然だ。そう思わないかい?さくらちゃんよ」
「グッ・・・」
「ああ。さくら、君には分からないんだったな。お前の憎んでいた父親の心は死んだぞ。もう2度とお前を知った父親はこの世には現れない。良かったな」
「アンタ・・・」
さくらは藁木をにらみつけた。それは憎しみと殺意を持ったものであった。それを見て、藁木は笑う。
「おいおい。まさか気が変わって敵討ちなんて考えているんじゃないだろうな?別に良いけどな。来るなら今すぐ来なよ。大好きなパパと同じ所に連れて行ってやるぜ」
立ち上がろうとしようと思ったが勇一郎の手がさくらの袖をしっかりとつかんでいたのだ。勿論、勇一郎は既に魂はない。だが彼女にその手を温かさが残る父の手を振り払う事は出来なかった。
「ハッハッハ!やはり親子!ヘタレで何も出来やしない!血は争えないもんだよなぁ!こうはなりたくないもんだ!」
藁木は高らかに笑いながらソウルフルを取り、一道達が進んだ奥に向かった。さくらは勇一郎の方を見てまた小さくなって涙するばかりであった。
「全く、傑作だったよ。私にかすり傷一つ負わす事も出来ずやられ、尻の軽い馬鹿な娘が泣きながら近寄って来たのを見て笑って死んでったんだからな。全く残念な事をしたよ。ビデオに撮っておくべきだった。嫌な事があった日にでも見たら元気になれるだろうな。馬鹿親子の愛の交流つってな。ハッハッハ!」
藁木は高々と笑っていた。一道は黙って話し終えてから口を開いた。
「それは良かった」