悲しみとともに
出てきてしまう嫌な感情
幼い頃から
母の愚痴、悪口、不平不満を聞き続けてきた
会話って、そういうモノだと思い込んでしまった
こういう話は嫌がられると理解できたのは
大人になってから
一緒にいて、楽しい、もっと話したいと思う人は
そんな話しは一切しない
だからって楽しい話しで盛り上げるなんてできない
余計なことを話さない、それだけ
母は、話し相手がいなかった
口を開ければ
誰かの愚痴悪口を言ってしまうし
妬み僻みを言ってしまう
何でも損得で考える
気を紛らわせてほしいと
朝夕通学路で挨拶してあげるボランティアとか行ってみたら
イヤ!
公園の花の世話のボランティアは
イヤ!
公民館の小さな体操サークルも最初は楽しみ
やはり、不満が出てきて行かなくなった
花の教室があるから、1回1500円だけど行ってみたら
イヤ!
人との関わりが苦手だったのか
趣味の園芸も
庭の鉢が盗まれると恨んでた
そういうもの、傘でも何でも捕られるもの
だから防犯カメラがあるんだからと言っても
見えない犯人を恨み続けてた
隣の人との20年ほど前のトラブルも恨み続け
うちを覗いている
盗聴していると思い込んでた
エアコンを買い替えられ
室外機がうちに向いている、嫌がらせだと言い続けてた
うちの室外機も隣向いてる
うちは1台、向こうは2台と、真剣に怒ってた
父が亡くなり借金精算に家を売り
アパートはイヤだと兄にローンを組んでもらい買ってもらった一軒家も
隣が嫌だから出て行くと何度も言って兄を怒らせた
気晴らしにと買い物や遊びに行こうと
車に乗ったとたん、おばあさんが、、、、、お父さんが、、、、、と
20年前に亡くなった姑、30年前に亡くなった夫の恨み辛みが始まる
車を運転しながらため息で黙って聞く
こういう話しを私にだけ延々する
電話が鳴るだけで憂鬱になってた
孫がいると
普通の会話をしようと愛想よくしてるのに
私ひとりなら、機関銃のように捲し立てる
美味しい物を食べてもらおうと持っていくと
物にも触れす延々
ひとりで行くのが嫌になり子どもがいる時に一緒に行くようになった
愚痴不満を、はーはーと聞いてたのが
ここ2年、私も還暦近くなり疲れてきて
我慢できなくなって、怒ってしまうようになってた
半年前、認知症の検査に行った時も
認知症ではないといわれ
どんな人ですか?と聞かれた時
不平不満ばかりで執着し続ける人と母の前で言ってしまった
医師と2人の時に、私が子どもの時から、ずっと愚痴悪口ばかり
もう嫌なんです、しんどいですと言ってしまった
聞いてやってれば良かったと思うけど
やはり、時間が戻ってもしんどい
姑から、これで最期頼むとお金を預かっていたのに
独り暮らしで認知症が出てきて民生委員、福祉課から連絡があった時は
子どものように、イヤです!イヤです!と電話も取らない、居留守する
呼び出されても役所でイヤとごね、市が全部やってくれて遠方の施設に行き
亡くなった時も何もしなかった
それで、復讐は終わったと思っていたけど
終わらず、ずっと別居だったのに姑への恨みは消えなかった
書き込みながら
私に甘えてたんだろうな
でもね、本当にイヤだった
私もね無邪気に遊びたかった
甘えたかった
はしゃぎ方がわからないままおばさんになってしまった
いくら心の傷を癒せず辛かったとしても
聞く方も傷ついてきた
50年以上、同じ愚痴悪口を聞かされてるんだから
今は体に力が入らず
でも、しっかりしなくてはと
散歩には出かけて歩いて筋力だけでも維持してます
こんなこと書き込んでる私も同じなのかな
悲しくて泣いたりしながら
病院に向かう車の中で
やっと愚痴から解放される
そんなこと思ってしまった
それだけ距離が近かったから
いろんな思いがあるんだろうな
薄情な人間です