丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

連鎖

2013年02月02日 | 四方山話
 体罰について色々と世間が騒がしいが、その裏に連綿と続く因習を感じてならない。

 九十歳に手が届く男性が言っていた。「俺らは軍隊で殴り飛ばされてきた。叩くなんてものやない。手でたたくと痛いから棒で殴る。口より先に殴られる。そうやって生き延びて来た。体罰くらいで死ぬようなヤツは根性が足りない。これから先、生きててもどうせどこかで死によるわ」

 戦前教育と敗戦間近の軍隊が正常であるはずもなく、そういう状況自体が異常であることは間違いない。彼の言葉は極論であり、暴論だと思う。でも心のどこかで同じように思う人は少なくないはずだ。そうやって生きて来た人はそういう異常なラインを物差しの基準で考える。そして自分の下の世代にそれをあてはめる。

 体罰だけではない。虐待についても同じことだ。自分が虐待を受けた人は自分の子どもに虐待をしてしまう。

 そしてこの鎖は次世代へ向かうだけではなく、自分自身にも絡みついてくる。こんな仕事をしていると、虐待というラインぎりぎりのところにいる高齢者とその家族を見る事が多い。その全部がそうではないだろうが、自分自身が築いてきた家族関係が実は破綻しており、自分が衰えてくることでそのほころびが顕在化するというケースが多い。何十年と言う時間と愛憎をより合わせて現在がある。それを私たちが解決することはまず無理だ。

 この世はどうしようもなく断ち難い鎖でがんじがらめに縛られている……。その事実に気付いて、断ち切る勇気を持たなければ。


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