諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

冬至 遊心

2009-12-22 17:37:04 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は、冬至であります。このところの強烈な寒気は、ようやく去って、吹きすさんだ木枯しもおさまり、過ごしやすいいい日和です。

  陽だまりに オオイヌフグリ フユシラズ 忍び咲きいて 春まだ遠し -夢 蔡ー

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  「オオイヌノフグリ」は、可憐な青い小花です。少し可哀そうなネーミングであります。「フユシラズ」は、その名の通りに、日当たりの良い場所でよく咲きます。 この辺りは、日照時間が長いせいか、年間を通して、何かしらの花の花が咲いております。心なごむものです。

    冬麗の 陽を貯えて柚子肥えし 今宵冬至湯香を満たせ欲し -夢 蔡ー

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  「一陽来復 」 冬至は縁起の良い日で、この地の農家では、何をやってもよい成就日とされております。「お宅の畑、草が生えすぎー!、けずった方が縁起がいいよ」なんて、皮肉を言われました。★ 柚子は見事な実りようですが、隣家の塀ごしのものです。撮影後に2~3個失敬しました。今晩の風呂に入れます。

 陽落ちし瞬間(とき) 雲は焔(ほむら)に輝けば 熱(ほ)めく心の消し難たきを知る -夢 蔡ー

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 【 年年 至日 長(つね)に客と為り / 忽忽たる窮愁は人を泥殺す 】 晩年の杜甫が、湖南を漂泊している時の「冬至」と題する律詩の冒頭であります。「長い放浪で、心はすっかりグタグタに砕けてしまい、ひどい愁いに打ち沈んでいる。」と詠じております。しかし、こうした状況にあっても・・・。【 落日 心は猶お壮んに / 秋風 病は蘇えらんと欲す 】 ( 落ち行く太陽をみていると、老い病弱な身ながら、心に燃え立つものを感じる。)と、別の詩では、詠っております。

 冬至の太陽が、西の山の奥に落ちた瞬間に、山の端に懸かっていた雲の頂が光を放ちます。勇壮であります。▼ 昔から、この夕景が、好きでした。杜甫の言う通り、心に燃え立つものを感じます。

  落日の薄明横切る 百舌鳥速し 切り裂く声の ただ藪の中 ー夢 蔡ー

 この時期は、モズが、木々の梢を飛び交います。先ほどもまで、鋭い声が聞こえておりました。闇が迫りました。村は静寂そのもです。冬至の一日でした。