「寂しいねん。甘えたいねんけど、甘える人もおらんねん……」
彼女はそう言いながら、子供みたいに私にもたれてくる。
九十歳をとっくに越えた彼女はとても気丈で、元気な女性だ。それでも年々少しずつ、身体は弱ってくる。思い通りにならない身体と生活に、いつもイライラしている。風邪で寝込んだ後、元気になったがまた少し気弱になったように思う。
週に一回、たかだか三十分ほどの付き合いだが、彼女は私が来るのを心待ちにしている。彼女にとってのリハビリは身体をほぐすことよりも、心をほぐすこと。彼女の身体の不調の訴えを、生活への不満をひたすら聞く。
「今年の夏は越されへんわ。もうあかんわ」
「去年も聞きましたで~、そのセリフ。大丈夫や、そんなん言うてるうちに秋になりますで」
「はよ、逝きたいわ」
「急がんでもじきに来ますわ。間違ってもあと二十年も頑張られへんって」
ちょっとブラックな、漫才みたいな会話をしていると、少し元気が出てくるらしい。
「誰かに甘えたいねんけどな、誰にも甘えられへんやろ」
ちょっと涙ぐみながら私にもたれる彼女の肩をだきしめる。
「うちが死ぬまで、ずっと来てな……」
そう言いながら手を合わす……。
心配せんでもええよ。最期まで来るから。
彼女はそう言いながら、子供みたいに私にもたれてくる。
九十歳をとっくに越えた彼女はとても気丈で、元気な女性だ。それでも年々少しずつ、身体は弱ってくる。思い通りにならない身体と生活に、いつもイライラしている。風邪で寝込んだ後、元気になったがまた少し気弱になったように思う。
週に一回、たかだか三十分ほどの付き合いだが、彼女は私が来るのを心待ちにしている。彼女にとってのリハビリは身体をほぐすことよりも、心をほぐすこと。彼女の身体の不調の訴えを、生活への不満をひたすら聞く。
「今年の夏は越されへんわ。もうあかんわ」
「去年も聞きましたで~、そのセリフ。大丈夫や、そんなん言うてるうちに秋になりますで」
「はよ、逝きたいわ」
「急がんでもじきに来ますわ。間違ってもあと二十年も頑張られへんって」
ちょっとブラックな、漫才みたいな会話をしていると、少し元気が出てくるらしい。
「誰かに甘えたいねんけどな、誰にも甘えられへんやろ」
ちょっと涙ぐみながら私にもたれる彼女の肩をだきしめる。
「うちが死ぬまで、ずっと来てな……」
そう言いながら手を合わす……。
心配せんでもええよ。最期まで来るから。
そういう役割を担う一面がありますよね。
寄り添ってあげてください・・・
人は誰しも、寂しい生き物・・・せめて、老いゆく
淋しさの最中にあって、
ちえぞーさんの笑顔と温もりで、癒して差し上げて
ください・・・(何か、宗教的になりましたが)
いつか自分も老いゆく身なのですね。
でも、実際はとんでもない話で、「人を救う」なんておこがましい事なのだと思い知らされました。傲慢な考えだったな……と、今になって思います。
人のために出来る事は本当に少ない。でも、ない訳じゃないという事も教えられました。癒したり、救ったり、そんな凄いことは出来ないけど、寄り添うことと祈るのことは出来る。
ほんの僅かな専門知識と(いや、本当はいっぱい要るんだけど)その人と同じ目線になり、その人を受け入れること。難しいけど、やってやれない事はない。そして、それが少しは人の役に立っているような気がする今日この頃です。はい。