丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

わが母の教え給いし歌

2008年05月11日 | 四方山話
私がまだ幼い頃 母が その歌を教えてくださった
大粒の涙をその目に 浮かべながら……

私が母となった今 我が子たちに その歌を教えている
大粒の涙をその目に 浮かべながら……
(ドヴォルザーク「わが母の教え給いし歌」)

 母の日である。実家の母と姑に花を贈った。自分が歳を取るにつれ、母の存在の大きさを実感する。
 母は焚き火のような人だ。時々煙でむせそうになったり、パチンとはぜて火傷しそうになるが(笑)、家族を温め、守ってくれる。若い頃にはご他聞に漏れず、反抗し、反発し、「あんなオバハンにはなるものか」などと思ったこともある。少し大人になってから母の人生を客観的に見つめられるようになり、「ああ、なんとこの人は一生懸命な人なのだろう」と思えるようになった。そしてその思いは尊敬と敬愛へと姿を変えていった。
 結婚して、二人目の母が出来た。夫を育てた母。湖のように穏やかで懐の深い人だ。どんな時にも激することなく、穏やかに柔らかく家族を支えてきた人。私のような好き勝手し放題の嫁のすることを、批判する事もなく、いつも気にかけてくれる。子供の頃から、自分が結婚する時は間違いなく相手のご両親から反対されるだろうと思っていた。原因不明の病気のために障がい者になった父。反対されても仕方ないだろうと子供心に思っていた。
 しかし、夫と結婚が決まった時、夫の両親は反対どころか温かく私を受け入れてくれた。彼らが反対していたら、今の私はない。
 火の母と、水の母。二人とも大切な母だ。

 認知症でどんどん記憶を失っていく方々がいる。自分の子供もわからなくなってしまった人でも、自分の母親の事は皆よく覚えておられる。
 デイ・サービスに居てても、自宅に居てても「帰ります」と言い徘徊する帰宅願望の強い利用者さんがいる。彼女が帰りたいのは今の家ではない。実家に帰りたいのだ。お母さんが優しく迎えてくれる、子供の頃の家に……。勿論、お母さんは既に天国にいる。息子や娘の記憶さえあやふやになっているのに、お母さんが子供の頃にかけてくれた言葉は今も鮮明に彼女の中に生きている。

母とはなんと大きな存在なのだろう。


 私の子供達にとって、私は大きな母になれるだろうか。自分が母にしてもらった恩恵を自分の子供達に余すところなく与える事ができるだろうか。そして子供達が大人になった時、「私の母はこうであった」と懐かしく温かい気持ちで述懐してくれるだろうか……。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-05-11 18:50:27
母は焚き火のような人だ。まさにそのとおりですね。焚き火の煙が目にしみて、涙が出る。いろんな意味を含んだ涙。母の大きさが故に感涙がとまらないんでしょうね。話は変わりますが、カミュはドヴォルザーク!?の「新世界」って曲が好きです。
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新世界というと (ちえぞー)
2008-05-13 00:14:48
大阪人としては「新世界」というと違うところを連想しますが(笑)。
「わが母の教え給いし歌」
いい曲ですよ。ぜひ一度聞いてみてください。
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