日田 三隈川さんぽ (大分県)

大分県日田市を流れる三隈川、特に中ノ島周辺の風物詩。四季折々の花や鳥や風景をmorisongの写真でご紹介します。

シンポジウム「筑後川流域の陶芸文化と小鹿田皿山」

2012年06月25日 | 三隈川周辺

   [↑写真は手仕事舎パンフより拝借]

昨日24日は、三年前に亡くなった[手仕事舎]の中村さんが撮影した「小鹿田の里」が公開されると知り、パトリア日田に出向いた。
中村さんの奥様にお会いし、まずは先日開催した私の写真展へ見に来て下さったお礼を言った。
中村さんの映画制作に関して奥さんの言うには、もっと良い作品をという妥協しない姿勢が、結果的に映画が完成しなかった一番の原因ではないかと言ってたが、作家なら誰でもそうかもしれないと思った。
フィルム映像は残念ながら見る事が出来なかった。しかし会場に映し出された小鹿田皿山の200カット程のスチールを奥様のナレーションで観ながら、生前の中村さんの姿を昨日の事のように思い出してしまった。



福岡県東峰村の[手仕事舎]田村(本名:中村考一)さん主宰には何度か出向き、日田でも何度かお会いした。
私の手がけたスチールメインの映画「豊後森機関庫物語」の制作時にもヒントを頂いた。

中村さんは、映画監督であるあの新藤兼人やシナリオ作家鈴木尚之に師事し記録映画の世界に入った方だ。
小鹿田(大分県日田市皿山)の全てに感動し、映像作家として20数年前、東京から福岡県の山里(東峰村)に移り住み、そのすぐ近隣の小鹿田の里をずっと撮り続けていた。しかし志半ばで病に倒れた。彼はガンであったが、延命治療を施す事なく自然にまかせて逝ってしまった。



※この未完のフィルムは先月中村さんの遺族より日田市に寄贈されたが、その中に未現像のフィルムが相当あるとのこと。問題はこの中の未現像フィルムである。というのは近々このフィルムを現像する現像所自体が世界中で無くなるとの事。時代の波には勝てない。彼の撮った小鹿田は貴重な資料源であり、このまま葬り去られる事だけは何とかさけ、早急な対応をとっていただきたい。日田市や、現在の田村さんの意思を受け継がれたスタッフの皆さんの手でなんとか編集まで終わらせ小鹿田の里の映画完成までこぎ着けてもらいたいものだ。

このシンポジウム「筑後川流域の陶芸文化と小鹿田皿山」という事で開催されたが、中村さんの写真公開は別として、今ひとつこのテーマの意味がよくわからなかったな~^^;。でも中にはこの場でしか聞けない貴重な話もありとても参考になった!




↑昨日夕方
帰りは土砂降りの雨、三隈川の島内ゲートは3つとも完全解放、凄い水量であった。

↓写真は、土、日、そして今朝撮ったものである。







↑なぜか40数年前の懐かしい散歩道の様^^。(中ノ島河川敷/この左が三隈川)



↑土手にヒメジオンや野いちごが、、



↑おっと!! こいつを食わぬ手はない!
だがしかし食ってみると、酸っぱいし、種が歯と歯の間に詰まる、そうそう、こいつは昔からあまり美味いと感じた事が無かったな。子供の頃もこの小さくて堅い種が歯に詰まった事を今思い出した^^;。















↑一昨日の夕方

↓そして昨日の朝、雨がシトシト、、、。







24日午前中は天満宮の厄神お祓いがあるというのに、だんだん雨がひどくなってきた。普通だったら歩いていくがこの雨、家内と、近所の美女(80代のおばあちゃん二人^^)を車に乗せいざ上野天満宮へ。でも駐車場から神社まではやや距離があり傘をさしてもずぶ濡れ!お祓いはして頂いたものの雨は止まず、結局はみ~んなズブヌレ^^;。

↓24日夕方がこの通り



夜は増水で周りの葦が全て見えなくなっていた。(午前零時頃、窓からどす黒く濁った三隈川を眺めながら、あ~あ、野鳥達がいっぱい巣を作っていた筈だが、これでぜ~んぶ流れてしまった、特にオオヨシキリやセッカの声がずっと聞こえていたので彼らの幼鳥や卵もいっしょに濁流に、、そのせいだろうかmorisongは非常に目覚めが悪かった@@;)

今朝重たい瞼をこすりながら、2階の窓から川を見ると、三隈川の水量は随分減っていた。








 
強い水流で葦がなぎ倒されていたが、幸い人間に被害は及ばなかった。