(=^・^=)私と暮らした猫たち

ー失敗を重ねて7匹めー

あの日の涙

2025年02月06日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

あの日、主治医の先生から「これで治療を終わりにしましょう」と言われた日。

覚悟もしていたし、わかっていた事で普通に先生とお話したのに、帰りの車で声をあげて泣いたあの日の涙。

 

もうダメだ、とわかっていても、「もう楽になっていいよ」と言っていても、

私はまだどこかで、今度の点滴で何か食べてくれるかも。

3度目の奇跡がおきるかも、と少しは期待していたのかも知れない。

頭ではわかっていても、心がわかろうとしていなかったような気がする。

 

先生の言葉は・・・ある意味「最後通告」で・・・

あの日の私の涙は、『絶望の涙』だったのだな、と今になって思う。

長年使っていたこの遠赤ストーブが壊れた。

ネコさんがいなくなって、役目を終えたのか、『バチッ』と消えて点かなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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この闘病を振り返って

2025年02月05日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

ネコさんのリンパ腫の闘病生活を振り返って・・・

 

最初、まだ「鼻腔炎」と言われていた最初の病院でせっせと注射に通っていた。

抗生剤と他2本。。。3000円。

良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、最後は一日おきに通ってた気がする。

このままずっと、毎日注射に通ってもいい、と思っていた。

一回3000円かかっても、毎日でもそれなりに食べて、寝て・・・生きていてくれればそれでもいい、と思っていた。

 

転院してリンパ腫と言われ、抗がん剤を毎月打っていた時も、このまま生きていてくれるならそれでもいい、と。

抗がん剤だけじゃなく、週2の点滴が始まっても、

治療さえしていればゴハンも食べ、物干しで日なたぼっこできるのならそれでいいと。

 

まったく食べ物を口にしなくなっても、水を飲んで点滴を打って、生きていた最後の一ヶ月。

食べないけれど普通のネコのように歩きまわっていた時も、こうして生きていられるならそれでもいいと。

 

日に日に弱っていくネコさんが自分のケージにふらふらと行って、

用意されているゴハンを食べようとするわけでもなく、並べられたお皿をただ見つめている姿を見た時に

もういい、もういいよ、と初めて思った。

お転婆だった子猫の頃。ケージの屋根の上に乗っていた。

 

 

 

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獣医さん

2025年02月04日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

このネコが最後、と決めて飼ったネコさんの主治医として一緒にリンパ腫と戦ってくれた先生は

業界でも有名な名医なんだそうだ。

 

長く我が家のペット達を診てくれていた、私が信頼していた先生(故人)の所へしろにゃんが腎臓病の治療に通っていた時、

亡くなる前の最後の診察の時、連れて行ったばあさんに「こうなったら・・・こうしてあげて・・・」

とされた説明が看取り方だったという。

その先生に市の火葬場でペットも受け付けている、と教えてもらった。

 

キョーボーネコの主治医の先生も、ネコさんの顔を見て「これで終わりにしましょう」と言った通り、

次の通院日にはもう危篤状態だった。

ネコさんを荼毘にした日、ダンナ、妹、私の3人で報告とお礼に行った。

先生は笑顔で迎えててくれ「こんなにがんばってくれるとは思わなかった」と旅立ったネコさんの頑張りを褒めてくれてた。

「先生はネコの顔を見て月曜日にはこうなるってわかったのですか?」

と聞いた私に

「いや、なんとなく、ね」と。

 

獣医さん、すごいな。

ニンゲンの普通のお医者さんのように、色々な検査器具をつけて血圧や脈拍を調べてるわけでもないのに。

我が家のネコさん達は最後にいい先生に診て貰えて、幸運だったよね。

しろにゃん。

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考えてみれば、同じ失敗をしていた

2025年02月01日 | 日記

ご訪問ありがとうございます。

 

先代ネコは「c/d」のドライフードを食べていたので、行きつけの動物病院に毎月買いに行っていた。

ある日、受付のお姉さんが目を真っ赤にして「先生が亡くなったので、処方箋がだせない」・・・と。

毎日のキャットフードだから、急いで代わりの病院を探した。

そして、ばあさんが自転車で通える範囲に見つけた、女医先生が一人でやってる小さな病院に通う事にした。

 

『腹腔内リンパ腫』に罹った時・・・先生の診断がなんか違うような気がして、

それでも転院と言う判断が『ここまでお世話になって申し訳ない』気持ちが勝ってできなくて、

結局転院した時には余命一ヶ月。

 

今回は反省をこめて『ガンに強い』と言われている少し遠くの病院に通っていたのに、結局リンパ腫は見つけてもらえなかった。

私が設備のある病院での検査を希望した時、先生は賛成していたのに、私が二の足を踏んだ。

生まれた時から見てもらってた先生、ここで最後まで、と思ってしまった。

義理と設備の整った病院は敷居が高いというつまらない理由で。

どちらの先生も誤診だったとは思っていません。検査する設備がなかっただけ。

 

先生が「こんなに頑張ってくれるとは思わなかった」と言うほど頑張ったネコさんなら

もっと早く転院していればまだ生きていたかもしれない。

それどころか、こんなに抗がん剤が効くなら、寛解だってしたかも知れない。

遺影・・・

 

 

 

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