Takekida's log

千里の道も一歩から

日本人は変なのかすごいのか

2016-07-02 22:16:51 | What`s new ?
(日本人)
クリエーター情報なし
幻冬舎


和也さんに進めていただいた本。長年引っかかっていた疑問が晴れてすっきりできる内容でした。自分が大学生のころ、「ここがヘンだよ日本人」という番組をやっていてよく見ていた記憶がありやっぱ日本人って特殊なのかなあとおぼろげながら思っていましたがその際は日本人でありながら日本人の本質がどこにあるのかあまりよくできませんでした(そもそも勉強が足りなかったのでしょうが)。 3.11の大震災では世界から被災者の絆で称賛を受けたものの政治では失望させられました。原発事故も大組織でなく現場の力で救われた部分が大きかったのだと思われます。一方では誇りに思い一方では失望する。いったい同じ日本人がここ前の2面性を持つのはなぜなのか? その疑問に少しでも答えてくれるのがこの本だと思います。

先日、異文化交流の授業を受ける機会がありそこでも驚かされたのだが日本人は実は権力、権威をとてつもなく嫌う人間の様で世界でもその傾向はTopに近いということです。こういった傾向が強いのは途上国やキリスト教のカトリックが根ざしている国に傾向は強いのですがまあキリスト教は絶対神なのでまあ納得いくところです。日本歴史の中でも確かに絶対神というようなものは明確になかったですし、戦時の天皇の存在が唯一それに近かったのでしょうか。 この本で知った日本人の特徴としては世俗性がこれまた高いということです。世俗というのは行ってみれば得なことはやるがそんなことはやらないという合理的な個人主義の考え方のこと。アメリカとは対極にあると思っていた日本人の国民性の根は正反対でこういった世俗的な部分があるようです。これは万葉集のころからもう見られているとのことですし思えば日本の仏教の解釈は基にある仏教からしてみれば世俗的な解釈と言えるのかもしれません。じゃあ日本人の特徴ともいう自己主張しないとか、空気を読むとか根回しをするとかいうのはどこから来ているのか?それは共同体=世間の拘束が強い(イエ)組織を他人と簡単に作り上げてしまうという特殊性でこれは血縁だとか別の共同体が成り立たないために学校、会社という共同体(ムラ社会)の中にしがみつくしかないということから来ているのだといいます。ただ内心では世俗的ということを考えれば人々は不満を抱えつつも共同体に参加しているということになります。日本人が無責任なのもこの共同体で追わされる責任の重さから逃げるための方便との指摘ですが確かにそうなのかもしれません。ある意味この共同体から断絶されないための知恵??

世俗性を縦軸に取り、自己表現/集団価値かを横軸に撮った場合、アメリカの政治学者であるロナルド・イングルハートは下記のような分布を作っています。日本は儒教圏というのは違和感あるのですが日本の位置するところが興味深いです、(引用:http://www.tachibana-akira.com/2012/05/4292)


じゃあ理想郷はどうなのか?ある意味この世俗主義はどちらかというと進んでいるものなのでしょう。個人主義を完遂するにはというのは高度な自己管理が求められるわけでキリスト教など宗教に根差した国ではそういった超越的なものに管理を担ってもらっているのですが日本人はベースとしてはそういったものにはフリーになっているわけです。唯一のネックは「抜けにくい」共同体の縛り。ここが流動性が高くなればもっと自由に自分らしく生きることが出来るのかと思われます。特に労働市場は根が深く共働きのやりにくさというのもここに由来しているのがあるのでしょう。

 変わるためには自分を知ることから。基本ですが少しでも理解できた気がします。少しづつ変わりつつあると信じたいところではありますが日本人は周回遅れと思われつつ実は先頭に立っていたという状態を期待したいと思います。
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