最近、私は本を読んでいます。
年に何度か、なんだかとても活字が読みたくなる時期があります。
ぐるぐるとした思考や、現実から離れて
本の中に潜り込みます。
出逢った本の1冊はあるジャニーズの人が書いた本でした。
今まで特に特別に思ったことのない人だったのだけど、
1年ちょっと前、「ADHD」とか「アスペルガー」とか「パニック障害」とか
そういうことを調べる機会があった時、彼にもパニック障害があったことを知りました。
華やかな世界にいるようで、実は色んなことと闘っていたのかな、とその時に思った。
彼の感じることに触れたくてその本を読み始めました。
彼は、感性が強くて、豊かで、愛に溢れたまっすぐで本当に素敵な人なんだと知りました。
それ故に、いっぱい無理をして、頑張り過ぎて、沢山心を痛めている人でした。
そしてね、その生き方が、とてもとても美しいなって、思った。
もがいて、もがいて、自分を好きになったり嫌いになったりしながら精一杯生きてる。
そんな姿を誰かに見せることで同じような誰かを救いたいと思っている。
私は沢山共感をして、この人にありがとうのハグをしたいなと思ったの。
全部を見せてくれてありがとうって。
そして、生まれてきてくれて、苦しい中を生きてきてくれて、ありがとうって思った。
そして心から、彼のこれからの人生が幸せでありますようにって思った。
沢山、沢山、満たされる時間がありますようにって。
自分の痛みや傷を人にさらけ出すのはとても勇気がいるし、苦しいことです。
私は昔から人に自分の弱い所や傷を見せることが苦手です。。
でも、今日は私も書こうかな。私の弱い部分。
自分の気持ちを整理しつつ、誰かに届き、少しでも力になれることを願って。
小さい時はずっと空の下で育ちました。
広い空の下、地べたに座り、花や葉を触って育ちました。
いつも気持ちいい風が吹いていました。
いつも犬が傍にいて、いつも温かいいのちが手の届く場所にありました。
少し嫌なことがあっても逃げる場所がありました。
守ってくれる場所がありました。
居て良い場所がありました。
大きな空の下、自然の中は自分の世界に入れる場所でした。
地球に包まれて、肯定されている場所でした。
少しずつ大きくなって「社会」と触れるようになって私の心は時々苦しくなりました。
自分と違う基準を持った人と出逢って。
4歳か5歳の頃、お友達に体重を聞かれて答えた私にその子は「太ってるね」と言いました。
でも、違うって思った。数字だけが「太っている」の基準ではないんじゃないかと。
背の高さも違う。もっとお肉がいっぱいの人をそう言うんじゃないかと。
そして太っていることもそんなに強く否定するほど悪いことじゃないんじゃないかと。
私はがっちりしていてコロコロしているお父さんが大好きだったから。
でも心は重たい石を飲み込んだみたいでした。
小学校に上がって、また色んな衝撃がありました。
人に対して「くさい」とか「きたない」とか言う人がいること。
私の育った家を古くて怖いとか汚いと言う人がいること。
都会から引っ越してきた子が多いからか、私の基準とみんなの基準はとても違って、
疑ったことのない自分自身や私の周りの物たちが急に恥ずかしいとか、
隠さなくてはいけないものに感じて
少しずつ、少しずつ、私の心は小さくなっていきました。
人とチガウ。
人は人をキラウ。
人は人をヒテイスル。
心を許す人が限られていきました。
怖かったから。自分の今までの全部を否定されそうで。
それでも大好きなバスケや陸上が私を解放させたり、支えてくれていました。
夢中になれるものがあり、誇れるものがあったから。
中学になり、高校になり、専門に入り
「自分自身」と「社会」の持っているもののギャップはさらに広がって大きく感じました。
一段と息苦しくなって、気を張り詰め、気を使い、摩擦を避けました。
自分をぐっと奥の方へ押しとどめました。
本当に「傷」が嫌いでした。
小さい時は自然の中に行けば簡単に元に戻っていたものたちが
なんだか上手に戻すことができなくなりました。
心がスカスカしたり、イライラしたり、
上手に埋めたり満たしたりすることができなくなっていきました。
最後に、極めつけに、高校生最後の夏に大きな存在だった人が遠くに逝き、
黒くてどろどろした渦に私達はとり囲まれました。
父が亡くなり、親戚の人がみんな敵になって
音を立てて心が崩れ、もうそれ以上何も痛みを感じないようにと
心がふたを閉じました。
パタンと閉じて鍵を掛けました。
もう苦しみはいりませんよと。
もうお願いだから1人にしてと。
その時の私は、カラカラに乾き、カサカサに荒れ、ただの抜け殻でした。
輪郭だけが存在する、中身のいない、抜け殻でした。
でもね、誰にも弱音が吐けなかった。ボロボロの姿を見せられなかったんだよね。
大丈夫って強がって。
いつの間にか無理することや、思っていることを言わないことが癖になって
人に合わせたり、人が求める人になろうとした。
それが今までの私。
目の前の人が幸せになってくれるなら自分が無理するのは平気って思ってた。
実際に人の為にする努力は全然嫌いじゃない。
でもね、これからはもっと、自分のまんまで生きようって思うの。
自分が無理をした上に成り立つ誰かの幸せじゃなくて、
共に心から笑い合うwin-loseではなくて、win-winの本当の幸せがいいよね。
結局、何が一番書きたいことなんだろう。
上手くまとまらないけど、今日は私の傷を見せたかったんだ。
弱い所、もがいてる所、そしてこれから前へ進んでいこうとしている
そんな私を全部見てほしいなって思って。
私がその本を読んで、自分と似ているなって思って、
なんだか1人じゃないんだなって思えたように
誰かがそんな風に感じてくれたら、嬉しいなって。
こんな感性を持って生まれたことを辛いと思ったことがいっぱいある。
人より色んなことに敏感で、平気な人が羨ましいなって思ったりする。
でもね、こんな私だから気付けることがあって、
きっと救える人がいたりするんだと思う。
人より、上手くできないことが沢山ある。
でも、できることもちゃんとある。
人より凹凸は大きいかもしれないけど、
私っていうパズルのピースだからこそぴったりハマる場所があるんだと思う。
そう、願って、そう、信じています。
私の凸が誰かの凹みを埋めたり出来て、
私の凹みは誰かの得意なことで埋まっていく。
みんながありのままで、自分が貢献できる部分で誰かを支えて、
そんな風に生きていけたらいいなって思う。
長くて重たい文章だったと思うけど、読んでくれてありがとうね。
今日という日が、そして未来が
あなたにとって、そしてみんなにとって本当の幸せに満ちたものでありますように。
年に何度か、なんだかとても活字が読みたくなる時期があります。
ぐるぐるとした思考や、現実から離れて
本の中に潜り込みます。
出逢った本の1冊はあるジャニーズの人が書いた本でした。
今まで特に特別に思ったことのない人だったのだけど、
1年ちょっと前、「ADHD」とか「アスペルガー」とか「パニック障害」とか
そういうことを調べる機会があった時、彼にもパニック障害があったことを知りました。
華やかな世界にいるようで、実は色んなことと闘っていたのかな、とその時に思った。
彼の感じることに触れたくてその本を読み始めました。
彼は、感性が強くて、豊かで、愛に溢れたまっすぐで本当に素敵な人なんだと知りました。
それ故に、いっぱい無理をして、頑張り過ぎて、沢山心を痛めている人でした。
そしてね、その生き方が、とてもとても美しいなって、思った。
もがいて、もがいて、自分を好きになったり嫌いになったりしながら精一杯生きてる。
そんな姿を誰かに見せることで同じような誰かを救いたいと思っている。
私は沢山共感をして、この人にありがとうのハグをしたいなと思ったの。
全部を見せてくれてありがとうって。
そして、生まれてきてくれて、苦しい中を生きてきてくれて、ありがとうって思った。
そして心から、彼のこれからの人生が幸せでありますようにって思った。
沢山、沢山、満たされる時間がありますようにって。
自分の痛みや傷を人にさらけ出すのはとても勇気がいるし、苦しいことです。
私は昔から人に自分の弱い所や傷を見せることが苦手です。。
でも、今日は私も書こうかな。私の弱い部分。
自分の気持ちを整理しつつ、誰かに届き、少しでも力になれることを願って。
小さい時はずっと空の下で育ちました。
広い空の下、地べたに座り、花や葉を触って育ちました。
いつも気持ちいい風が吹いていました。
いつも犬が傍にいて、いつも温かいいのちが手の届く場所にありました。
少し嫌なことがあっても逃げる場所がありました。
守ってくれる場所がありました。
居て良い場所がありました。
大きな空の下、自然の中は自分の世界に入れる場所でした。
地球に包まれて、肯定されている場所でした。
少しずつ大きくなって「社会」と触れるようになって私の心は時々苦しくなりました。
自分と違う基準を持った人と出逢って。
4歳か5歳の頃、お友達に体重を聞かれて答えた私にその子は「太ってるね」と言いました。
でも、違うって思った。数字だけが「太っている」の基準ではないんじゃないかと。
背の高さも違う。もっとお肉がいっぱいの人をそう言うんじゃないかと。
そして太っていることもそんなに強く否定するほど悪いことじゃないんじゃないかと。
私はがっちりしていてコロコロしているお父さんが大好きだったから。
でも心は重たい石を飲み込んだみたいでした。
小学校に上がって、また色んな衝撃がありました。
人に対して「くさい」とか「きたない」とか言う人がいること。
私の育った家を古くて怖いとか汚いと言う人がいること。
都会から引っ越してきた子が多いからか、私の基準とみんなの基準はとても違って、
疑ったことのない自分自身や私の周りの物たちが急に恥ずかしいとか、
隠さなくてはいけないものに感じて
少しずつ、少しずつ、私の心は小さくなっていきました。
人とチガウ。
人は人をキラウ。
人は人をヒテイスル。
心を許す人が限られていきました。
怖かったから。自分の今までの全部を否定されそうで。
それでも大好きなバスケや陸上が私を解放させたり、支えてくれていました。
夢中になれるものがあり、誇れるものがあったから。
中学になり、高校になり、専門に入り
「自分自身」と「社会」の持っているもののギャップはさらに広がって大きく感じました。
一段と息苦しくなって、気を張り詰め、気を使い、摩擦を避けました。
自分をぐっと奥の方へ押しとどめました。
本当に「傷」が嫌いでした。
小さい時は自然の中に行けば簡単に元に戻っていたものたちが
なんだか上手に戻すことができなくなりました。
心がスカスカしたり、イライラしたり、
上手に埋めたり満たしたりすることができなくなっていきました。
最後に、極めつけに、高校生最後の夏に大きな存在だった人が遠くに逝き、
黒くてどろどろした渦に私達はとり囲まれました。
父が亡くなり、親戚の人がみんな敵になって
音を立てて心が崩れ、もうそれ以上何も痛みを感じないようにと
心がふたを閉じました。
パタンと閉じて鍵を掛けました。
もう苦しみはいりませんよと。
もうお願いだから1人にしてと。
その時の私は、カラカラに乾き、カサカサに荒れ、ただの抜け殻でした。
輪郭だけが存在する、中身のいない、抜け殻でした。
でもね、誰にも弱音が吐けなかった。ボロボロの姿を見せられなかったんだよね。
大丈夫って強がって。
いつの間にか無理することや、思っていることを言わないことが癖になって
人に合わせたり、人が求める人になろうとした。
それが今までの私。
目の前の人が幸せになってくれるなら自分が無理するのは平気って思ってた。
実際に人の為にする努力は全然嫌いじゃない。
でもね、これからはもっと、自分のまんまで生きようって思うの。
自分が無理をした上に成り立つ誰かの幸せじゃなくて、
共に心から笑い合うwin-loseではなくて、win-winの本当の幸せがいいよね。
結局、何が一番書きたいことなんだろう。
上手くまとまらないけど、今日は私の傷を見せたかったんだ。
弱い所、もがいてる所、そしてこれから前へ進んでいこうとしている
そんな私を全部見てほしいなって思って。
私がその本を読んで、自分と似ているなって思って、
なんだか1人じゃないんだなって思えたように
誰かがそんな風に感じてくれたら、嬉しいなって。
こんな感性を持って生まれたことを辛いと思ったことがいっぱいある。
人より色んなことに敏感で、平気な人が羨ましいなって思ったりする。
でもね、こんな私だから気付けることがあって、
きっと救える人がいたりするんだと思う。
人より、上手くできないことが沢山ある。
でも、できることもちゃんとある。
人より凹凸は大きいかもしれないけど、
私っていうパズルのピースだからこそぴったりハマる場所があるんだと思う。
そう、願って、そう、信じています。
私の凸が誰かの凹みを埋めたり出来て、
私の凹みは誰かの得意なことで埋まっていく。
みんながありのままで、自分が貢献できる部分で誰かを支えて、
そんな風に生きていけたらいいなって思う。
長くて重たい文章だったと思うけど、読んでくれてありがとうね。
今日という日が、そして未来が
あなたにとって、そしてみんなにとって本当の幸せに満ちたものでありますように。
ちゃんとお礼も説明も相談もできなくて、本当にごめんね。
私が未熟だった部分も大いにあるし、でもいっぱい、いっぱい考えた結果で、私はこの選択で良かったと思っているよ^^
そして、彼と結婚したことも、後悔してないし、みんなで楽しく遊んだのも宝物の思い出です☆(車で縦回転したことも 笑)
歩く道はそれぞれにはなったけど、本当に彼にも感謝しているし、学んだことがいっぱいあって、それはこれからの人生で財産になると思ってるよ^^
ただ、本当に周りにいてくれたみんなには突然に映っただろうし、ちゃんとお礼が言えなかったことが申し訳なかったです。
こうしてまた再会できて話ができたことに感謝だよ^^本当にありがとうね。
彼が困った時、一番近くにいるのはたぶんみんなだと思うので、何かあった時はよろしくお願いします^^
本当だねぇ~人それぞれが持っている凸凹がうまく合わさって、素敵な絵が出来上がるといいなぁー^^
いつも色んなお話をしてくれて、聞いてくれて本当にありがとう。
いきなっちは尊敬する、安心する素敵な存在だよーこれからもよろしくね♪
別れもも突然だったよね
オレの印象としては
いつも笑顔で周りに元気をくれてた
彼から一人になるって聞いた時
理由もわからず唖然としてました
なのに辛かった時期に友達としてひろっちに
何もしてあげれなかった自分がやりきれないです
でも、色々辛かった時期はあったと思うけど
今はとても幸せに過ごしているみたいで
安心してます
ここに書くべきか迷ったけど
力になれなくてごめんね
機会があればお茶でもしましょう
誰だかわかるかな…!?
どんな素敵な絵ができるかな~
出逢いに感謝m(u_u)m