daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

「モンテクリスト伯」より(下)

2014年10月03日 | 小さな本箱
騎士の心


「かつての婚約者メルセデスと息子アルバート子爵」の事

ダンテスは監獄に幽閉され、婚約者メルセデスをフェルナンに奪われました。
そしてメルセデスはパリ社交界にデビューする息子・アルバートを生みます。
フェルナンは卑劣な手段で財産を築いて、今はモルセール伯爵を名乗ります。
脱獄して帰ってきたダンテスはそんなメルセデスの立場を理解して許します。
欧米人の「個人主義」の考え方は、私たち日本人の意識と異なっているかも。

フェルナンの罪はフェルナン一人に帰すべきモノであって、家族に罪はない。
家族だから、妻だから、息子だからという事では、責任を問われないのです。
即ち、アルバートはフェルナンの息子ですけど、ダンテスが憎むことはない。
ヴィルフィール検事総長の罪も本人限りの物であり、娘には関係ありません。
ダンテスが憎むべきは罪びとが犯した「罪」であって、人間ではありません。

誇り高きモンテクリスト伯爵(ダンテス)はフェルナンの罪を暴いていった。
ただし、罪を暴くのを目的にしたのでは無く、改心を願っていたと思われる。
その根拠は、横領して逃亡したダングラールに最後は生活資金を呉れている。
さて、フェルナンの罪を暴くに際し、アルバートに真実をそれとなく教える。
フェルナンが奴隷に売り飛ばした娘の口からフェルナンの卑劣さを語らせる。

父を殺され、母娘で奴隷に売られ、生き残った娘の悲しさ・悔しさ・恨み…。
汚れなき心のアルバートは、その卑劣な男を非難しつつ、奴隷女に同情する。
卑劣な男が実は自分の父親であったと知ったなら、生きていられただろうか。
それ故か、ダンテスは卑劣な男の名を伏せて、アルバートに知らせなかった。
いずれ、真実を知るにしても、今は心に留めるだけにして置きたかったろう。

だが、ダンテスの気遣いも若いアルバートにたやすく通じないのが現実です。
いや、信じたい父親の隠された闇を知ることなどは、息子としては耐え難い。
否定しようにも否定出来ない証拠が顕れた時、奴隷女の話が甦るアルバート。
誰かを悪者にすることで救われたい思いになるのも人間の悲しい性でしょう。
そんな卑屈な思いに囚われる惨めさに、死んでしまいたいのも人間でしょう。

卑劣な父親を護ることは考えないけれど、名誉を守るにはどうしたら良いか?
自殺を禁じられているキリスト教徒のアルバートはどうしたら良いでしょう?
アルバートは名誉ある死を得るためにモンテクリスト伯に決闘を申し入れる。
決闘は、己が汚した他者の名誉を回復してあげる崇高なる儀式でしょうから、
アルバートの名誉を守るためにモンテクリスト伯は決闘を受ける義務がある。

きっときっときっと、
相手を殺す事を目的とする、即ち己が生き残る事を目的とする決闘と異なり、
騎士道精神に則る決闘は、汚した相手の名誉を回復してあげる儀式なのです。
法廷で雪げる恥であれば、法廷で身の潔白を証明して恥を雪ぐだろうけれど、
法廷で晴らせない恥を受けた者に残された方途は、死ぬ名誉しかありません。
恥を知るアルバートは父親の冤罪を証明しようとして、父親の秘密を知った。

結局、侮辱を受けた者は死んで汚名を晴らそうと、手袋を相手に投げつける。
アルバートも作法に倣ってモンテクリスト伯に手袋を投げつけようとするが、
大好きなモンテクリスト伯であり、母の親友のモンテクリスト伯であります。
悲しみと苦しみの葛藤に躊躇しているアルバートの手から手袋を取り上げて、
名誉の死を与える約束の決闘を承知したことを伝えるモンテクリスト伯です。

この決闘は早撃ち競争でなく、受け手が先に撃つルールだったと創造します。
法廷が存在しない社会の決闘は、早撃ちで勝った無法者が正義だったのです。
剣を使用しての決闘では、剣の手だれが弱い者を殺す正義が通ったでしょう。
法廷が存在したパリ社会での正義は法廷闘争によって判断されたと考えたい。
ナポレオン在世当時のパリの決闘にデュマが見たモノは名誉の死と思いたい。

翌朝の決闘の約束がなされるけれど、メルセデスがダンテスを訪ねてきます。
ダンテスのかつての婚約者メルセデスは息子アルバートの命乞いに懸命です。
ダンテスは射撃を外し、己の死と引きかえにアルバートを助ける事にします。


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