丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

仁義なき戦い

2012年05月12日 | お仕事
 歳を重ねれば徳を得る……とは言えないらしい。認知症の多い施設で働いているが、日々目にする光景を見ているとそんな事をいやというほど見せつけられる。

 Aさんは認知症。結構進行した認知症で、言われた事を覚えている時間と言えばせいぜい2分くらい。言われた言葉の半分は理解すらできていない。トイレにいくために席を立つ頻度は20~30分毎。3分前にトイレに行った後でも、誰かがトイレに行くという声が聞こえたら、一緒に行ってしまう。でも足腰は異様に達者。(一日トイレに歩いて行ってるから達者になったという話もあるが……)。文字の理解も最近は悪くなってきていて、単語一つ一つの意味はわかっていても、文章全体の理解はほとんど出来ない。だから新聞を読んでいても、
「ああ、地震って書いてあるわ。地震て怖いね~。津波って書いてるんか。ふ~ん。……借金って書いてるなぁ。借金なんか私してないわ。豆? 豆って豆やな。健康にエエって書いてありますがな。へぇ、最近はそんなん言いますねんな」
 と言った感じ。単語一つ一つを確認して、それも声に出さないと理解(納得?)につながらないから、自分に言い聞かせるようにずっと口に出して読んでいる。
 そんなに大声でもないので職員は気にならないのだが、同じテーブルについている利用者さん達はそれがいたくお気に召さないらしい。気持ちはわからない事もない。狭いデイサービスの部屋の中を、トイレに行くのにうろうろし、新聞読んでは声を出し、長時間歌集を見て一人で歌ってる(小声なんだけど)人ですから、同席の人が落ち着かないのは無理はないかもしれない。
 5人程で頭を寄せて、ちらちらとAさんを見ながら、こそこそとささやき合う。
「何回トイレ行ったら気済むんやろな。落ち着かん人やで」
「ほら、また立ちはったわ。難儀やな」
「前に行ってたトコでもあんなんでしたで。ここではまだましですわ。一人で外に出て行かはれへんから」
「さっきトイレ行った時、鞄の棚触ってはりましたで」
「いややわ。うちの触られたら」
「ほんなら、うちが見張ってきますわ」
 ……ものすごく陰険な空気がその辺りに漂っている。中学校でのいじめの空気にも似ている。あ~、嫌な感情が記憶の底から呼び覚まされるぜ。
 そして、その空気はAさんにも伝わっていて、余計に居心地悪くなってまたうろうろすることになっている。気がついたら出来るだけフォローに入るようにしているのだが、私もリハビリの仕事があるのでそのテーブルにべったり張り付く訳にもいかないのだ。
 昨日はグループの一人がいたって虫の居所が悪かったらしい。いつものように新聞を読んでいるAさんに向かって、ついに怒鳴りつけた。
「ぶつぶつうるさいねん。新聞くらい黙って読み!」
 途端にAさんの顔色が変わった。
「なんやねん、えらそうに! 自分らかていつも大きな声でやかまししてるやないか!」
「黙っとき! あんたの声なんか聞きたくないわ」
「なんやねん!」
 周りの仲間もさすがにびっくりしたようで、言いだしっぺを「まあまあ」となだめたが、一回言い出したら止まらないようでまた言い返そうとした。
 リハビリの手を止めて割って入る。ほっといたらロクな事にならないのは目に見えている。
「はいはいはい。大人げないからやめましょう! はいはいはいはいはい、そこまで! 大きな声はお互い様! 大阪のおばちゃんは声が大きいと決まってるの! み~んな大声やからしょうがないね~!!」
 と、二人の声をかき消すくらいの大声で割り込む。
「はい! この大きな声は周りを楽しくさせるために使うもんですよ~」
 ……強制撤去といったところだ。その後、そのテーブルのための暇つぶしグッズを用意し、怒りに震えているAさんを慰めながら別テーブルに誘導した。
「ごめんねぇ。嫌な思いさせたなぁ。こっちでゆっくりしよ。好きな歌の本持ってくるわね。ごめんやで、許したってな」
 と、平謝りし、とにかく一回笑顔を見るまでは……と思い、しばらく一緒に過ごした。
 
 認知症の方と接する時に気をつけなければならない事の一つは、すぐ忘れるといっても感情は残るという事だ。何が起こったかという事柄自体は記憶に残らないが、その時に感じた強い感情はしっかり脳が覚えている。起こった事の断片的な記憶とその感情が結びついて、患者さんの行動に影響を及ぼす事も多い。ましてネガティブな感情はなおさらである。
 
 それにしても、だ。その集団も全員認知症なのだ。実際にやった事はないが、認知症テストをして正常範囲の結果を出せる人は一人もいない。毎日同じ話を繰り返し、朝からオシッコで汚れた服のまま来所し、毎週入浴サービスを受けていても「どうして私はお風呂に入れてくれないの?」と怒る人達なのだ。言葉は悪いが、人の事を言えた義理ではないのである。にも関わらず、ひたすら自分はまともであると信じ、自分より進んだ認知症の方に「ダメな人」と烙印を押し、安心する。
 それはこの人達だけではない。長い事この仕事をしているが、どこに行っても同じ構図を目にする。人間は自分より劣った人を見て、安心する。自分の価値を護るために、自分より劣った人を探す。劣った人を攻撃することで、自分の優位性を誇示する。それは水槽に入れられた金魚が一番小さな金魚をいびり倒して殺してしまうのと同じようなものなのかもしれない。なんと不毛なことだろう……。歳を取ったら私もこうなってしまうのだろうか。願わくは、謙虚と謙遜と紙パンツを身につけて、介護してくれる人に「わてボケてまんねん、すんませんなぁ。ありがとうなぁ」と笑って毎日を楽しく過ごしたいと思っているのだが……。出来ることならそうなるまでに天国にお引っ越し出来たら文句なし、なのだが……。さて、どんな老後が待っているのだろう。

 幸いAさんはその日一日、いつも通り過ごしてくれた。いつも通りトイレに日参し、いつも通り歌を歌い、いつも通り笑って帰った。きっと明日もいつも通り来てくれる。送迎車を見送りながら、ほっと一安心すると共に、明日も続くであろう仁義なき戦いをどうやって防ごうか……と思案に暮れるのであった。



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