長編を一本書こうとただいま画策中である。プロットはなんとか立ったのだが、書き出しがどうもうまく行かない。五十枚程度書いてはボツ、また五十枚書いてボツ。パソコンで書いているからゴミはでないけれど、これが一昔前なら、部屋中丸めた原稿用紙だらけという、お約束のような「売れない小説家」の図だろう(笑)。今までに書いたことのないようなジャンルを書こうとしているのが仇になって、どうもしっくりこないのだ……。
最近、テレビのドラマをよく見るようになった。それもストーリーを追うというよりも、セリフの流れや人物の描き方、演出の意図など、制作サイドの見方をするようになってきている。そのきっかけは昨年の「薔薇の紋章」の改稿作業だ。
改稿をしていくうちに、作家というのは舞台の総合監督なのだと思えてきた。脚本、キャスティング、舞台美術、ライティング、音楽、大道具、小道具、衣装……。頭の中で、一つの舞台もしくは映画を作り上げていくのが「小説」なのだ。その舞台を正確に言語化するのが、「小説を書く」という作業。
まだ私の頭の中の舞台は大道具を立て込んでいる最中のようである。さあて、早い事舞台を作り上げなくちゃ!
最近、テレビのドラマをよく見るようになった。それもストーリーを追うというよりも、セリフの流れや人物の描き方、演出の意図など、制作サイドの見方をするようになってきている。そのきっかけは昨年の「薔薇の紋章」の改稿作業だ。
改稿をしていくうちに、作家というのは舞台の総合監督なのだと思えてきた。脚本、キャスティング、舞台美術、ライティング、音楽、大道具、小道具、衣装……。頭の中で、一つの舞台もしくは映画を作り上げていくのが「小説」なのだ。その舞台を正確に言語化するのが、「小説を書く」という作業。
まだ私の頭の中の舞台は大道具を立て込んでいる最中のようである。さあて、早い事舞台を作り上げなくちゃ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます