丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

車椅子に乗って・・・

2005年07月28日 | お仕事
 Aさんは外来患者さんだ。齢八十を超えるAさんは脳卒中後のリハビリで週に二回ほど奥さんと二人でリハビリ室にやって来る。PT室で歩行練習をしてから、OT室で三十分ほど手のリハビリを受ける。奥さんはその間、OT室で手の空いたスタッフと雑談しながら時間をつぶす・・・。それがお二人の日課だ。
 奥さんはAさんと同様に八十才を超える高齢で、体はとても元気だけれど認知症は結構進んでいる。奥さんを一人で家に置いておけないので、Aさんはいつも奥さんに車椅子を押してもらいながらリハビリに来られていた。
 お二人ともとても穏やかで上品な方だ。そして敬虔なクリスチャンだそうだ。だから奥さんはOT室で、音楽好きのスタッフと一緒に賛美歌を歌ったりして過ごすことが多かった。
 歌い終わって必ず
「まぁ、貴女、ホントにお上手ね。私達ノド自慢にでも出られるわよ。」
 そういって、楽しそうに笑う。一曲終わるたびにその会話が繰り返される。どんな会話も彼女の中では五分と留まらない。だから彼女はいつも同じ事でも新鮮に受け止め、心から楽しんでいる。そんな彼女とスタッフの会話をAさんはいつもにこにこしながら見守り、ご自分の訓練をされていた。

 そんな穏やかな日々は、ある日突然終わった。Aさんが他界したのだ。スタッフ全員が奥さんの事を案じた。奥さんは娘さんと一緒に暮らす事になったが、その娘さんも独り身で、二人暮らしになるとの話を伺っていたからだ。
「大丈夫かなぁ・・・。」
 誰もがそう口にした。
 不安はしばらくして現実のものとなった。

 「Aさんの奥さん、入院してきたらしいで。」
「え!?なんで?」
「転倒して骨折したらしいわ。」
 そんな会話がリハビリ室で交わされてから数日後、奥さんは私達の前に現れた。今度は付き添いではなく、患者として。
「Aさん、骨折ですって??大変でしたね。」
 声を掛ける私達に奥さんはいつものにこやかな笑顔で応対した。
「まぁ、こんにちは。どなた様でしたかしら、ごめんなさいね、すぐに忘れてしまうから。」
「ご主人と一緒に、よくこちらに来られてたんですよ。」
「まぁ、そうなの?そうそう、主人はね、この前亡くなったのよ。Go to heaven.よ。」
 私達は虚をつかれたようになった。まさかご主人が亡くなった事が、こんなにすんなり彼女に浸透していると思わなかったから。自分の足の骨折もわからないのに。骨折中ですよと声を掛けると「まぁ、どなたが?お気の毒ね。」なんて事をいうような状態なのに。
「主人がいなくなったから、私がしっかりしなくちゃ駄目ね。」
 言葉を失くす私達に、彼女がそう続けた。
 Aさんは彼女の記憶にメッセージを刻み付けて逝ったのだと、思った。「僕がいなくなったら、貴女がしっかりしなきゃいけないのだよ。」と・・・。

 奥さんが乗っている車椅子はご主人の形見だった。奥さんがPT室のプラットホームでリハビリに取り組んでいる間、車椅子はリハビリ室の入口に停められていた。私にはAさんがそこに座って、奥さんを見守っているように感じられた。いつものように、穏やかな微笑を浮かべながら・・・。
 

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