(=^・^=)私と暮らした猫たち

ー失敗を重ねて7匹めー

そしてまた3・11。

2025年03月11日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

あの日から14年。

あの年から14年。

 

3月10日に伯母を亡くし、4月に先代ネコを亡くし、5月に伯母の後を追うように伯父が逝った。

とんでもない年だった。

 

遠く離れた私の町にも届いた長い、気持ちの悪い眩暈のような揺れ。

テレビに写される惨憺たる悲劇。

 

お風呂で心臓麻痺をおこしそのまま帰らぬ人となった伯母の、プツリと途絶えた日常そのままの家。

明日のために用意されたお味噌汁の具と枕元のラジオ。

腹腔内リンパ腫で、死を目前にした先代ネコの痩せた背中。

魂を抜かれたような葬儀場での伯父の顔。

 

14年経っても鮮明に思い出す、それが私の3・11。

すべての失われた命に合掌。

もうこの子もいない。

震災の翌年出会った。5月の冷たい雨の日だった。

 

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3月10日は特別な日

2025年03月10日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

3月10日は東京大空襲のあった日なんですね。

『戦争』の話は色々読んだり、テレビで見たりしてたのに、もちろん東京大空襲の悲惨さは知っていたけど、

それが3月10日だとは覚えていなかった。

そうか、今日はそんなに大勢の人がいちどに亡くなった日だったんだ。

 

10日は交通事故ゼロの日。

そして、伯母の命日です。

亡くなった伯母の長女、私の従姉の家のネコさん。

お年寄りだったから・・・もういないかも。

従姉にも久しく会っっていないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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何故か覚えているあの場面、あの姿

2025年03月07日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

さて初心に戻り、代々の我が家のネコさんたちの思い出を語ろうかと思うのです。

と言っても何だかたくさんあるようで、ないような・・・忘れちゃった~・・ような(笑)

キョーボーネコに上書きされちゃったか

 

ただ、なぜか覚えているひとコマっていうのはあって、今日は一番最初のネコの忘れられない姿を書こうかと思います。

最初のクロはもう45年以上前(よく覚えていないけど高校生の時)に子猫で迎え、中猫くらいの頃足に大きなケガをした。

当時まだネコは外を歩き回っていた時代、足にコールタールをつけて帰ってきて、私がくつしたを履かせ、

輪ゴムで留めたのが原因で前足が壊死しそうになったのです。

もう完全に私の責任。

毎日注射に通って、完治できたけれど。

こたつに入っていたのだから寒い時期だったんだな。

 

ビッコをひきながら炬燵に入りに来た。

少しすると暑くなるのか、反対側から出て行ってしばらくするとまた入りに来る。

その、一生懸命に歩いて来る姿は私の心にしっかり残っています。

これはノラ生活の後、帰ってきた写真。

こ、こわい。

でも、甘えん坊な可愛いネコだった、家族には。

子猫の時は本当に可愛いネコだったよ。

 

 

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49日

2025年03月05日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

ネコさんはニンゲンじゃないので、49日のお経のお知らせがお寺から来る事もない。

私が普通に数えたら今日が49日じゃないか?

次の日から数えるのか当日から数えるのか、他のルールがあるのかは知らないけど。

 

49日が過ぎたらもう前をむいて歩こう、と決めていた。

私がいつまでもグズグズ泣いていると、空の上で先代ネコとキョーボーネコが心配する。

そして二人で話し合って、「じゃあやり直せ」ってまた次のネコを送り込んでくるかも知れない。

噛みつきネコだった先代が送り込んできたのはこのキョーボー・・・

次に来るのはどんな恐ろしいネコだ

もしかしたら間違ってトラの子供が来ちゃうかも知れないぞ

 

今回、先代ネコの時のような「ネコの話をしては泣く」って事が少なかったのは、

ここに気持ちを吐き出せていたおかげだったと思う。

みなさんが、これを読んでくれているおかげだったと思う。

いつの間にかキョーボーネコブログ、そして闘病記になっていたけれど、ここは私と暮らしてくれたネコ達を懐かしむ場所だった。

 

だから、まだまだ、キョーボーネコの思い出も書いていくだろうけど、もう虹の橋の向こうに行った他の6匹と同じ。

いつまでもグズグズ引きずらないよ。

安心してみんなの所に行くんだよ。

みんなに会ったら「ふ~」とか「がー」なんて言わないように

 

 

 

 

 

 

 

 

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食べなくなった病ネコさん達

2025年03月04日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

我が家では4匹のネコさんを家で看取ってきたわけだが・・・。(3匹は行方不明)

最初のクロネコの時は母が看ていたので、食欲がどうだったかとかは良く知らない。

シロにゃんは腎臓が悪く、ゴハンを欲しがり顔を近づけて食べようとするのだけど、食べなかった。

食べられなかったのだと思う。

最期は、身体に悪いといわれているニンゲンの食べる物をあげてもみた。

 

先代ネコは・・・腸が通らなくて吐いてしまうので、少しづつにして・・いつもお腹を空かせていたような気がする。

ニンゲンのものなど見向きもしなかったのに、盗み食いするようになった。

ネコには吐いて苦しいのは、たくさん食べるからだという事がわからないもんね。

 

キョーボーネコは顔を近づける事もなく、ゴハンの前に座って見つめていた。

ただ、見ていた。

もう何も食べたくなかったのかも知れない。

 

こうしてみると食べたくて食べさせてもらえなくて、お腹を空かせていた先代ネコが一番可哀そうだったね。

最期の日、スプーン2杯くらいのウエットフードがキレイに舐めてあった。

シロにゃんは食べたかったのかも知れないけど、自分から食べなかったわけだし、食べさせて貰えなかったよりマシだ。

キョーボーさんは・・・食べたくなかったのなら・・・それはそれでよかったのかも。

 

一ヶ月、毎日食べないカリカリとウエットフードやスープを取り替えるのは辛かったけど・・・。

 

3匹、それぞれの闘病だった。

 

 

 

 

 

 

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楽しかった所をまわっていた

2025年03月03日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

ネコさんが何も食べなくなってからの一ヶ月。

ケージのゴハン皿に並べられた好物を、ただじっと見つめていたのが淋しそうでかわいそうだった。

かわいそうでかわいそうで・・・と言う私に妹が言った。

「寂しく見ていたのではなく『もう食べないのにいつもゴハンがあって、嬉しいなあ』と見ていたんだ」と。

「ネコさんは旅立つ前に、自分が好きだった場所をまわっていたんだ」と。

確かに、2階の和室の日の当たる場所や、廊下のお気に入りの籠にもいた。

お風呂の焚口も、暖かい場所だった。

昼間はばあさんといっしょに居間に、夜は休み休み階段を登って私達の部屋に来た。

私が玄関を開けたら、そこで待ち構えていてヨロヨロ出てきた事もあった。

室内飼いだったネコさんは元気な頃、隙をみて外へ出た。(すぐに捕まる)

 

そういえば、先代ネコもいつも遊びに行っていた従兄の家に最後に行こうとしていたな。

先代ネコ。本当によく似ている写真がある。

 

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今はまだ、何も考えられない

2025年02月28日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

友達からラインがきて「保護ネコボランティアがネコの譲渡ではなく、預かりのような事をやっている」

と教えてくれた。

彼女自身ボランティア活動をしていて、『ミルクボランティア』という赤ちゃんネコを離乳させて譲渡会に出す活動をしていた。

けっきょく病気持ちで行く先が決まらなかったネコをそのまま『譲渡』という形をとって飼っている。

 

『ネコの預かり』というのはボランティア団体からネコさんを預かって、餌代とネコ砂は自分で用意。

医療費がかかる場合はボランティア団体が払ってくれて、

自分が病気になったり飼えない事情ができた時はお返しできるのだそうだ。

ボランティア団体も保護ネコが増えすぎてるのだろうか。

 

いいお話だとは思うけれど今の私にはとても他のネコさんを迎える事は考えられない。

だいたい、まだホームセンタのネコグッズ売り場が歩けないんだよ。

 

ところで、ボラ団体の方がネコ預けたまま解散なんて事にはならないだろうか・・・。

旅先にいた茶トラ

 

 

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ネコの匂い

2025年02月27日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

日なたで寝ているネコは、お日様の匂いがする。

ちょっと埃くさいような、あの優しい匂いが好きだった。

 

腎臓を悪くして、長い間病院通いをしていたシロにゃんは、亡くなる数日前から酸っぱいような匂いがしていた。

腹腔内リンパ腫だった先代ネコも、同じ酸っぱいような匂いがして数日で逝った。

思い起こせば、最初に飼ったクロネコも同じ匂いがしていたよ。

クロの頃は、ネコはみんな自由に外を歩いていて近所のボスネコとケンカしてばかりしていた。

傷口が膿んで・・・よく酸っぱい臭いがしていたので・・・亡くなる前がどうだったかはよく覚えていないけど。

 

だから、私はゴハンを食べなくなったネコさんを毎日クンクンして、まだ酸っぱい匂いがしないから大丈夫だと思っていた。

お日様の匂いもしなくなっていたけれど。

 

それが、布団に入れた(もう動けなくなっていた)ネコさんからかすかに死臭のような匂いがして・・・。

次の日には逝ってしまった。

一度も酸っぱい匂いがしなかったのに。

よく寝ていたベッドの上。

もう病んでいたけど、まだお日様の匂がしていたよ。

 

 

 

 

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獣医さんに思う事

2025年02月25日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

私がこのキョーボーネコさんを亡くした事で寂しくってしょうがないけれど、

看取りに後悔はないって思う、その理由を書きましょう。

それは、どうするべきかをすべて主治医の先生に決めて貰ったから。

 

希望として伝えていたのは

安楽死はさせない。

なるべくネコが苦しくないように。

の、二つ。

 

半年たって抗がん剤が効かなくなって、違う抗がん剤に変えてもらった時一度死にかかった。

あまりに苦しそうだったので、酸素室のようなものを借りようとした。(高額)

先生は「肺が悪いのではないから、効果がないよ」と言って却下。

代わりに週2回の点滴を始め、抗がん剤を元に戻そうと言った。

そしてみごとに持ち直し、さらに半年を生きたんだ。

 

最期の1ヶ月も

「点滴を続けた子は苦しまずに逝ける、抗がん剤はやめて点滴だけ続けましょう」と。

その言葉通り、同じ部屋にいて気付かない程静かに旅立って行った。

 

だから私に悔いはない。

 

ただ、もっと遊んでやれば良かったとか、あれこれ買ってやれば良かったとかは思うけど。

そういえば、病んでからここに上らなくなったな。

 

 

 

 

 

 

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ネコの日のわけだが。

2025年02月22日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

にゃんにゃんにゃん

ネコの日です。

ネコいなくなちゃったけど、ネコの日は来る・・・。

 

去年のネコの日は、重病発覚のネコさんが、抗がん剤で元気になってしっかりゴハンを食べていた。

でも・・・もう来年にはいないかもな、と思ってはいた・・・。

 

ネコの日をお祝いしたかったな。

押し入れを開けても、もういない。

 

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