daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

解放(7/7)

2014年10月16日 | 詩篇
             


 真直ぐ往けと白痴が指しぬ秋の道   草田男


この句は草田男の自句自解が付いているらしいがどこにもない
句から自句自解を切り離して問題ないと考えているのだろうか?
草田男もそのような無責任な言動をする人間だったのだろうか?
白痴が道を指差した‥と書いてある説明は一つ見つかったが、
そのほかはドコを指したと書かれていない‥正しいのはどちら?
自句自解は句とセットであると私は考えているが間違いなのか?
自句自解は平仮名一文字だけでも意味が変わると考えるべきで、
それゆえ、自句自解は初めから無いものとして読むことにする。


さて、
ネットで遊んでいて出合った草田男の句は御存じか知れないね
句意をアレコレ捻りまわすのは知識を持て余してる人なのかな
あるいはあなたのトラウマかも知れないからね‥解放しなきゃ
そんなことを想ってしまうのはこれはいったいどうしたワケか
同病相哀れむ‥同じ社会に住む者同士は理解しあうのが普通だ
つまり、私も同じようなものですから仲良くしようねって意味。

この句のフレーズ「白痴」はインパクトが強くて囚われやすい
あなたが囚われたことを責める意味はない‥草田男も囚われた
人間愛を感じる人もいるようだが人は其々‥それも理解したい
白痴をドストエフスキーの小説「白痴」と被らせる俳人もいた
この句に、草田男の深淵さを改めて認識し直したって構わない
真っ直ぐで合ってるか‥とか考えあぐねた人もいるのじゃない?

(A)私はしかし皆のように難しく考えない
①草田男が村人に道を問うていた、その時だ。
②傍らにいた白痴の人が草田男を指差したんだな
③己を真っ直ぐに指されて草田男はたじろいだのでしょうね
それだけのことですよ。蛇足的に付け足すなら‥
④小学校の時、出来の悪い草田男は先生に何回も指差された
「おい、草田男、脇目をするな、真面目にやれ」‥だろうな
何年ぶり、何十年ぶりに指差されて先生の指導を想い出した
先生が他者の身体を借りて現われて叱ったように想ったんだ
それを啓示と捉えた草田男‥あなたの啓示は意味が違うだろ?

偏見や傲慢や憶病などの心に囚われないで俳句をしませんか?
ふふっ、草田男が私に乗り移って叱ってるのじゃないぜよ。:-)
迷える羊の写真はうっかり間違えて載せることにしましたぜ。(笑)


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次のアドレスの草田男の自句自解に「道を指し示した」を確認。

https://note.mu/s_maori/n/n4c6709fcdea8  白痴の道 「村人に道順を尋ねた所、たまたま村人の傍に居た一人の白痴が、その指で道を真直ぐに指し示した。その瞬間的動作から一種の啓示を得て句が生まれた」
http://kurohime.japan-mind.net/kurohime_400.html  黒姫俳句界「村人に道順を尋ねた所、たまたま村人の傍に居た一人の白痴(現代の遅進障害児)が、その指で道を真直ぐに指し示した。その瞬間的動作から一種の啓示を得て句が生まれた」
   黒姫俳句界「ある日、田舎道を一人で歩いていた。村人に自分の行先を告げ、そこへ行く道順を尋ねた所、たまたま村人の傍に居た一人の白痴(現代の遅進障害児)が、その指で道を真直ぐに指し示した。その瞬間的動作から一種の啓示を得てこの句が生まれた」
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(以下、「道を指し示した」で解釈しておく) 10月16日19:30

 真直ぐ往けと白痴が指しぬ秋の道   草田男

(B)この場合も私は難しく考えないな
①草田男が村人に道を問うていた、その時だ。
②傍らにいた人が道を指差して脇目を振らず往けと言った。
③たしかにそうだ。道は馬鹿正直に往くものだからね。

それにしても(A)と(B)でどちらが優れているだろうか?
道を指し示す必要があるだろうか?
脇目を振らずに一所懸命に往くべき道に変わりはない。
(A)の場合は指した指が「真直ぐ往け」と言ってるのであり、
(B)だと「真直ぐ往け」と誰が言ったかスッキリしていない。
結局、「道を指した」という草田男の説明は蛇足でしかない。



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