(=^・^=)私と暮らした猫たち

ー失敗を重ねて7匹めー

一ヶ月

2025年02月14日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

明日でネコさんを見送って一ヶ月になる。

早いのか遅いのかわからない・・・。

 

ニンゲンだと月命日というのは特別な日。

父が亡くなった時、母が『月命日にお寺さんにお経をあげてもらい、お墓参りをする』と決めた。

そうでもしないと、ずぼらな私達家族は仏壇にホコリがたまり、お墓の花は枯れっぱなしでひどい事になる。

だから毎月お経あげて貰って、お墓に行く!ときっぱりと言った。

結局、13回忌くらいまでは毎月来てもらっていたので、なんとなく習慣になって、今でも月命日近くにはお墓に行く。

でも月に一回だとお花は枯れているけどね。

 

それで、祥月命日にはお酒が好きなお坊さんに持ち帰ってもらう一升瓶をお供えしていたっけ。

 

明日のネコさんの月命日はダンナの仕事についていくので、ブログは書けないなあ、と思っていたら

なぜか45年も前に亡くなった父の事を思い出した。

明日で一ヶ月か・・・。

 

 

 

 

 

 

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写真が増えない

2025年02月13日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

当たり前な話。

ネコさんの写真が増えない。

スマホにもデジカメにも。

ブログを書くたびに、写真を選んでアップロードしてたのに今の私は古い画像から探すことしかできない。

今、一番新しくgooに入っているのは・・・これ。

ばあさんが付き添っていた、もう動けないネコさんだ。

亡くなった後、花といっしょにダンボール箱に入れた姿を撮っておこうかと思ったけれど、できなかった。

危篤状態の画像も、どうしても撮れなかった。

だから、これが最後の写真。

動けないけれどまだ意識はしっかりしてたネコさんと、愛おしそうに背中を撫でていた母。

 

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戻れるものなら

2025年02月12日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

人生のどこかの時点まで戻ってやり直せるなら・・・中学くらいからかな。

高校卒業の頃でもいいかな。

そうしたら、専門学校なんか行かず、普通に短大行って、超絶ブラックの接客業なんかじゃなくて普通の会社に入って・・・

そんな話を妹としていたら、「そこからまたここまで生きるのはめんどくさい」と言われた。

そうだなあ・・・。

やり直しで選んだ道が絶対楽しいとは限らないもんなあ。

振り返ってみれば私の長いつきあいの友達って、専門学校やブラック接客業の頃の子が圧倒的に多い。

共に学び、共に苦労した仲間っていうのはかけがえのない財産なんだろうな・・・。

 

でも、本当にどこかに一度だけ戻れるなら、ネコさんを拾ったあの日に戻ってやり直したいと思う。

「敷居が高い」なんて言わずに、最初から設備の整ったあの病院をかかりつけ医にしておけば・・・

色々なおもちゃを買ってやりたかった。キャットタワーも買ってやりたかった。

ネコちぐらや、トンネルや・・。

そんな事ばかり考えている。

やり直せないのが人生なんだよな・・・。

 

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ペットを飼うという事

2025年02月11日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

職場での雑談で、

「年齢的にもうネコは飼えない」と言う私に「まだもう一匹は飼えるだろう」というご意見が出た。

ニンゲンの平均寿命とネコの平均寿命を考えればたしかに次のネコを飼えるかも知れない。

でも・・・この10年後、そのネコさんが同じ病気になった時、今と同じように私が車を運転して病院に通えるか?

そして何より年金暮らしになって、そんな経済力が私達にあるわけない。

別れの覚悟もしなければならないし。

10年後の自分がこの辛い別れに耐えれるか?

 

ペットを飼うという事は10年先、20年先を見て考える話で、自然とそれは自分の残りの人生を見つめる事になるのだな。

色々な事を思う私はまだ全然立ち直っていない・・・。

49日まではこんなだけどネコさんも許してくれるよね。

この顔が好き。

 

 

 

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こんなに寂しいなんて

2025年02月10日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

どうしたことか・・・今になって寂しくってたまらない。

先代ネコを亡くした時のような、罪悪感も後悔もないのに、寂しくって寂しくって。

ふと名前を呼んでみたり、急に泣けてきたり。

 

昨日、ケージを片付けた。

何もかも残しておきたい人方が多いだろうけど、私は処分する方だ。

見ると苦しくなるので。

 

キャリーは壊れているから捨てる。

ゴハンのお皿と水の入れ物は・・・このネコさんの物は捨てようと思う。

代々のネコたちのは、処分しなかったものもある。

次の子を飼うつもりだったので。

もう年齢的に飼えない。

でも・・・

ケージとトイレは片付けるけれど、、捨てないでおこうと思う。

もしかして、どこかのネコを預かる事はあるかも知れない。

 

キャット喫茶とかは・・・あまり行こうと思わないなあ。

私はネコと一緒に暮らしたいんだよ。

「ただいま」と帰った時に出迎えてくれて、一緒に寝て。

同じ屋根の下で暮らしたいんだよ。

 

こんなに小さかったネコがこんなに大きくなった。

そして・・病院に通い続けたキャリーは壊れた。

 

 

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あの日の涙

2025年02月06日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

あの日、主治医の先生から「これで治療を終わりにしましょう」と言われた日。

覚悟もしていたし、わかっていた事で普通に先生とお話したのに、帰りの車で声をあげて泣いたあの日の涙。

 

もうダメだ、とわかっていても、「もう楽になっていいよ」と言っていても、

私はまだどこかで、今度の点滴で何か食べてくれるかも。

3度目の奇跡がおきるかも、と少しは期待していたのかも知れない。

頭ではわかっていても、心がわかろうとしていなかったような気がする。

 

先生の言葉は・・・ある意味「最後通告」で・・・

あの日の私の涙は、『絶望の涙』だったのだな、と今になって思う。

長年使っていたこの遠赤ストーブが壊れた。

ネコさんがいなくなって、役目を終えたのか、『バチッ』と消えて点かなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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この闘病を振り返って

2025年02月05日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

ネコさんのリンパ腫の闘病生活を振り返って・・・

 

最初、まだ「鼻腔炎」と言われていた最初の病院でせっせと注射に通っていた。

抗生剤と他2本。。。3000円。

良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、最後は一日おきに通ってた気がする。

このままずっと、毎日注射に通ってもいい、と思っていた。

一回3000円かかっても、毎日でもそれなりに食べて、寝て・・・生きていてくれればそれでもいい、と思っていた。

 

転院してリンパ腫と言われ、抗がん剤を毎月打っていた時も、このまま生きていてくれるならそれでもいい、と。

抗がん剤だけじゃなく、週2の点滴が始まっても、

治療さえしていればゴハンも食べ、物干しで日なたぼっこできるのならそれでいいと。

 

まったく食べ物を口にしなくなっても、水を飲んで点滴を打って、生きていた最後の一ヶ月。

食べないけれど普通のネコのように歩きまわっていた時も、こうして生きていられるならそれでもいいと。

 

日に日に弱っていくネコさんが自分のケージにふらふらと行って、

用意されているゴハンを食べようとするわけでもなく、並べられたお皿をただ見つめている姿を見た時に

もういい、もういいよ、と初めて思った。

お転婆だった子猫の頃。ケージの屋根の上に乗っていた。

 

 

 

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獣医さん

2025年02月04日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

このネコが最後、と決めて飼ったネコさんの主治医として一緒にリンパ腫と戦ってくれた先生は

業界でも有名な名医なんだそうだ。

 

長く我が家のペット達を診てくれていた、私が信頼していた先生(故人)の所へしろにゃんが腎臓病の治療に通っていた時、

亡くなる前の最後の診察の時、連れて行ったばあさんに「こうなったら・・・こうしてあげて・・・」

とされた説明が看取り方だったという。

その先生に市の火葬場でペットも受け付けている、と教えてもらった。

 

キョーボーネコの主治医の先生も、ネコさんの顔を見て「これで終わりにしましょう」と言った通り、

次の通院日にはもう危篤状態だった。

ネコさんを荼毘にした日、ダンナ、妹、私の3人で報告とお礼に行った。

先生は笑顔で迎えててくれ「こんなにがんばってくれるとは思わなかった」と旅立ったネコさんの頑張りを褒めてくれてた。

「先生はネコの顔を見て月曜日にはこうなるってわかったのですか?」

と聞いた私に

「いや、なんとなく、ね」と。

 

獣医さん、すごいな。

ニンゲンの普通のお医者さんのように、色々な検査器具をつけて血圧や脈拍を調べてるわけでもないのに。

我が家のネコさん達は最後にいい先生に診て貰えて、幸運だったよね。

しろにゃん。

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考えてみれば、同じ失敗をしていた

2025年02月01日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

先代ネコは「c/d」のドライフードを食べていたので、行きつけの動物病院に毎月買いに行っていた。

ある日、受付のお姉さんが目を真っ赤にして「先生が亡くなったので、処方箋がだせない」・・・と。

毎日のキャットフードだから、急いで代わりの病院を探した。

そして、ばあさんが自転車で通える範囲に見つけた、女医先生が一人でやってる小さな病院に通う事にした。

 

『腹腔内リンパ腫』に罹った時・・・先生の診断がなんか違うような気がして、

それでも転院と言う判断が『ここまでお世話になって申し訳ない』気持ちが勝ってできなくて、

結局転院した時には余命一ヶ月。

 

今回は反省をこめて『ガンに強い』と言われている少し遠くの病院に通っていたのに、結局リンパ腫は見つけてもらえなかった。

私が設備のある病院での検査を希望した時、先生は賛成していたのに、私が二の足を踏んだ。

生まれた時から見てもらってた先生、ここで最後まで、と思ってしまった。

義理と設備の整った病院は敷居が高いというつまらない理由で。

どちらの先生も誤診だったとは思っていません。検査する設備がなかっただけ。

 

先生が「こんなに頑張ってくれるとは思わなかった」と言うほど頑張ったネコさんなら

もっと早く転院していればまだ生きていたかもしれない。

それどころか、こんなに抗がん剤が効くなら、寛解だってしたかも知れない。

遺影・・・

 

 

 

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私が何も食べないネコさんに点滴を続けた訳

2025年01月30日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

私が尊敬していた、長年我が家のペットを診てくれていた獣医さん。(すでに鬼籍)

先生に言われた色々の言葉は、今でも私の心の中に残っている。

「動物が物を食べるのは生きたいという事」

だから、食べなくなった時に治療は終わりにしようと思っていたのに、

何も食べなくなったネコさんに一ヶ月も点滴を続けた、その訳を書こうと思う。

 

このネコさんは奇跡的な復活を2回した。

転院してきた時と、春に抗がん剤を変えてもらって死にかけた時。

2週間も何も口にしなかったネコさんがカリカリの上のおかかを口にした。

長い闘病生活の中で一番嬉しかったよ。

それをきっかけにまた食べ始め、元気を取り戻した。

だから、また突然食べるかも知れない、明日は食べるかも知れない、と思いながら点滴に通った。

どんどん痩せていく姿に、もう復活はないな、とあきらめてからも水は飲んでいたから、生きたいのだ、と思って。

点滴がラクになるっていうのは自分で経験して知っていたから。

水を飲むっていう事は身体が水を欲しがってるのだ、と思ってた。

点滴で脱水を和らげてやるのだ、と。

リンパ腫を患ってからは物干しの上を歩くこともなくなった。

庇に下りる事もなくなった。

 

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