一度も見た事がなかったが、ドラマ「ラスト・フレンド」の最終回だけ見た。上野樹里が性同一性障害を抱える女の子(?)の役をしていた。
知り合いがやはり性同一障害を抱えていた。彼(彼女だけど)はカミング・アウトしているので回りは男の子として扱っていた。私も男の子として見ようと心がけていた。
深い付き合いの友人ではないが、色々と口では語り尽せない葛藤を抱えて、ストレスを抱えて生きてきたのだなぁ……という事は見て取れた。納得し難い体と心の不一致、外見上は同性でも精神的には異性の友人との恋愛、生まれてから今までその重圧に潰されそうになりながら歩いてきたのだと思うと、切ない気持ちになる。
最近はピーターとか、美輪明宏とか、中村中などと言う、ボーダーレスなアーティストが活躍するようになってきているので、随分と風当たりはマシになっているのかも知れないが、それでもすんなりと彼らを受け入れる程、世間一般は柔軟ではない。まだまだ高い壁がそびえ立っている。
身体的な障害も、認知症も、こういう同一性の障害も含めて、「みんな違って みんないい」と自然に言える世の中が来ればどんなに素敵だろうか……。
知り合いがやはり性同一障害を抱えていた。彼(彼女だけど)はカミング・アウトしているので回りは男の子として扱っていた。私も男の子として見ようと心がけていた。
深い付き合いの友人ではないが、色々と口では語り尽せない葛藤を抱えて、ストレスを抱えて生きてきたのだなぁ……という事は見て取れた。納得し難い体と心の不一致、外見上は同性でも精神的には異性の友人との恋愛、生まれてから今までその重圧に潰されそうになりながら歩いてきたのだと思うと、切ない気持ちになる。
最近はピーターとか、美輪明宏とか、中村中などと言う、ボーダーレスなアーティストが活躍するようになってきているので、随分と風当たりはマシになっているのかも知れないが、それでもすんなりと彼らを受け入れる程、世間一般は柔軟ではない。まだまだ高い壁がそびえ立っている。
身体的な障害も、認知症も、こういう同一性の障害も含めて、「みんな違って みんないい」と自然に言える世の中が来ればどんなに素敵だろうか……。
そういえば一人目の時、道後温泉に行く途中電車の中で乳を放り出していたちえぞーです(笑)。
障害を持つ個体に対する意識はむしろ自然の方が厳しいのかもしれません。それは厳しい生存競争の中で生き残っていく中で、淘汰されてしまうからです。
でも、人は文明という「火」を持っている。それはある意味自然からどこかしら逸脱するためのツールだと思えるのです。だからこそ、足りない部分のある固体を淘汰、排除するのではなく、共同体の力の一つとして受け入れることが出来るんじゃないかと思うのですが……。
いかんせん、文明は高度になっても人間の精神構造はそれほど進歩が無いというところが、人間の弱点なんだろうな~。
そんな事を考えるアナログ人間・ちえぞーなのであります。