
恩讐を超えて、(12) 南朝、北朝とは?そして明治維新。
会津藩と長州藩の恩讐を超えて和解を求める、この事は既に20年も前から、その和解のための活動は存在していました。長州山口の方が会津にその意向を伝えようとするも、会津の拘りが横たわって...

恩讐を超えて(11) 白虎隊は何故自刃を選んだのか?
日新館は藩祖、保科正之の朱子学から思想対立を経て儒教に変わっています。駐車場から館の門...

恩讐を超えて、(10) 白虎隊の自刃その思想は何処から?
先日の靖国人神社参拝から、白虎隊と特攻隊、若者が我が藩のため、我が国の為と命をものとももしない犠牲精神は何か、どこからくるのか、思想哲学、宗教の何か共通するものが存在するかもし...

恩讐を超えて、(9) 朝敵の汚名を着せられた会津藩
(会津、鶴ヶ城)恩讐を超えて、は因縁の戦いを繰り広げてきた、会津藩と長州藩のわだかまりを解き、お互いの憎しみその怨念を取り払い、和解を願うというものでした。私は霊的感覚から、この...

恩讐を超えて(8) 会津藩の怨念はどこから来るのか。
日本の政治に大きく関わって居ると思われる戊辰戦争。会津藩のその怨念の深さはどこから来るのか、だんだん分かってきたのは、勝てば官軍と言われるように勝ったものの都合に書き換えられてい...

恩讐を超えて(7) 久方ぶりに会津と長州、二本松、三春藩
久しぶりの「恩讐を超えて」会津と長州、戊辰戦争のこの歴史に関心を持ちはじめて、次の様な流れになっていきました。原発事故、避難支援、日中友好さくら植樹、マチュピチュ...

恩讐を超えて(五) 真実は隠されて来た、会津藩、長州藩、そして毛利藩
何度目かの会津、自刃から心ならずも、生還した飯沼貞吉さんをどのように受け止めているかを...

恩讐を超えて(4) 白虎隊の生き残り飯沼貞吉と、長州藩
私は兼ねてから交流のあった山口市、小郡、ランプの宿にむかいました。震災後ご縁をいただい...

恩讐を超えて(3) 哀れなり、二本松少年隊、出陣12才ー17才
二本松少年隊は白虎隊の悲劇の陰であまり知られてないのですが戊辰戦争の一番の激戦地であり...

恩讐を超えて、、会津藩と長州藩、、そして二本松少年隊。
戊辰戦争と言えば、悲劇の白虎隊、長州藩と会津藩の因縁の戦いが代表的ですが、その戦いは会津藩が朝廷から守護役の要請を受けたことにあります(??)その頃、日本は開国か...