丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

そして人生の幕は下りる

2013年05月02日 | お仕事
 作業療法士になってかれこれ十●年。たくさんの患者さん・利用者さんを送ってきた。そしてまた一人、カウントダウンに入った利用者さんがいる。九十年を超える長い人生が、ゆっくりと消えて行こうとしている。油の切れた炎が少しずつ小さくなって、やがて静かに消えてしまうように、その人の命の炎も静かに小さくなっていっている。まさに老衰を絵に描いたような経過をたどっている。

 最初に送った人は病院で担当していた患者さんだった。体調不良でベッドサイドでのリハビリをしていたが、ある日いつものように病室に行ったらベッドが空だった。あっけないお別れだった。(というか、病棟の看護師もさ、リハ室に知らせてよ……と憤慨した覚えがある)

 退院が決まって、自宅の改修の相談をし始めた矢先に食べ物を喉に詰めて亡くなった患者さんもいた。脳死状態の彼を前に茫然と立ちつくした。

 行政処分で閉院した病院から送り込まれてきた患者さんとは本当に長い時間をかけてコミュニケーションを取れるようになり、たくさんの勉強をさせていただいた。彼女が亡くなった時は号泣した。患者さんが亡くなって号泣したのは彼女が最初で最後だ。

 自分の曾祖母のように思えた利用者さんは、凛として生き、潔く死んでいった。毎年一緒に花見をしていた。来年は見れるかしら……とつぶやいた顔が懐かしい。

 情熱的で奔放な利用者さんは、気の毒なくらいに小さくなって、静かに逝った。楽しい人だった。

 戦争での心の傷を抱えたまま、旅立った方もいた。なぜかほっとした。

 末期の癌と静かに向き合いながら、そよ風のように逝った患者さんもいた。あまりの潔さに感動した。

 まだまだたくさん想い出がある。送った人の数だけ、想い出がある。


 基本的に患者さんや利用者さんの葬儀には出ない事にしている。だから私は利用者さん達の死に顔をほとんど知らない。私の記憶にあるのは最期の生きている顔と、生きているその人と過ごした時間と最期の会話だけだ。 
 人の死は二度ある。肉体の死と、忘却という名の死。送った人の中にはほとんど身よりのない方もいた。そんな人にとってはもしかしたら私の記憶が唯一の生きた証なのかもしれない。だからこそ、記憶の中のその人の顔は死に顔ではなく、生きている顔で置いておきたい。
 それに、私が関わっている時間はその人達にとっては人生の中でも不本意な時期である事がほとんどだ。ようやく自由になって旅立つ時に、この世のしがらみとしんどい記憶にまみれた私を見ながら逝くというのは少々味気なかろう。全てを忘れて、旅立ってほしい。

 空になったベッドを見つめ、そして共に過ごした時間を思い出す。その人が送ってきた人生を想像しながら、笑っていた顔や泣いていた顔を思い出しながら。そして静かに扉を閉める……。

 
 


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