
今日は国立のノ―ションへ。
お店のお客さんで、母親が書家だったという方がいて、紙など捨てるに捨てられず、というので、お宅訪問。
晩年は書壇とも縁を切ったらしいが、そこには、豊かな暮らしがあった。
贅沢というのではない。
お父さんは作曲家だったらしい。音大など出ずに、TV創成期のテーマ曲などを仕事にした、という。
部屋には昆虫などの細密画が飾ってあって、きけば、それはインテリアデザイナーだった亡きお兄さん作。
その方は、世田谷から週に三回、実家に通い、ピアノと英語を教えているという。この方も、音大を出ていない。
それは逆に豊かさに思える。
日差しもやさしい。
文房具や法帖をいただくが、話していると、お母さんの師匠は、舟口桂荘先生。
ふくよかでいつもにこにこしていたかなを専門とした先生である。私も教わったことのある先生である。
ということで、盛り上がり、たくさんの反故もいただいて帰る。
「母がいたら、嫌がるとおもうけど」と。
その通りだろうが、時間がそれを変える。
その方のうちこんだ書と桂荘先生の指導をそこに観たのである。
写真はいただいた硯。その下の汚れた保護布まで使わせていただく。
お店のお客さんで、母親が書家だったという方がいて、紙など捨てるに捨てられず、というので、お宅訪問。
晩年は書壇とも縁を切ったらしいが、そこには、豊かな暮らしがあった。
贅沢というのではない。
お父さんは作曲家だったらしい。音大など出ずに、TV創成期のテーマ曲などを仕事にした、という。
部屋には昆虫などの細密画が飾ってあって、きけば、それはインテリアデザイナーだった亡きお兄さん作。
その方は、世田谷から週に三回、実家に通い、ピアノと英語を教えているという。この方も、音大を出ていない。
それは逆に豊かさに思える。
日差しもやさしい。
文房具や法帖をいただくが、話していると、お母さんの師匠は、舟口桂荘先生。
ふくよかでいつもにこにこしていたかなを専門とした先生である。私も教わったことのある先生である。
ということで、盛り上がり、たくさんの反故もいただいて帰る。
「母がいたら、嫌がるとおもうけど」と。
その通りだろうが、時間がそれを変える。
その方のうちこんだ書と桂荘先生の指導をそこに観たのである。
写真はいただいた硯。その下の汚れた保護布まで使わせていただく。
雑木紅葉の
中を行く
(虚子)