http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/news/20060121ddm013100126000c.html
フラフラとブロガーニュースとやらを見ていたら、びっくりするような記事を見ました。(上記を見てくださいな。)概要は「給食費をちゃんと払っているんだから、子供に『いただきます』と言わせないで」という要望があった。貴方はどう思いますか?・・・そういう内容です。
さて、あなたはご飯を食べる時「いただきます!」って言いますか?私は言います。どんな不味い出来であっても、「いただきます。」「ごちそうさま。」は言います。作った人に対するねぎらいと感謝でもあり、私の栄養になるべく命を捧げてくれる食材に対する感謝でもあり、飢える事なくご飯が頂けるというささやかな、でも物凄く大切な幸せに対する感謝でもあるのです。お金を払っているとか、施されてタダ飯を食っているとか、そういう問題ではないのです。
アメリカにホームステイした時、ホストファミリィに「それどういう意味?」と聞かれたことがあります。どう答えようかと随分迷いましたが、「感謝の言葉です。貴方達が食事の前にお祈りするのと一緒かも。私はクリスチャンではないからお祈りはしないけどね・・・。」というような内容を答えました。それで皆納得していました。形や表現はどうあれ、今日の糧を与えられたという事はありがたい事ではないでしょうか。「いただきます」反対派には宗教的だという意見もあるようですが、私にはさっぱり理解できませんな。感謝するという事のどこが宗教的な事なんでしょうか??
なんか、寂しい議論ですね。人が自分以外のモノに対する謙虚さや優しさを失いつつあるということなんでしょうか。お金が全ての価値基準になってしまうと、ホリエモンみたいに転落するんだわよ・・・。人はパンやらお金のみにて生きるにあらず、なんですよね。どん底の人間を救うのは人間でしかないというのに・・・。それに気がつかない、精神性に背を向けてしまう人っていうのは、ある意味、物凄く可哀想な人たちなのかもしれない・・・。そんな事を考えてしまいました。
私って「ロマンチ」かしらん(笑)。・・・いいもん、ロマンチで。その方が人生豊かだよ、きっと。
私は今生きていることに感謝する気持ちも持って「いただきます ごちそうさま ありがとう」の言葉は言います。
そんな考えを持つ人が少数派であってほしいです。
コメントありがとうございます。私の周辺にはそんな戯言を言うような大馬鹿野郎は居ない(多分)と思いますよ。まして、ここに来てくださる方々は極めて良識的な方々かと・・・。
こういう精神性って、普遍的なものであるべきだと思いますよね。人種や宗教関係なく・・・。それを自分の子供にもちゃんと伝えていくのが親の大事な仕事の一つなんでしょうね。