丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

認知症~理想と重い現実

2006年05月28日 | 医療・介護・健康
 NHKで認知症の生討論会をやっていた。この手の番組は前の障害者の時もそうだったが、時間の制限で納得のいく議論にはならず、中途半端なところで司会がVTRに持っていってしまうので消化不良の感が強い。しかしながら、一応私もOTのはしくれで、認知症のお兄様・お姉様方に囲まれた日々を過ごしているので見ておくべきかなぁ、と思いとりあえず見た。
 印象に残ったのは軽度と重度の差。はっきり言って自分が認知症であると自覚しているうちは軽度なのだ。しかし悲しいかな、いくら私がディサービスで歌を歌おうが、回想法を試みようが、田植えをしようが、認知症は進行する。元々重度の利用者さんがこの一年、毎日のようにディサービスに通っているが目に見えて症状が進行していく。一時アリセプトという薬の投与で少し落ち着いた状態の時もあったが、ほんの二三ヶ月の話だった。進行が止まることは、残酷なようだが、無い。みのもんたが度々水を差すようにシビアな意見を怖い顔で言っていたが、彼の言い分ももっともで、悲しいかなそれが現実なのである。
 着替えが出来なくなり、トイレが出来なくなり、食べることが出来なくなり、会話が出来なくなり、少しずつ人格が崩壊していく様を日々目の当たりにしている者にとっては気休めのようなVTRは、返って残酷で無責任なような気にすらなる。今の職場では家族会が時折開かれる。会の度にご家族が血を吐くような思いを涙を流しながら訴えている。皆疲れているということが、切実に伝わってくる。
 私も十歳の時に父親が倒れて、脳血管性の認知症(正確に言うと高次脳機能障害というのだけれど)になり、再発作を起こし寝たきりになるまでの十一年間、母と共に父の介護をしてきた。(今もしているけどね。)
 はっきり言うと、綺麗事ではない。麻痺こそないけれど、全盲となり、記憶のほとんどを失い、新しいこともなかなか記憶されず、失語で言葉の理解は悪い、字は書けない、数字の概念もない、着替えも出来ない、トイレも一人ではままならない。ついでに強烈な痔主ときている。適当に相手の話にあわすので一見普通に見えるが、話しているとトンチンカンな事ばかり言う。目を離した隙に電話の応対に出て、変な営業にひっかかりそうになったこともある。(最近そういう事件が多いけれど、いわば先駆けです。)
 思春期の、ただでさえ父親をうっとおしく思う時期に排便した後のボコボコの肛門をお湯で洗い流す作業(当時はウォシュレットがなかったの~)や、風呂の介助は正直、物凄く嫌だった。遊びに来た友人との会話にトンチキな合いの手を入れられるのも嫌だった。彼は彼なりに「父親」役を務めようとしていたのだが、反抗期の娘には逆効果だということもわかるはずもなく、しょっちゅう父の言動にイライラしていた。(今は全然平気だけれど、当時は、ほらぁ、私もまだ若かったからね。)
 目を離すと外に出てしまう事もあったので、一人では留守番も出来ない。仕方がないから、母と私のどちらかが必ず家にいなくてはならない生活はハッキリ言って、めちゃめちゃ不便だった。お陰で友人と泊りがけの旅行にはほとんど行けなかった。日曜日の日帰りでも母とのスケジュール調整が必要だったのだ。
 しつこいようだが、綺麗事ではない。当時の私は全てをあきらめなくてはならないのか?とさえ、思っていた。結婚も出産も無理だろう、あきらめようと思っていた時期もある。そのために経済力をつけなくては・・・とガムシャラに突っ走っていた。
 そう、家族はそんな思いを抱くのだ。勿論、本人のつらさ・ストレスはもの凄いと思う。自分が壊れていく恐怖や不安は筆舌に尽くしがたいに違いない。でも、家族は家族で追い詰められていくのだ。自分を殺してまで、この人に尽くさなくてはならないのか・・・そんな思いがよぎるのだ。
 だからこそ、今、私はこの仕事をしている。家族の気持ちが痛いほど理解できるから、自分たちが認めたくないようなネガティブな気持ちがわかるから、この仕事をしている。破裂しそうなほどに膨らんだ家族の心にガス抜きの穴を開けるのが、この私の仕事なのだと思っている。
 介護は自分を殺してまでするようなモノではない。自分が追い詰められたら、大事な人の事もだんだん大事でなくなってくる。父は父、母は母、私は私。それぞれがそれぞれの人生を大切にすべきなのだ。誰かのために、自分の人生をあきらめてはいけない。そんな事をしたら、自分も介護される側も死ぬまで後悔と負い目に苦しむ。
 だからこそ、第三者を、社会資源をたくさん使って欲しい。私たちのような医療従事者を使って欲しい。施設を利用するのは決して愛情がないからではなく、むしろ自分の中の愛情を保つためだと思って欲しい。精神的な距離が近ければ近いほど、見失うことがある。そんな時は思い切って物理的な距離を置いて欲しい。
 父は今年で在宅介護二十七年だ。そのうち十五年は寝たきりだけれど。どんな思いでベッドの上にいるのか。でもこの長い時間の中で、父から学んだことは多い。色んな状況で、色んな事を考えるきっかけや機会を与えてくれた。廃人と言われても仕方がない状態ではあるが、少なくとも父親としての役目を果たしてくれていると思う。
 そう思えるのは私たちを支えてくれる人が大勢いたからだ。心優しい他人に支えられて私たちはここまで来た。
 願わくは、多くの家族がそう思えるように・・・。


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5 コメント

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私も、観ておりました。 (海ねこ)
2006-05-31 05:44:19
ちえぞーさん、おひさしぶりです!



中途半端なところでVTR・・・そうですよね、私も同感でした。



なんだか途中で観るのが辛くなって、最後までみれなかったヘタレな私でしたが。(汗)



ちえぞーさん、お父様のこと長い間、たいへんだったろうとお察しします。

うちは、祖母がいま特別養護老人ホームのお世話になっています。・・・たまーに会っても、孫の顔や名前も忘れ、ぼーっと焦点の合わない目をしているのが、寂しいです。



「介護は自分を殺してまで、するものではない」・・・ほんまにそうですよね。一人だけの肩には、余りにも重いものだと思います。



余談になって申し訳ないですが、出産・子育てにしても、似た思いです。できれば、いろんな人に担い合ってもらって、というのが理想ですね。
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能天気だからね~(汗) (ちえぞー)
2006-06-01 06:24:15
海ネコさま

 お久しぶりでございます。

 うちは、ほれ、家族そろってウカレポンチなものですから、

そうこう言いながらもあまり深刻には悩まない一家で・・・。

 周りの方が必要以上に「可哀想・・・」と思ってくれていたみたいですが(ちょっと皮肉?)。正直、「同情するより金をくれ~!もとい、人手をくれ~!!」という面はありますね。

 それは今現在の育児に関してもそうですけど(笑)。
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Unknown (Unknown)
2006-06-02 13:24:18
この番組の中途半端さは、観ていてちょっと納得がいかない。VTRも流さなきゃいけないんだろうけど、物足りなさを感じる。



本当に介護って家族だけでやっていたら、息が溜まって爆発するかもしれない。訪問先の母(利用者)と娘二人暮らしの家で娘さんと話をしたら「二人で居ると話がかみ合わなくてイライラしてくる」と言っていた。「働いているときが逆に息抜きになる」とも言っていた。他に相談できる家族が居ないので大変だろう。介護制度を利用出来るだけ利用して、自分の時間を持って欲しいと思った。ま、4月からの制度改正で中々そうも行かないか(怒)。
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Unknown (ちえぞー)
2006-06-04 01:25:20
いっちゃんさま

 早速外しておきました。またのお越しをお待ちしております。大変な時期とは思いますが、頑張ってくださいね。



Unknownさま

 同業者とお見受けいたしました(笑)。

 介護保険以外でもなんか手段があるといいのですけど・・・。世間の目やなんかを気にせずに、ばんばん家族が外に信号を送ってくれたらいいんですけどね。結構赤の他人が物凄く親身になって協力してくれたりして・・・。親戚よりも他人の方がよく助けてくれました、うちの場合。

 もっともうちの一番ややこしい時期というのは介護保険導入の遥か以前の話だったので、かえって開き直っていたという一面もあります。

 またお越しくださいませ。

 
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Unknown (takky)
2006-06-05 16:13:41
6月2日のコメント私です。すみません、名前書き忘れていたんですね・・・。今気がつきました  takkyより
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