私の父は寝たきり歴十五年のベテラン寝たきり在宅おじさんだ。私がまだ独身のうら若き乙女の頃から、水揚げマグロのようにベッドの上の生活を強いられている。
寝たきりといっても色々なレベルがあるが、父の場合は『押しも押されもせぬ立派な寝たきり』レベルで、意思疎通もままならない状態だ。こちらの話しかけている内容はある程度理解できているようだが、寝たきりになる前から感覚失語(言葉の理解が困難)や記憶障害などがあったところに、現在は構音障害(発声をする機能の障害)やら気管切開などで会話は不可能である。顔の表情の変化や僅かに動く右手の動きで介護者とコミュニケーションをとっている。
食べるのも排泄も着替えも何もかも介護されて、ようやく十五年生きながらえている。こういっては何だが、初めて父に会う人はたいてい一歩引いて、戸惑いの表情を見せる。どう接したらいいのかわからないらしい。
うちのチビ共は生まれた時から『うちのジイジは寝たきりマグロ』と認識しているようなので、大人が感じるような戸惑いはない。それでも激しくむせて気管切開の穴から痰をミサイルのように飛ばす姿は子供心にも怖いらしく、あまり接近はしない。まぁ、それは当然で、娘の私でも痰を頭から引っ掛けられるのは遠慮したいところだ。
ところが今日、興味深い光景を見た。チビ太郎がジイジのベッドによじ登り、ジイジの枕元に座り込んでいた。小さな手でジイジの顎や顔をペタペタ触りながら、なにやら一生懸命話しかけていたのだ。最近表情もかなり乏しい父だが、何とも穏やかな表情でチビ太郎の言葉を聞き(多分)、顔を触られていた。
そうだよな~。本来のコミュニケーションって、こういうものなんだよな~。と、しみじみ感じた。
言葉だけが意思疎通ではない。人の肌のぬくもりを伝えること、感じること、それがコミュニケーションの原点だ。赤ちゃんと母親が肌のぬくもりを互いに感じることで絆を深めていくように、本来動物は体温を感じることで意思疎通が取れるはずなのだ。
チビ太郎よ、普段は悪ふざけばっかりして暴れん坊将軍だけれど、君は本当に人と接する事に長けているよ。いや、母ちゃんは今日、君を見直したぞ。ありがとう。これからもジイジにいっぱい触ってあげておくれ。(・・・でも、頼むから手を洗ってから触ってね。それと気管切開のカニューレだけは触ってくれるなよ。)
寝たきりといっても色々なレベルがあるが、父の場合は『押しも押されもせぬ立派な寝たきり』レベルで、意思疎通もままならない状態だ。こちらの話しかけている内容はある程度理解できているようだが、寝たきりになる前から感覚失語(言葉の理解が困難)や記憶障害などがあったところに、現在は構音障害(発声をする機能の障害)やら気管切開などで会話は不可能である。顔の表情の変化や僅かに動く右手の動きで介護者とコミュニケーションをとっている。
食べるのも排泄も着替えも何もかも介護されて、ようやく十五年生きながらえている。こういっては何だが、初めて父に会う人はたいてい一歩引いて、戸惑いの表情を見せる。どう接したらいいのかわからないらしい。
うちのチビ共は生まれた時から『うちのジイジは寝たきりマグロ』と認識しているようなので、大人が感じるような戸惑いはない。それでも激しくむせて気管切開の穴から痰をミサイルのように飛ばす姿は子供心にも怖いらしく、あまり接近はしない。まぁ、それは当然で、娘の私でも痰を頭から引っ掛けられるのは遠慮したいところだ。
ところが今日、興味深い光景を見た。チビ太郎がジイジのベッドによじ登り、ジイジの枕元に座り込んでいた。小さな手でジイジの顎や顔をペタペタ触りながら、なにやら一生懸命話しかけていたのだ。最近表情もかなり乏しい父だが、何とも穏やかな表情でチビ太郎の言葉を聞き(多分)、顔を触られていた。
そうだよな~。本来のコミュニケーションって、こういうものなんだよな~。と、しみじみ感じた。
言葉だけが意思疎通ではない。人の肌のぬくもりを伝えること、感じること、それがコミュニケーションの原点だ。赤ちゃんと母親が肌のぬくもりを互いに感じることで絆を深めていくように、本来動物は体温を感じることで意思疎通が取れるはずなのだ。
チビ太郎よ、普段は悪ふざけばっかりして暴れん坊将軍だけれど、君は本当に人と接する事に長けているよ。いや、母ちゃんは今日、君を見直したぞ。ありがとう。これからもジイジにいっぱい触ってあげておくれ。(・・・でも、頼むから手を洗ってから触ってね。それと気管切開のカニューレだけは触ってくれるなよ。)
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