タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

リハビリテーションを暑苦しく語ってみる。

2009-11-29 06:10:03 | 理学療法・リハビリテーション
理学療法士という言葉はブルキナベにもイマイチ通じなかったようだが、
実は日本でもあまり通じない。

「理学療法士をしています」 → 「・・・!?!?」
「リハビリ関係の仕事です」 → 「あぁ」

だいたいこんな感じ。
「リハビリ」と名を出すと90%以上の人が一応反応してくれますが、リハビリ=機能訓練と思っている人もまだまだ多いのが現状です。
理学療法士は英語でPhysical Therapisitというので、PTということが多いですね。

PTはじめセラピスト達は機能訓練ももちろんしますが、それが全てではありません。
(セラピストにはPTのほかに作業療法士;OTや言語聴覚士;STなどがいます)

そもそも「リハビリテーション」はre-habilitation 。
re;再び
habilitation:社会復帰
体が動くとか動かないとかの問題ではなく、社会参加を支援するという位置づけなんです。
一般的にはリハビリテーションは「医学的」「教育的」「職業的」「社会的」の4つに分類されていて、正確に言えば理学療法は医学的リハビリテーションの一部ということになります。

リハビリテーション医学は別名「プラスの医学」。
身体的にどんなに不利があろうが、プラスに変えられるタネを見つけて活かしていこうとします。
そのタネが例え一つでも二つでも、吹けば飛びそうなものだとしても。
タネを育てるだけでなく、そもそものタネ探しやどういうケアをして活かそうかという方針きめも大事な仕事だったりします(通常多職種集まってやります)。

例えば、切断だとかで体の一部がないというケース。
ない身体は生えるわけではないので、そこはあきらめるしかありません。
「いつか生えてきますから!」なんていったって無理。
まあそのうちそういう治療法もできるかもしれないですけども、現時点では無理なもんは無理!
でも残りの体をうまく使ったり、環境を調整したりすることでリハビリテートできる。
「五体不満足」なんて本もありましたよね。
わりとイメージしやすいように思います。

同じように脳卒中片麻痺の場合。
この場合ははじめは動かなかった体が動くようになります。
動くようになることを目指して機能訓練する価値がある。
脳卒中を患ってから、教科書的には半年以内が機能回復のゴールデンタイムとされていて、セラピストも患者さんも本当にもう必死に頑張ります。
でも完全に戻りきらず何らかの麻痺が残ることも多々あるわけです。

最初に発症した時点で医師はCTやMRIなんかを見ながら「かなり重症な後遺症が残ります」なんて感じで予後予測しますが、これを鵜呑みにしているセラピストはあまりいません(笑)

「こりゃ素人目にもひどいわー」というようなCTだったりMRIだとしても、
「でもこの場所の血流は残っていそうだから、この機能は生きているんじゃないか」と考えてみたり。
あとは「家族が毎日きているようだから、機能回復に有効な関わり方を教えてあげたら効果がでるかも」と考えたり、、。

すべてを希望的に考えているわけでなく現実はしっかり受け止めますが、
その中でも「何か」がないかと常にアンテナを立てているのがセラピスト。
何より患者さんの身体が発しているメッセージを直にキャッチできる職種であるのが強みです。

予後予測は大事で、さっきの体の一部がないケースみたいにどうしたってかなわないことに期待するのは、犯罪レベルの詐欺です(と私は思っています)。
でもわずかでも可能性があるのなら、とことんチャレンジしてみる価値がある。
まずこの見極めがとても大事な仕事になるわけです。

そうこうして、これ以上はもう麻痺が回復しない、という状態になったとしましょう。さてその場合、、。

麻痺の残る体でも、うまく動けるような練習をしてみたり(1)、
動かない身体をサポートする器具をつかったり、環境調整をしたり(2)、
社会的な支援体制をつかったり(3)
そんなこんなして体が動かなくても社会参加できるようにしていくわけです。
実際の現場では、機能訓練と(1)~(3)が錯綜しながらすすむわけですが。

(1)に関しては、麻痺がなくてもスポーツなど練習するとスキルアップするのと同じです。聞き手交換なんていって、動かない右手に変えて左手を活用するなんて手もあります。

(2)は車椅子とか、自助具とか、エレベータとか、、いろいろあります。家具の配置を変えただけで、一人で移動できるようになる人とかもいます。
福祉住環境なんてのがまさにこの分野ですね~。
考え方によっては建築家もリハビリテーション従事者といえるかもしれない。

(3)は公的な支援だったり家族が行うようなインフォーマルな支援だったりしますが、ヘルパーさんに手伝ってもらうとか、色んな支援体制がありますね。

何をどう組み合わせたらこの人がよりよい人生を生きていけるだろうか?と頭をひねるのも理学療法士の仕事のうち。
理学療法士一人の意見で方針がきまっていくわけではないですが、関わる職種皆がこうやって頭をひねってディスカッションしていい方向にもっていこうとするんです。

それに脳卒中みたいな血管系の病気になった=再発や心筋梗塞の危険と常に隣り合わせですから、予防的な関わりもうまく取り込みながら接していかねばならない。



ね?理学療法士は機能訓練だけする人ではないでしょう?
(と大きくでてみたが、うまく伝わったかな、、、)



そもそも、私が理学療法士という職業を知ったのは中学生のときでした。
伯父が急に倒れた。悪性の脳腫瘍でした。
手術をしてリハビリ(関節をほぐす運動や歩行訓練)もしていたけど、痙攣発作を起すたびに動けなくなり、しゃべれなくなり、1年半後になくなりました。
50歳前でした。

私は伯父がなくなったあとで、倒れた時点で余命1年半と宣告されていた事を知りました。
そして、伯父のリハビリの担当だった人・・・理学療法士です・・・が嫌いになりました。

伯父は歩行訓練が苦痛だったようです。
送迎をしていた家族も「痛そうで見てられない」といった具合。
だいたい病院に行くまでの移動が大変そうでした。
家には階段もあるし、手すりがないところもあるし、冬は寒いし、送迎する家族だってしんどかったはずです。

歩行訓練したところで、家で歩くわけではありません。
外で散々苦しい思いをして動く気力もなかったのかな、と今はそう思います。

もう先が長くないとわかっていて、生活に活かされもしない歩行訓練をする価値がどこにあるのでしょう?
他にもっと必要なことがあったんじゃないか?
担当理学療法士は何を考えて伯父の歩行訓練をしていたんだか!!

「全くわけわからん仕事だなー」と気にはなっていました。
高校生になって進路を考える時期。
いろいろ調べていたら理学療法士の仕事、私のイメージと理念が違う。
これが本当ならいい仕事なんじゃないの?伯父のケースは間違い・・?

真相を確かめるべく、理学療法学科に入学。
(理学部生物系を受験できなかったという事情もありつつね・・)

伯父の担当セラピストと直接対決したことはありませんが、
やっぱり間違いケースだったといまだにそう思っている私です。


とにかく!
リハビリテーションは奥が深いんですよ!!(全然まとまってない・・)
人の数だけ考え方も価値観も違うので、正解なんてあるわけもなく、それでもbetter、bestを目指して奮闘する、そんな感じでしょうか。

漠然としているけど、何かいい動きが作れたらうれしいなと思ってます。


ちょっと暑苦しすぎでした・・!?









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