『アフリカのサイを守れ~~続く苦難と成功の道(前編)』
アフリカに生息する2種のサイ、シロサイとクロサイ。いずれも絶滅の危機に
瀕した歴史をもち、また今も、その渦中にある野生生物である。
アフリカを代表するこの野生生物は、なぜ減少してきたのか。
その受難の歴史と保護の道のりを追う。
ハンティングの脅威
見渡す限りの地平線に続く、広大なサバンナ。大河の流域に広がる、
むせ返るような緑の熱帯雨林。草原、高山、砂漠、そして、雨季にだけ姿を
見せる大湿地帯。アフリカは、地球の自然環境が持つ、
多様な景観の多くを備えた、まさに野生の大陸だ。
たかだか100年前まで、アフリカは欧米にとって未開の「暗黒大陸」だった。
そして、人が立ち入らないこれらの場所の多くは、原始の姿をとどめ、
そこに息づく数多くの野生生物の楽園であった。
大きな変化が始まったのは、列強による殖民地支配と、2つの世界大戦を経た後、
独立と動乱の時代が始まってからである。
イギリスの生物学者ジュリアン・ハックスリー卿が、ユネスコの特使として
アフリカを訪れたのは、1960年のことだった。
この時ハックリー卿は、すでに始まっていた、アフリカの野生の危機を
目の当たりにする。大型哺乳類を中心とした、野生生物の狩猟が、
ほとんど無制限に行なわれていたのである。
これらの狩猟を行なっていた人々の中心は、アフリカ諸国を植民地支配していた
当時の列強諸国、とりわけハンティングを好む、数多くの欧米の人々だった。
これらのハンターたちは、撃った動物の数や大きさを誇るゲームに興じ、
頭部を「トロフィー」と呼ばれる剥製を壁に飾った。
狙われた大型動物の中には、アフリカの2種のサイ、シロサイとクロサイも
含まれていた。1~3トンにもなる巨大な体躯と見事な角を備えたこの動物が、
ハンターにとって垂涎の的であったことは、想像に難くない。
早くから危機に追い込まれていたことで知られるのは、アフリカ南部に
生息するシロサイの亜種、ミナミシロサイである。
ミナミシロサイは、かつて南部アフリカ諸国に広く生息していたが、
狩猟によって激減。1895年の時点で、現在の南アフリカ共和国に20頭あまりが
生き残るのみとなっていた。このことは、アフリカ南部で、つとに17世紀から
オランダ、イギリスによる入植が始まっていたこととも深い関係がある。
アフリカの受難と共に
アフリカの他の地域では、同様の問題が約半世紀のち、第二次世界大戦が
終わってから、欧米人による植民地でのハンティングの増加、という形で発生した。
さらにハックリー卿がアフリカを訪問した1960年前後には、さらなる問題が
その跡を襲う。相次いだ独立を果たしたアフリカ諸国を見舞った混乱と紛争である。
これまでにアフリカで起きたクーデターは、少なくとも50以上、武力闘争に
至っては、起きていない国を探すのが困難なほどだ。
これらの武力衝突で使われる火器の銃口は、兵士や市民だけでなく、
野生生物にも向けられた。兵士や難民の食料として、そして武器を買うための
「軍資」として、である。
とりわけ、アジアで需要の高い漢方薬の原料として、またアラビアで
短刀の柄にするため珍されたサイ角は、キロあたり4000~1万ドルもの
値がつくとされ、象牙と並ぶ高価な品として執拗に狙われた。
1970年以降、特に東アフリカを中心に吹き荒れた密猟の嵐は、
皮肉にもその価値を物語る。1960年頃、熱帯林を除くサラハ砂漠以南の広域に、
10万頭が生息していたクロサイは、1970年に6万5000頭に、
1980年には1万4785頭となり、1995年にはついに2410頭まで激減。
アフリカ中央部に生息するシロサイの亜種キタシロサイも、生息国だったチャドや
中央アフリカ、スーダン、ウガンダなどで、政情不安や紛争が多発した1980年代から
90年代にかけて姿を消した。
それでも、各地始まっていた、サイを守ろうという動きが、
決して途絶えたわけではなかった。活動に挑む人々は諦めなかった。
アフリカで、またアフリカ以外の国で、その取り組みは続けられたのである。
(WWFマガジン)次号に続く
1980年代や90年代は、ついこの間。
私は3人の小さな子供たちを、懸命に育てていた時代です。
私にとっては、豊かとはいえないけれど、とても充実した幸せな時代でした。
とても信じられない、知らない世界がそこにあったのです。
人間同士が争い、その争いに巻き込まれた野生生物の悲劇。
ゲームとして殺され、人間同士の争いのために軍資資金の調達に利用され
姿を消したキタシロサイ。
その角を欲しがる人間の欲、命を奪ってまで欲しがる人間のあさましさ・・。
いったい、人間という動物は何者なのでしょうか。
アフリカの地は、人類発祥の地であるはずなのに、
アフリカはすべての生物の母なる大地。
その地の疲弊は、きっと人類すべてにのしかかってくると思うのです。
アフリカに生息する2種のサイ、シロサイとクロサイ。いずれも絶滅の危機に
瀕した歴史をもち、また今も、その渦中にある野生生物である。
アフリカを代表するこの野生生物は、なぜ減少してきたのか。
その受難の歴史と保護の道のりを追う。
ハンティングの脅威
見渡す限りの地平線に続く、広大なサバンナ。大河の流域に広がる、
むせ返るような緑の熱帯雨林。草原、高山、砂漠、そして、雨季にだけ姿を
見せる大湿地帯。アフリカは、地球の自然環境が持つ、
多様な景観の多くを備えた、まさに野生の大陸だ。
たかだか100年前まで、アフリカは欧米にとって未開の「暗黒大陸」だった。
そして、人が立ち入らないこれらの場所の多くは、原始の姿をとどめ、
そこに息づく数多くの野生生物の楽園であった。
大きな変化が始まったのは、列強による殖民地支配と、2つの世界大戦を経た後、
独立と動乱の時代が始まってからである。
イギリスの生物学者ジュリアン・ハックスリー卿が、ユネスコの特使として
アフリカを訪れたのは、1960年のことだった。
この時ハックリー卿は、すでに始まっていた、アフリカの野生の危機を
目の当たりにする。大型哺乳類を中心とした、野生生物の狩猟が、
ほとんど無制限に行なわれていたのである。
これらの狩猟を行なっていた人々の中心は、アフリカ諸国を植民地支配していた
当時の列強諸国、とりわけハンティングを好む、数多くの欧米の人々だった。
これらのハンターたちは、撃った動物の数や大きさを誇るゲームに興じ、
頭部を「トロフィー」と呼ばれる剥製を壁に飾った。
狙われた大型動物の中には、アフリカの2種のサイ、シロサイとクロサイも
含まれていた。1~3トンにもなる巨大な体躯と見事な角を備えたこの動物が、
ハンターにとって垂涎の的であったことは、想像に難くない。
早くから危機に追い込まれていたことで知られるのは、アフリカ南部に
生息するシロサイの亜種、ミナミシロサイである。
ミナミシロサイは、かつて南部アフリカ諸国に広く生息していたが、
狩猟によって激減。1895年の時点で、現在の南アフリカ共和国に20頭あまりが
生き残るのみとなっていた。このことは、アフリカ南部で、つとに17世紀から
オランダ、イギリスによる入植が始まっていたこととも深い関係がある。
アフリカの受難と共に
アフリカの他の地域では、同様の問題が約半世紀のち、第二次世界大戦が
終わってから、欧米人による植民地でのハンティングの増加、という形で発生した。
さらにハックリー卿がアフリカを訪問した1960年前後には、さらなる問題が
その跡を襲う。相次いだ独立を果たしたアフリカ諸国を見舞った混乱と紛争である。
これまでにアフリカで起きたクーデターは、少なくとも50以上、武力闘争に
至っては、起きていない国を探すのが困難なほどだ。
これらの武力衝突で使われる火器の銃口は、兵士や市民だけでなく、
野生生物にも向けられた。兵士や難民の食料として、そして武器を買うための
「軍資」として、である。
とりわけ、アジアで需要の高い漢方薬の原料として、またアラビアで
短刀の柄にするため珍されたサイ角は、キロあたり4000~1万ドルもの
値がつくとされ、象牙と並ぶ高価な品として執拗に狙われた。
1970年以降、特に東アフリカを中心に吹き荒れた密猟の嵐は、
皮肉にもその価値を物語る。1960年頃、熱帯林を除くサラハ砂漠以南の広域に、
10万頭が生息していたクロサイは、1970年に6万5000頭に、
1980年には1万4785頭となり、1995年にはついに2410頭まで激減。
アフリカ中央部に生息するシロサイの亜種キタシロサイも、生息国だったチャドや
中央アフリカ、スーダン、ウガンダなどで、政情不安や紛争が多発した1980年代から
90年代にかけて姿を消した。
それでも、各地始まっていた、サイを守ろうという動きが、
決して途絶えたわけではなかった。活動に挑む人々は諦めなかった。
アフリカで、またアフリカ以外の国で、その取り組みは続けられたのである。
(WWFマガジン)次号に続く
1980年代や90年代は、ついこの間。
私は3人の小さな子供たちを、懸命に育てていた時代です。
私にとっては、豊かとはいえないけれど、とても充実した幸せな時代でした。
とても信じられない、知らない世界がそこにあったのです。
人間同士が争い、その争いに巻き込まれた野生生物の悲劇。
ゲームとして殺され、人間同士の争いのために軍資資金の調達に利用され
姿を消したキタシロサイ。
その角を欲しがる人間の欲、命を奪ってまで欲しがる人間のあさましさ・・。
いったい、人間という動物は何者なのでしょうか。
アフリカの地は、人類発祥の地であるはずなのに、
アフリカはすべての生物の母なる大地。
その地の疲弊は、きっと人類すべてにのしかかってくると思うのです。
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