小春日和

58歳・おひとりさまの日々雑感(*^^*)

嫌な感情

2022年07月26日 17時26分00秒 | つぶやき
悲しみとともに
出てきてしまう嫌な感情



幼い頃から
母の愚痴、悪口、不平不満を聞き続けてきた

会話って、そういうモノだと思い込んでしまった

こういう話は嫌がられると理解できたのは
大人になってから

一緒にいて、楽しい、もっと話したいと思う人は
そんな話しは一切しない

だからって楽しい話しで盛り上げるなんてできない

余計なことを話さない、それだけ



母は、話し相手がいなかった
口を開ければ
誰かの愚痴悪口を言ってしまうし
妬み僻みを言ってしまう
何でも損得で考える

気を紛らわせてほしいと

朝夕通学路で挨拶してあげるボランティアとか行ってみたら
イヤ!

公園の花の世話のボランティアは
イヤ!

公民館の小さな体操サークルも最初は楽しみ
やはり、不満が出てきて行かなくなった

花の教室があるから、1回1500円だけど行ってみたら
イヤ!

人との関わりが苦手だったのか


趣味の園芸も
庭の鉢が盗まれると恨んでた
そういうもの、傘でも何でも捕られるもの
だから防犯カメラがあるんだからと言っても
見えない犯人を恨み続けてた

隣の人との20年ほど前のトラブルも恨み続け
うちを覗いている
盗聴していると思い込んでた
エアコンを買い替えられ
室外機がうちに向いている、嫌がらせだと言い続けてた
うちの室外機も隣向いてる
うちは1台、向こうは2台と、真剣に怒ってた

父が亡くなり借金精算に家を売り
アパートはイヤだと兄にローンを組んでもらい買ってもらった一軒家も
隣が嫌だから出て行くと何度も言って兄を怒らせた


気晴らしにと買い物や遊びに行こうと
車に乗ったとたん、おばあさんが、、、、、お父さんが、、、、、と
20年前に亡くなった姑、30年前に亡くなった夫の恨み辛みが始まる
車を運転しながらため息で黙って聞く

こういう話しを私にだけ延々する
電話が鳴るだけで憂鬱になってた
孫がいると
普通の会話をしようと愛想よくしてるのに
私ひとりなら、機関銃のように捲し立てる

美味しい物を食べてもらおうと持っていくと
物にも触れす延々
ひとりで行くのが嫌になり子どもがいる時に一緒に行くようになった

愚痴不満を、はーはーと聞いてたのが
ここ2年、私も還暦近くなり疲れてきて
我慢できなくなって、怒ってしまうようになってた

半年前、認知症の検査に行った時も
認知症ではないといわれ
どんな人ですか?と聞かれた時
不平不満ばかりで執着し続ける人と母の前で言ってしまった
医師と2人の時に、私が子どもの時から、ずっと愚痴悪口ばかり
もう嫌なんです、しんどいですと言ってしまった

聞いてやってれば良かったと思うけど
やはり、時間が戻ってもしんどい

姑から、これで最期頼むとお金を預かっていたのに
独り暮らしで認知症が出てきて民生委員、福祉課から連絡があった時は
子どものように、イヤです!イヤです!と電話も取らない、居留守する
呼び出されても役所でイヤとごね、市が全部やってくれて遠方の施設に行き
亡くなった時も何もしなかった
それで、復讐は終わったと思っていたけど
終わらず、ずっと別居だったのに姑への恨みは消えなかった



書き込みながら
私に甘えてたんだろうな
でもね、本当にイヤだった

私もね無邪気に遊びたかった
甘えたかった
はしゃぎ方がわからないままおばさんになってしまった


いくら心の傷を癒せず辛かったとしても
聞く方も傷ついてきた
50年以上、同じ愚痴悪口を聞かされてるんだから


今は体に力が入らず
でも、しっかりしなくてはと
散歩には出かけて歩いて筋力だけでも維持してます


こんなこと書き込んでる私も同じなのかな


悲しくて泣いたりしながら
病院に向かう車の中で
やっと愚痴から解放される
そんなこと思ってしまった


それだけ距離が近かったから
いろんな思いがあるんだろうな


薄情な人間です







思い出

2022年07月24日 17時59分00秒 | つぶやき
母との面会時間に
母への手紙に

楽しかったことを話そう、書こうと思っても

思い出せない、ない


兄がおっとりで手をかけ(多分軽度知的障害)
弟が5歳下の末っ子で病弱で可愛がり
私は、ひとりでできるでしょと用事と愚痴の吐け口だった

自営の仕事が忙しく
家事と仕事で子どもと楽しむ時間がなかったのはわかる

思い出そうとしても「なぜ?」という思い出がよみがえる
激しい夫婦喧嘩、父の一方的な暴力
その後、暗い部屋で泣きながら愚痴を延々、学校に行く前から聞かされてた
話し相手がいないにしても
しんどい
幼い時の写真は笑ってない
父がいない時間には、自分の兄弟に電話して延々父の愚痴を話してた

押入れの奥に「いつでも出て行く用意してる」と1人分の荷物を見せられた

いつもの大喧嘩で母がもう出て行きますと私と兄の前で
弟の手をひき出ていこうとする
父が引きずり戻す
弟だけ連れて行くんだと見てた

仲がいい時もあり
そういう時に旅行に行ってた
弟だけ連れて
私と兄は祖母に預けられたり
家で留守番
お正月も楽しそうに旅行してた
お正月に子ども2人、親の旅行の留守番

私達の手が離れると益々出かけてた
北海道から沖縄まで
ずっと不仲でなかった

なぜ、いつも留守番なの?
なぜ、連れて行ってくれないの?
お金がかかるからでしょうけど

そんなことすら言えなかった

小学校の時は
帰宅すると「ハイ、お願い」と弟の子守り
どこにも遊びに行けない
誘われて、行きたいと言っても
今日は、やめといて
結局、誰とも遊びに行けなかった

中学校になり
高校になり
部活中、迎えにくる
部活中、校内放送で呼び出される
帰ってきて、仕事手伝って
部活に行こうとすると
銀行まわってきて
もう部活に行けない、退部

私と兄だけ使われてた

いろんなことに制限され反対され
仕方ないと従い続けてた

思春期になるとダンマリ反抗期
早くに家を出た

結婚して孫ができて
顔が見たいだろうと遊びに行くと
お金のこと(孫や私達の食事)を数回言われて
孫の顔は見たいけど、ご飯を振る舞うのは負担なんだと
それ以降、食事を済ませて行った
実家でご飯はもらわなかった

私が40歳くらいの時
乳がんの疑いがあるって言われてと重く話した時
あっそう、隣の人がこんなことしてきて、、、、、延々

ずっと話せず、もう限界だと
夫が暴れてしんどいと話した時は
あの人はええ人や、もう隣の人が腹立つのよ、、、、、延々

離婚するかも知れないと母と元夫と話しになり
元夫: 実家に帰れ!
 母: 困ります、それは無理です、と拒否される
元夫: お前は行くとこなんかないんだと大笑いされる
嘘でも、元夫から守って欲しかった

この人は私より、自分のこと、自分の都合しかないんだと悲しかった


子どもの時は、家が火事になってないかなと授業中思ってた
燃えてしまったら何か変わると思ってた


子どもの頃も今も、実家に愛着がない

家にいて安らげなかった

暴力に支配されて
ひとりで生きて行けなかった母

母の苦しさもわかるけど
私は嫌だったんだ、ずっと


あなたは甘えてる!
その通りです
けど、心に不満や悔しさが残り続けてる



それでも何とか、面白かったねというネタを探してる



面会

2022年07月24日 11時47分00秒 | つぶやき
2回目の面会

1週間前はしんどいと苦しそうに寝込んでましたが
今回は、ベッドに座らせてもらって
刻み食を食べてました
といっても小さじいっぱい程度を食べて休み、食べて休み

痛みも治まり、点滴効いて良かったな
私が気がつかなくて長いこと我慢させてしまってごめんなと直接謝れた
むくみの足を撫でながら話しました

何度も、迷惑かけて悪いなと言われ
そんなんいいから

タンスの上の右側に◯◯が入ってる
鏡台の前の◯◯を持ってきて

こんな気丈な性格がここまで我慢させてしまったんだろう
そして、今も気を張ってる

食べられるようになったから頑張る!と

良くなった姿を見れたのは嬉しい
けれど、確実に迫っている

初めての点滴、入院で
至れり尽くせり良くしてくれると感謝してました


本人が気を持ち直してくれたことは良かったです


体はグッタリ
電話には神経を尖らせてる日々

今日は、夕方に洗濯物を届けて
それまでに、ゆっくり体を横にして休みます


母は5年くらい前から食生活がインスタント化してた
面倒くさいとスーパーの弁当で済ます日が増えてた
味噌汁作りよ
ボケ予防にもなるからと話してたけど
今回、家を少し片付けようとすると
カップラーメンを段ボールに隠してた
気になってたけど
個人の医院に通院し40年ほど胃薬を飲み続けてた
そのおかげで食欲もあったと思う
薬は4種類くらい
先生のおかげと言ってたけど、本当にそうだったのかな
全て時既に遅しだけど



何がベストかわからないけど

2022年07月22日 18時53分00秒 | つぶやき
母は

民間病院の4人部屋にいます

面会に行っても

人手が足りないのはよくわかります

コロナ対策もあるから尚更

疲れてらっしゃるのか

そういう方なのか


カーテンと白い壁だけのスペース

ここで最期は嫌だと思い

地域の医療センターの緩和病棟に転院したいとお願いしました

すぐ対応して紹介状送ってくれました

返事待ちです

最期の時間を少しでも手厚く

少しでも居心地よくしてやりたいと思いました



何がベストかわかりません



今、できること、それくらいしかありません



去年、秋頃

おかしなことをしてるので

認知症かと精神科に行った

検査では認知症ではない

何年何月に何があったとか話して

認知症の人は何年何月と言えないと

本人も精神科には強い偏見があり

行きたがらなかったので、検査1回で終わった

思えば、病院に連れて行かなければと思ったのは

それが認知症じゃなく

別の病院、検査に連れて行きなさいというメッセージだったんじゃないかと思ったり

あの時は、血液検査と頭のCTだった



一時帰宅に向けて介護保険を使う予定になってたから

市の介護保険担当の人が母とタブレット面会して

私に折り返し確認の連絡があり

あそこまで気がつかなかったんですか?と聞かれ

ハイ、私も体調不良で足が遠のき

熱中症だと思い、病院でも熱中症といわれ、再度の受診でわかりました

言われる通り、気づかなかった

母の気遣いと忍耐と、私の器の小ささとアホさなんです

気づかなかった…これはずっと背負うんでしょうね


去年、5月にステーキ食べて
夏にフレンチのコース食べて
今年のお正月はおせち食べて
元気だった
元気でいてくれると思いこんでたから
わからなかった
気づかなかった

言い訳だけど

命の時間と思いやりを忘れてた




勝手すぎる

2022年07月20日 21時11分00秒 | つぶやき
ひとりがいいと思ってたのに

親が弱りはじて

うろたえてる

誰かと繋がりたいと思う

けれど、誰でもいいというもんじゃない


わかってくれる人


勝手です


ネガティブ

陰気な言葉しか出てこないから

うざいと思われる


こうやって書き込んでる


少しおさまる



今日の担当医師からの話しは

一時帰宅は保留

痛み止めの坐薬が効かないので

麻薬を使います

30年前の父もだった

楽しい夢を見てるかのように寝言を言ってた

母も痛みがやわらいで楽しい夢を見れるのかな


ここまで我慢したのは

心配させたくないという愛情?

今までと違う体に覚悟してた?

高齢だからと、歳のせいと周りが診てしまった

いろんなことを思う

この思いは整理しきれない


とにかく、今は、今できることをします