5年に及ぶ一連の仕事がクライマックスにさしかかっていた。特に最後の1年はクタクタで、そんな時ふと 美しい海のそばに遺跡がたたずむポスターを見かけた。なにこれ?! 仕事が一段落したらメキシコに行こう、と決意したのだった。
現地行動7日間の旅を3つに分け、冒頭部分を「その1」としてお送りします。その1では、以下の地図中の➊~➌を訪れました。なお、近いためテオティワカンは➊のメキシコシティに集約しています。
1 (ヒューストン経由) ⇒メキシコシティ (2008年3月23日)
成田空港で忘れ物に気づき、目覚まし時計と変圧器を買いに走った。時差15時間だから睡眠中はケータイの電源切るのでアラーム機能が使えないし、ドライヤーも髭剃りも使わないけど、デジカメだけは充電しないとどうしようもない。
そんなドタバタでチェックインが遅くなったため、座席はドン詰まりの後部。機内食は選べなかった。最初の夕食はステーキor魚のはずが、ブロックのサーモン1択。パスタorオムレツの朝食は、オムレツが提供された。オムレツに付いてたポテトフライはきつかったけど、普通に選択できたとしても魚とオムレツだわ。自分の嗜好は少数派なのね・・・
ペルー以来5年ぶりに11時間もの長時間搭乗し、乗り継ぎ地で降りたら心なしか足がしびれているよーな・・・体力の衰えか
直行便が些少(当時、週4便)だから仕方ないのだが、アメリカ乗り継ぎってややこしい 入国審査は長蛇の列だし、空港が広すぎてターミナルの移動は早足でも15分はかかる。9.11テロ以降セキュリティーチェックが相当厳しくなっていて、預け荷物に鍵かけられないし、靴まで脱がされる徹底ぶり。あれやこれやで、乗り継ぎ2時間だと結構タイト。帰国時は1.5時間しかないんだけどな・・・大丈夫なんだろか
メキシコに隣接するテキサス州だけあって、空港内の表示も放送も英語とスペイン語が併用されている。メキシコに足を踏み入れたら、スペイン語の洪水だよなぁ・・・この地で既に超スピードの英語に気圧されている語学不得手な自分だが、そうはいっても意思疎通のツールとして英語にいかに救われているかが身に沁みる。うん、いざとなったら単語で筆談するしかない スペイン語できないけど、旅したいんだもん
タイヤ交換で20分ほどdelayした飛行機は、夕刻のメキシコシティに着陸。出迎えのガイドξさんとは最初すれ違って一瞬焦ったけど、会うことができた。治安があまり良くないとされるメキシコシティでフリーとなる翌日のことを色々相談したら、丁寧に教えてくれた。
平均標高2,240mの地に順応するため、さしもの自分もこの日はアルコールを我慢して就寝
【国全体の平均標高は1,111mだが、3,000m超えの山を複数擁するメキシコシティは高めで、標高の高い世界の首都ベスト10入り。1,500mを超えると高山病になることがあり要注意。ちなみに、日本一平均標高が高い長野県は1,132m】
1 メキシコシティ ⇔テオティワカン (2008年3月24日)
この日は、メキシコシティの北東50㎞にあるテオティワカン遺跡へ行こうと決めていた。ホテルから6㎞ほどの北方面バスターミナルから15分おきにバスが出ているのだが、ターミナルまでは地下鉄ではなくタクシーで行くことにした【治安に難ありのメキシコシティでは、地下鉄もタクシーも要警戒。特にタクシーは5種類あり、①空港専用(24時間乗車可能。空港内のカウンターでチケットを購入)、②Sitio(専用の停留所に待機、料金はメーター制。電話で呼ぶことも可能)、③Turismo(4つ星以上のホテル前に停車。料金は移動エリアで決まり、Sitioよりも割高)、④Libre(流し。料金はメーター制でSitioの半額程度)、⑤白タク(無認可で営業)。④⑤は料金のぼったくりや、タクシー強盗の被害に遭った実例多数(タクシー強盗; ひと気のない場所へ連れて行かれ、場合によっては仲間が合流して金品を奪われる。時間帯に関係なく昼でも発生)、しかもSitio停留所の近くに駐車して誤りを誘うケースもあるという】。ホテルのフロントに頼んだら、Turismoがやって来た。泊まっていたのは4つ星じゃなかったからSitioかと思ったけど、まっいいか。乗車して「Terminal Central Autobuses del Norte」と書いたメモをドライバーに見せたら、料金は150ペソと書いてくれた(≒1,800円也)。
バスターミナルは広すぎてチケット売り場が分かりにくかったものの、ガイドのξさんに教えられた通り左へ進むと端のあたりにブースがあり、すぐに出発するバスをおさえることができた。ガイドブック情報で、「Los Piramides」に停まることを確認しないと「Teotihuacan」(遺跡から2㎞ の町)で降ろされてしまうとあったので、乗る際にドライバーに聞いたらうなずいてくれた。
バス停の標識など無く、停留所に着くたびにドライバーが地名を叫ぶ。ひとまず遺跡に向かっていることに安心しつつ郊外らしい車窓を眺めること1時間、ドライバーが何がしか口走った。自分をはじめとする乗客の多くが座ったままでいると、運転手がひときわ大きな声で怒鳴った。あっ、Los Piramidesだ あわてて立ち上がる私たち遺跡見学者。スペイン語聞き取れなかったんだな~ てへっ
料金を支払い、遺跡に入場。
【黎明の時期についてはB.C.2~1世紀など諸説あるが、都市国家として栄え最盛期の人口は15~20万人だったという。7世紀後半に突如滅んだが、文字記録がないため原因は不明。12世紀にアステカ人が遺跡を発見し、「神々が集う場所」=テオティワカンと命名。高度な天文学・数学の知識をもとに、碁盤の目状に設計されている】
北北東に向かって伸びる「死者の道」【幅45m・全長2.5㎞。発見当時、道沿いに並ぶ20以上の神殿をアステカ人が墓と捉えてネーミングされた】、その奥には月のピラミッドがわずかに覗く。右手前にそびえるは太陽のピラミッド。
遺跡の最南部、ケツァルコアトルの神殿【高さ20m、一辺65m】。
近寄るとこんな感じ。階段の周辺には、ケツァルコアトル【ケツァル=鳥、コアトル=蛇;「羽毛を持つ蛇」。水と農耕の神】とトラロック【雨の女神。メソアメリカで古くから信仰されていたという】の彫刻。下の画像で、ライオンのように見えるのがケツァルコアトル(たてがみっぽいのが羽毛)、丸い目・隆起した上唇・牙を持つのがトラロック。
太陽のピラミッド(右)に向かって800mほど北上していく。
道中には石組みの遺構あり【復元した部分は大きな石の間に小石をはさんでおり、オリジナルにはそれがない。下の画像で中央上部は前者、その左が後者】。
この遺跡最大の太陽のピラミッド【高さ65m・底辺の一辺225m。エジプトはクフ王・カフラー王のに次ぎ、世界で3番目に高いピラミッド。1万人が10年間労働して建設した規模という。夏至に太陽が正面に沈むように設計されている】。頂上に立っている人間がまさに豆粒のよう。
表面は石でゴツゴツしている。
いつもの自分なら迷うことなく登頂するが、高地トレーニング状態にやや不安があったため、のぼらず先へ進む【体力に自信がある方にはぜひ登ることをオススメする。ここから眺める月のピラミッドは絶景らしい】。
死者の道沿いで見かけた壁画。ジャガーは最強の動物として恐れられたという。
月のピラミッドの近くに位置するケツァルパパロトルの宮殿は、この遺跡内で最も修復が進んでいるという【ケツァルパパロトル=羽を広げた様子が蝶のように見える鳥で、雨をもたらすと信仰された。この宮殿は神官の住居だったらしい】。
中庭を取り囲む建物。薄赤い部分には幾何学的な模様も。
色石を組み合わせた石柱には、ケツァルパパロトルの精緻なレリーフ。
鮮やかに彩色が残る壁画。黄色いくちばしを持つ緑の鳥のような頭が見える【絵も壁もオリジナルで、3~4世紀半ばのものとされる】。
南西に隣接するジャガー宮殿の壁画。頭に羽飾りをつけて法螺貝を吹くジャガー【ずいぶん退色しているが かつては真っ赤だったとされ、テオティワカンはこのような赤で覆われた都市だったという】。
150m先に垣間見える月のピラミッド。高さ42m・底辺150m×130m。アングルが悪く下半分が遮られて迫力不足なのだが、なんとこれ1枚しか全景を撮っていない
最後、月のピラミッドにのぼり南南西の方角を望む。メインストリートの右奥から遺跡をぐるりとまわってきた。
【ご覧のとおりテオティワカン遺跡の中心はこのピラミッドであり、儀礼がおこなわれる最も重要な場所だったという。土地が傾斜しているため、太陽と月 両ピラミッドの高さはほぼ同じになる】
南に目を転じると、遺跡の周囲にはのどかな風景が広がっている。
歩きまわった疲れを癒すべく、しばし呆然。あまりに長く居て、吹く風に寒さを感じるほどに
メキシコシティへ戻るバスの停留標識はない。ガイドξさんに教えてもらった場所で外国人数人と待っていたら、数分でバスが来た
ところが乗って安泰とはいかず、途中でどんどん乗客が降りていき、自分を含めて4人になってしまう。しかもドライバーは交通違反をとられて警察官と10分くらいモメる始末 不安になったので、朝書いたメモを差し出して地元人っぽいオジサマの乗客に「北方面バスターミナルへ行く?」とジェスチャーでたずねると、大丈夫と言われ・・・ターミナルに着いたら目配せしてくれた。ありがとう
このあとメキシコシティの中心街をブラブラするつもりだった。ターミナル構内でタクシーチケット売り場を見つけて購入。ブースが10もあってよく分からなかったので、係員らしきオバサマにチケットを見せたらブース7に連れて行ってくれた。ありがとう ホテル→ターミナルよりやや近いとはいえ半額近い85ペソだったということは、Sitioに乗ったのだろう。ともかく、タクシーで中心街Zocaloへ行くことに成功
メトロポリタン・カテドラル付近で降りると、なるほど うっかりしてると危ないわ。とにかく人が多くて、中には怪しい人も混じっていそう
お腹が空いていたので、ガイドブックで目星をつけていたレストランを目指す。が、探しているうちに自分が進む方向に疑念が生じ、来た道を戻ってカテドラルに入った。治安が気がかりな国では道端でガイドブックを広げるのはアウト、不案内がもろバレし種々のリスクが高まる。そーいう時は聖なる場所に逃げ込んで確認するべし。メキシコに限ったことではないが、経験から編み出した自分なりの治安対策 こちらがカテドラルの外観(撮影は翌日)。
【アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人コルテスの命令により、帝国の都テノチティトランを破壊して跡地に建設。250年がかりで1818年に完成、ルネサンス・バロック・ネオクラシックなどの様式が混在。幅59m・長さ110m・高さ65mで、アメリカ大陸最大規模の教会】
所どころレンガが使用されている。
中に入ると、沈痛なイエスの像にビビる てか、足元のゴミ箱・・・移動してあげられないのかな~
ベースは石造りだが、祭壇は金ピカ【手前の磔刑イエス像は「毒薬のキリスト」と呼ばれる。毒に侵された信者からそれを吸い取って治し、肌が黒くなったという言い伝えがある】。
重厚なパイプオルガン。
しっかり着席し本を広げて地図を確認したところ、先ほどの道で間違っていなかった
カテドラルを出て、やおらお目当てのレストランを発見
あっさり通されたはいいけど思いっきりカジュアルなお店で、オンブル?と聞かれた。何だか分からずまごついていると案内係の店員さんは明らかに当惑していたが、ひとまず席に案内してもらった。注文を取りに来たのは英語を話せる若いお兄ちゃん店員だったのでスムーズに頼めた、ホッ【今になって思えば、Hombre=男・人を意味するので、「お一人様ですか?」だったと思われる】
レモネードとトルティージャ料理、ポソレ【豚骨(しかも頭)でとった出汁に唐辛子やスパイスで味を付け、肉やトウモロコシを煮込んだスープ。cacahuacinteという白くて大粒のトウモロコシを使用するのが特徴。刻み玉ねぎ、スライスしたラディッシュなどをトッピングして食す】を注文して96ペソ(≒1,152円)。画像がなくて、ごめんなさい
高地で胃が縮んでいるのか、大した量でもないわりにけっこう満腹と感じる。
レストランを出て、街を歩く。ポルトガルと見紛うような青いタイルの建物に目を惹かれた。
新旧の建物が入り乱れる市街。
そして、マックもケン〇ッキーも定番カラーを捨てて市街に溶け込んでいたのが面白かった。
そして、ガイドのξさんに薦められたショップを探し当て、お買い物 博物館に所蔵されているような壺を再現した焼き物など、artisticで上質なものが置いてあった。店内空間もハイセンスだし、純粋なお土産物屋というより メキシコのエッセンスを取り入れたインテリア好きのnativeが足を運ぶようなお店だった。
さて、いよいよ地下鉄でホテルへ戻るのだが・・・
ソカロ駅の入口はあっけなく見つかり切符も買えた。が、ホームの表示は「~方面」 そりゃそうよね、日本でもそうだったわ。乗り換える駅はあらかじめ頭に入れていたが、方面は盲点だった・・・仕方なくガイドブックを開く。ま、ホームや乗り換え通路に警察官がたくさん立ってたから、少なくとも16時過ぎの地下鉄駅構内は大丈夫だった。
車両はオレンジ色の外観に、中は大江戸線を思わせる幅の狭さ、椅子は日本のホームにあるような硬いタイプで色はグリーン。
1駅で2号線を降り、1号線に乗り換えて5つめのInsurgentes駅まで。車内では終始アラートをフル稼働していた自分、とりあえず“押さえつけスリ”には遭わずにすんだ、ホッ
問題は降りてから。7つの道路が伸びるロータリーなので元々怪しんではいたんだけど、地上に出てからが方向分からなくなって かなりグルグル歩いてしまった ソナ・ロッサ自体は危なくない地域とはいえ、夜だとマズかっただろうな・・・
ホテルへ戻る前に、郵便局へ向かう。駅から西へ500mたらずなのだが、フローレンシア通りを越えると少し寂しくなるから気を付けて、とガイドξさんから言われたとおりのさびれ具合だった。ともあれ、無事に切手を10枚ゲット ホテルへ戻りながら、セブン〇レブンで水やビールを買い込んだ(この国にセブンはかなり進出している模様で、各地で見かけた)。
風呂あがりにビール(5ペソ≒60円)を飲みつつ、トマト&チリペッパー味のポテトチップス(6.5ペソ≒78円)をつまむ。Coronaじゃなくて、なぜCoronita 日記にそう記しながら放置していて、この記事を書くにあたり調べてみた。通常サイズは355㎖のところ、小容量207㎖のを指すんだそうだ。そっか・・・セブンにはこれしか置いてなかったんだけど、もし両方あったら迷わず大きいのを買うだろうから、この謎に気づかなかったかもなぁ
本日の食事はこれにて終了。遅めのランチをしっかり食べて夜は軽めに、というガイドξさんのアドバイスを参考に。TECATEという缶ビールも飲んだのだが、画像はこれだけ【TECATE; バハカリフォルニアのテカテ市発祥、なんとアメリカとの国境地帯。羽を広げた黒いワシの胸に白いTのロゴマーク】
今回の旅は中南米に強い旅行社に日程と希望訪問地を伝えてアレンジしてもらったのだが、スケジュール表を見た時にこの日が最大の難関だと思った。国情を十分に吞み込めていない到着早々のフリータイム が、思い描いていた場所を巡ることができたし、危ない目にも遭遇せず1日を終えることができた。やったね
てか、この日の成功はガイドξさんの助言があってこそ 迷わないようにと地図に書き込んでくれたホテルの位置にも助けられたし、教えてもらったことが要所要所で活きた。空港からホテルまでの短い時間の付き合いだったけど、まさに一期一会・・・心から感謝している
1・2・1・3 メキシコシティ ⇔クエルナバカ ⇒サカテカス (2008年3月25日)
この日はメキシコシティとクエルナバカを観光後、500㎞北西のサカテカスへ飛ぶことになっていた。荷物を持ち歩くわけにいかないため車をチャーターしており、ドライバーとガイドさんがホテルへ迎えに来てくれた。
自己紹介が終わるなり、グアダルーペ寺院に行きたいのだが、と切り出した。しばし考えたガイドさん曰く、治安がよくない場所にあるので難しい、と。やっぱりかあぁ~
ダメもとで言ってみたんだけど、無理だったか。事前のガイドブック情報でもそうだったし、現地の方も言うなら諦めるほかない。かくして、黒い髪・褐色の肌を持つグアダルーペの聖母には会えずじまい
気を取り直して出発。まずはホテルのほど近く、フローレンシア通りとレフォルマ通りが交差するロータリーにある独立記念塔【メキシコ独立革命開始100周年を記念して1910年に建立。全長48m、頂上に24金で覆われたニケ(ギリシャ神話の勝利の女神)像を戴く。左手に持つちぎれた鎖は自由を象徴する。右手に掲げた桂冠を独立の英雄ミゲル・イダルゴおよびメキシコにかぶせようとしており、勝利を意味する。柱の内部には200の階段があり、ニケの足元の展望台まで登ることができる】。青天に映えるわぁ
メトロポリタン・カテドラルの目と鼻の先にある、テンプロ・マヨールへ。
【1913年に発掘された、アステカ帝国の中央神殿跡。同様の遺跡がソカロ付近のカテドラル・広場・宮殿の地下に埋まっているという】
次は国立宮殿へ行くはずだった。が、この日は入れないという。確かに、行事等が催される日は入場できないとガイドブックに書いてあったけれども
というわけで、画家ディエゴ・リベラの最高傑作を見損ねてしまった。残念【1920年代にメキシコ壁画運動を牽引した画家で、宮殿の空間を埋め尽くすかのような大規模な壁画「メキシコの歴史」には、アステカ帝国時代から現代までが描かれているという】
前日と違って、ガイドさんと一緒に歩いていると物売りが寄ってきた。が、一度断ると 粘らず去って行く。アジアのそれに比べてあっさりしすぎ・・・拍子抜け
そして、75㎞南のクエルナバカへ向かう。
目的のカテドラルで車を停める。駐車場に美しく咲く紫の花・・・何の木だろう
右前方に鐘楼がのぞいている。
外壁を越えて入場する。要塞?と思われた方、正解 この教会が建てられた16世紀前半はアステカ帝国を滅ぼした直後で、承服していない先住民の襲撃にあうこともしばしばだったといい、宣教師たちは身を守るため域内に逃げ込んだらしい。
入場口を拡大すると、こんな感じ。フランシスコ会による教会なので、ドクロが掲げられている。
入域し、カテドラルに近づいていく。
木製の重厚な扉。
これを見るためにクエルナバカへ来た。以下2枚の画像、合わせてひとつのフレスコ壁画である(広角の狭いデジカメにつき1枚に収まらず、ごめんなさい)。
上の画像の右に、下の画像が広がる。
文字にご注目あれ。EMPERADOR TAYCOSAMA MANDO MARTIRIZAR(=皇帝太閤様が殉教を命じた)とある【豊臣秀吉は1587年のバテレン追放令以降、キリスト教弾圧に転化。1596年のサン・フェリペ号事件を機に、翌年キリスト教徒・宣教師26名を長崎で処刑。日本から遥か離れたメキシコでこの出来事が伝えられているのは、メキシコ初の聖人となった宣教師フェリペ・デ・ヘススが含まれていたためらしい。彼が列聖された1629年以降にこの壁画が描かれたという。19世紀に漆喰で覆われたが、20世紀後半の改修時に発見された】。
逆サイドの壁には船と魚が描かれていた。
洗礼盤はビッグサイズ。ちなみに、写っているのはドライバーさん&ガイドさん。
このカテドラルは修道院群のひとつゆえ、敷地内に種々の建造物が存在する。こちらは聖母マリアのチャペル。
続いて、第三修道会チャペル【18世紀前半に建立。ファサードに天使や聖人が彫られているが、その一部は先住民の頭飾りを着けている。のち神学校となり、19世紀のクエルナバカで重要な教育機関として繁栄】。赤い石とのコントラストが印象的だった
再びメキシコシティに戻り、国立人類学博物館へ【国内に点在する遺跡から発掘された彫刻や壁画のうち、永久保存に値するクオリティのものを集めている。1階は考古学フロアで、12の部屋に分かれている】。
まず、1階の第7室=アステカの部屋へ連れて行かれた。この博物館最大の見どころといわれる太陽の石(アステカ・カレンダー)がある。
近づくとこんな感じ【直径3.6m・重さ24tの玄武岩の中央に太陽神トナティウが鎮座。その周囲の4つの四角形は過去に経てきた4つの時代を表し、右上=第1の時代はジャガーに喰われて、左上=第2の時代は暴風で、左下=第3の時代は火山の噴火で、右下=第4の時代は洪水で滅びたという。また、表面に刻まれた細かいモチーフの組み合わせにより、1年=365日の暦を示す。アステカ文明ではこの暦をもとに農耕を行い、節目には血のいけにえを伴う祭事を催した。かつて神殿に掲げられていたのをスペイン侵攻前にアステカ人が地中に隠したとも、アステカ帝国が滅ぼされた後 道端にうち捨てられていたこの石を先住民が拝んでいたため大司教の命令で埋められたともいい、1790年に地中から発見された】。
アステカの彫刻。左の人物が右の人物の頭を叩いているような・・・戦いの様子か?? 何かを授けているように見えなくもないが・・・
スペインに征服される前のアステカ帝国の中心部の様子【正確にはテノチティトランといい、湖上に浮かぶ都市だった。中央部の広場にはピラミッドが並んでいた。スペイン軍に随行した記録係はこの都を初めて目にした時の感想を夢幻の世界、夢を見ているのかと思った、と残したらしい。しかし征服者コルテスの命令により神殿や宮殿は破壊され、その石材でスペイン風の建築物が築かれ、湖は埋め立てられた】。いまや水辺の面影ひとつないメキシコシティがかつてこんな姿だったとは、にわかに信じられない
知識として知ってはいたが、歴史の現実を突きつけられる。侵略とはこういうこと・・・
次に、第10室=マヤの部屋へ案内された。ここの目玉は、実物大で復元されたパレンケ遺跡の王墓。ちなみに、旅程の都合でやむなく訪問を断念した遺跡である。
以下2枚、ピンボケ画像でごめんなさい 赤いのは、生命を象徴するためという。
見事なヒスイの装身具。
他にもチャックモールや降臨する神の像を撮影したのだが、現地を訪れた続編の記事内で紹介したい。
2階の民族学フロアには立ち入ることなく博物館を後にした。このあと国内線に乗らねばならず、渋滞を心配するガイドさんに急かされたからだが、自分としては後ろ髪引かれる思いだった【メキシコシティの渋滞は世界ワースト10といわれる。人口が増えている地域への公共交通機関が十分に整備されておらず、移動手段として車を使用せざるを得ないのが原因らしい】
そして16時半、空港に到着。予想以上に道路がすいていて、3時間も時間をつぶすハメに。あ~あ
ファストフードで夕食をとる。タコス19ペソ(≒228円)也。
Sopa de tortilla【ニンニクの効いたトマトベースのスープに、揚げたトルティージャ(トウモロコシ粉の生地を薄く焼いたもの)の細切りを浮かべた料理。具は肉やアボカドなど様々】、35ペソ(≒420円)也。
暇にまかせて空港内をブラつく。籠と、同じ素材でつくったらしき人形が展示されていた。カラフルで可愛い
花瓶というか、壺型のカゴと花たち。
民族衣装を現代風にアレンジした服装のマネキンたちがズラリ。
離陸がやや遅れた飛行機は21時15分にサカテカスへ到着。シートベルトサインが消える前に多くの人が立ち上がるが、CAはそれを注意しない。メキシコ人って短気なのかなぁ そーいえば、渋滞で2~3分車が動かないとドライバーさんはクラクション鳴らして明らかにイライラしてたな~
降機後に徒歩で建物まで行くパターンの空港だったんだけど、夜空の美しさにハッとした。東京だと見えないオリオン座の間の星々が矯正視力1.0の自分でもゴッソリ見える だもんで、上を見ながら歩いてたら動線をそれてしまったようで、そっちを歩けと注意される始末
出迎えのドライバーさんに会ったら、スペイン語のみの方だった・・・旅行社との契約では英語話せる人のはずだったんだけどなぁ
ま、ともかく宿まで連れて行ってもらうしかない。会話が成立しないため し~んとした車内で、大変なことに気づいた私。飛行機の棚に入れた手荷物を取り出し忘れた 軽い高山病なのか 緊張からくる疲れなのか、搭乗してすぐにウトウトしてしまい、降りる時はうすら寝ぼけてたんだよなー 隣の席には誰もいなかったし、手元に置いておくべきだったか。中身は前日にartisticなお店で買ったコワレモノのお土産たち、被害額1万円強。気に入ってたのでショック大
後悔は尽きないけど、貴重品・生活必需品がなくなったわけじゃないからと自分をなだめるしかない、もはや。
沈んだ気持ちで漆黒の車窓をしばらく眺めていると、視界に盆地の夜景が広がった。らせん状の道路をくだって底に位置する中心街へ向かう途次、家々の灯がまばゆく この地に自分を誘ったカテドラルらしき建物はライトアップされていた。こぼれる宝石のようなその美しさは何年経っても瞼に焼き付いている。一人旅では夜出歩かないので、ナイトフライトでなければ決して目にすることのなかった光景。本当にラッキー、地獄から天国へとテンションup
予約済みのホテルに無事チェックインしたところで、ドライバーさんが何がしか話しかけてきた。雰囲気からして、どうやら明後日 空港へ送ってくれるのもこの方らしい。ピックアップの時間を何度も確認し、去って行った。スペイン語の数字、なんとか理解できてセーフ
2泊するお部屋はこんな感じだった。
バスルームの装飾がきらびやか。
館内で催しているらしいディナーショーの音楽がうるさく、冷蔵庫が備え付けられてないためアルコールはおあずけ・・・心の中で舌打ち
が、0時には音も止んだし、アルコール抜くのは身体にいいし。何事も捉え方しだい
★ 中締め ★
次回はサカテカスを巡った後、ユカタン半島へ飛びます。お楽しみに
現地行動7日間の旅を3つに分け、冒頭部分を「その1」としてお送りします。その1では、以下の地図中の➊~➌を訪れました。なお、近いためテオティワカンは➊のメキシコシティに集約しています。
1 (ヒューストン経由) ⇒メキシコシティ (2008年3月23日)
成田空港で忘れ物に気づき、目覚まし時計と変圧器を買いに走った。時差15時間だから睡眠中はケータイの電源切るのでアラーム機能が使えないし、ドライヤーも髭剃りも使わないけど、デジカメだけは充電しないとどうしようもない。
そんなドタバタでチェックインが遅くなったため、座席はドン詰まりの後部。機内食は選べなかった。最初の夕食はステーキor魚のはずが、ブロックのサーモン1択。パスタorオムレツの朝食は、オムレツが提供された。オムレツに付いてたポテトフライはきつかったけど、普通に選択できたとしても魚とオムレツだわ。自分の嗜好は少数派なのね・・・
ペルー以来5年ぶりに11時間もの長時間搭乗し、乗り継ぎ地で降りたら心なしか足がしびれているよーな・・・体力の衰えか
直行便が些少(当時、週4便)だから仕方ないのだが、アメリカ乗り継ぎってややこしい 入国審査は長蛇の列だし、空港が広すぎてターミナルの移動は早足でも15分はかかる。9.11テロ以降セキュリティーチェックが相当厳しくなっていて、預け荷物に鍵かけられないし、靴まで脱がされる徹底ぶり。あれやこれやで、乗り継ぎ2時間だと結構タイト。帰国時は1.5時間しかないんだけどな・・・大丈夫なんだろか
メキシコに隣接するテキサス州だけあって、空港内の表示も放送も英語とスペイン語が併用されている。メキシコに足を踏み入れたら、スペイン語の洪水だよなぁ・・・この地で既に超スピードの英語に気圧されている語学不得手な自分だが、そうはいっても意思疎通のツールとして英語にいかに救われているかが身に沁みる。うん、いざとなったら単語で筆談するしかない スペイン語できないけど、旅したいんだもん
タイヤ交換で20分ほどdelayした飛行機は、夕刻のメキシコシティに着陸。出迎えのガイドξさんとは最初すれ違って一瞬焦ったけど、会うことができた。治安があまり良くないとされるメキシコシティでフリーとなる翌日のことを色々相談したら、丁寧に教えてくれた。
平均標高2,240mの地に順応するため、さしもの自分もこの日はアルコールを我慢して就寝
【国全体の平均標高は1,111mだが、3,000m超えの山を複数擁するメキシコシティは高めで、標高の高い世界の首都ベスト10入り。1,500mを超えると高山病になることがあり要注意。ちなみに、日本一平均標高が高い長野県は1,132m】
1 メキシコシティ ⇔テオティワカン (2008年3月24日)
この日は、メキシコシティの北東50㎞にあるテオティワカン遺跡へ行こうと決めていた。ホテルから6㎞ほどの北方面バスターミナルから15分おきにバスが出ているのだが、ターミナルまでは地下鉄ではなくタクシーで行くことにした【治安に難ありのメキシコシティでは、地下鉄もタクシーも要警戒。特にタクシーは5種類あり、①空港専用(24時間乗車可能。空港内のカウンターでチケットを購入)、②Sitio(専用の停留所に待機、料金はメーター制。電話で呼ぶことも可能)、③Turismo(4つ星以上のホテル前に停車。料金は移動エリアで決まり、Sitioよりも割高)、④Libre(流し。料金はメーター制でSitioの半額程度)、⑤白タク(無認可で営業)。④⑤は料金のぼったくりや、タクシー強盗の被害に遭った実例多数(タクシー強盗; ひと気のない場所へ連れて行かれ、場合によっては仲間が合流して金品を奪われる。時間帯に関係なく昼でも発生)、しかもSitio停留所の近くに駐車して誤りを誘うケースもあるという】。ホテルのフロントに頼んだら、Turismoがやって来た。泊まっていたのは4つ星じゃなかったからSitioかと思ったけど、まっいいか。乗車して「Terminal Central Autobuses del Norte」と書いたメモをドライバーに見せたら、料金は150ペソと書いてくれた(≒1,800円也)。
バスターミナルは広すぎてチケット売り場が分かりにくかったものの、ガイドのξさんに教えられた通り左へ進むと端のあたりにブースがあり、すぐに出発するバスをおさえることができた。ガイドブック情報で、「Los Piramides」に停まることを確認しないと「Teotihuacan」(遺跡から2㎞ の町)で降ろされてしまうとあったので、乗る際にドライバーに聞いたらうなずいてくれた。
バス停の標識など無く、停留所に着くたびにドライバーが地名を叫ぶ。ひとまず遺跡に向かっていることに安心しつつ郊外らしい車窓を眺めること1時間、ドライバーが何がしか口走った。自分をはじめとする乗客の多くが座ったままでいると、運転手がひときわ大きな声で怒鳴った。あっ、Los Piramidesだ あわてて立ち上がる私たち遺跡見学者。スペイン語聞き取れなかったんだな~ てへっ
料金を支払い、遺跡に入場。
【黎明の時期についてはB.C.2~1世紀など諸説あるが、都市国家として栄え最盛期の人口は15~20万人だったという。7世紀後半に突如滅んだが、文字記録がないため原因は不明。12世紀にアステカ人が遺跡を発見し、「神々が集う場所」=テオティワカンと命名。高度な天文学・数学の知識をもとに、碁盤の目状に設計されている】
北北東に向かって伸びる「死者の道」【幅45m・全長2.5㎞。発見当時、道沿いに並ぶ20以上の神殿をアステカ人が墓と捉えてネーミングされた】、その奥には月のピラミッドがわずかに覗く。右手前にそびえるは太陽のピラミッド。
遺跡の最南部、ケツァルコアトルの神殿【高さ20m、一辺65m】。
近寄るとこんな感じ。階段の周辺には、ケツァルコアトル【ケツァル=鳥、コアトル=蛇;「羽毛を持つ蛇」。水と農耕の神】とトラロック【雨の女神。メソアメリカで古くから信仰されていたという】の彫刻。下の画像で、ライオンのように見えるのがケツァルコアトル(たてがみっぽいのが羽毛)、丸い目・隆起した上唇・牙を持つのがトラロック。
太陽のピラミッド(右)に向かって800mほど北上していく。
道中には石組みの遺構あり【復元した部分は大きな石の間に小石をはさんでおり、オリジナルにはそれがない。下の画像で中央上部は前者、その左が後者】。
この遺跡最大の太陽のピラミッド【高さ65m・底辺の一辺225m。エジプトはクフ王・カフラー王のに次ぎ、世界で3番目に高いピラミッド。1万人が10年間労働して建設した規模という。夏至に太陽が正面に沈むように設計されている】。頂上に立っている人間がまさに豆粒のよう。
表面は石でゴツゴツしている。
いつもの自分なら迷うことなく登頂するが、高地トレーニング状態にやや不安があったため、のぼらず先へ進む【体力に自信がある方にはぜひ登ることをオススメする。ここから眺める月のピラミッドは絶景らしい】。
死者の道沿いで見かけた壁画。ジャガーは最強の動物として恐れられたという。
月のピラミッドの近くに位置するケツァルパパロトルの宮殿は、この遺跡内で最も修復が進んでいるという【ケツァルパパロトル=羽を広げた様子が蝶のように見える鳥で、雨をもたらすと信仰された。この宮殿は神官の住居だったらしい】。
中庭を取り囲む建物。薄赤い部分には幾何学的な模様も。
色石を組み合わせた石柱には、ケツァルパパロトルの精緻なレリーフ。
鮮やかに彩色が残る壁画。黄色いくちばしを持つ緑の鳥のような頭が見える【絵も壁もオリジナルで、3~4世紀半ばのものとされる】。
南西に隣接するジャガー宮殿の壁画。頭に羽飾りをつけて法螺貝を吹くジャガー【ずいぶん退色しているが かつては真っ赤だったとされ、テオティワカンはこのような赤で覆われた都市だったという】。
150m先に垣間見える月のピラミッド。高さ42m・底辺150m×130m。アングルが悪く下半分が遮られて迫力不足なのだが、なんとこれ1枚しか全景を撮っていない
最後、月のピラミッドにのぼり南南西の方角を望む。メインストリートの右奥から遺跡をぐるりとまわってきた。
【ご覧のとおりテオティワカン遺跡の中心はこのピラミッドであり、儀礼がおこなわれる最も重要な場所だったという。土地が傾斜しているため、太陽と月 両ピラミッドの高さはほぼ同じになる】
南に目を転じると、遺跡の周囲にはのどかな風景が広がっている。
歩きまわった疲れを癒すべく、しばし呆然。あまりに長く居て、吹く風に寒さを感じるほどに
メキシコシティへ戻るバスの停留標識はない。ガイドξさんに教えてもらった場所で外国人数人と待っていたら、数分でバスが来た
ところが乗って安泰とはいかず、途中でどんどん乗客が降りていき、自分を含めて4人になってしまう。しかもドライバーは交通違反をとられて警察官と10分くらいモメる始末 不安になったので、朝書いたメモを差し出して地元人っぽいオジサマの乗客に「北方面バスターミナルへ行く?」とジェスチャーでたずねると、大丈夫と言われ・・・ターミナルに着いたら目配せしてくれた。ありがとう
このあとメキシコシティの中心街をブラブラするつもりだった。ターミナル構内でタクシーチケット売り場を見つけて購入。ブースが10もあってよく分からなかったので、係員らしきオバサマにチケットを見せたらブース7に連れて行ってくれた。ありがとう ホテル→ターミナルよりやや近いとはいえ半額近い85ペソだったということは、Sitioに乗ったのだろう。ともかく、タクシーで中心街Zocaloへ行くことに成功
メトロポリタン・カテドラル付近で降りると、なるほど うっかりしてると危ないわ。とにかく人が多くて、中には怪しい人も混じっていそう
お腹が空いていたので、ガイドブックで目星をつけていたレストランを目指す。が、探しているうちに自分が進む方向に疑念が生じ、来た道を戻ってカテドラルに入った。治安が気がかりな国では道端でガイドブックを広げるのはアウト、不案内がもろバレし種々のリスクが高まる。そーいう時は聖なる場所に逃げ込んで確認するべし。メキシコに限ったことではないが、経験から編み出した自分なりの治安対策 こちらがカテドラルの外観(撮影は翌日)。
【アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人コルテスの命令により、帝国の都テノチティトランを破壊して跡地に建設。250年がかりで1818年に完成、ルネサンス・バロック・ネオクラシックなどの様式が混在。幅59m・長さ110m・高さ65mで、アメリカ大陸最大規模の教会】
所どころレンガが使用されている。
中に入ると、沈痛なイエスの像にビビる てか、足元のゴミ箱・・・移動してあげられないのかな~
ベースは石造りだが、祭壇は金ピカ【手前の磔刑イエス像は「毒薬のキリスト」と呼ばれる。毒に侵された信者からそれを吸い取って治し、肌が黒くなったという言い伝えがある】。
重厚なパイプオルガン。
しっかり着席し本を広げて地図を確認したところ、先ほどの道で間違っていなかった
カテドラルを出て、やおらお目当てのレストランを発見
あっさり通されたはいいけど思いっきりカジュアルなお店で、オンブル?と聞かれた。何だか分からずまごついていると案内係の店員さんは明らかに当惑していたが、ひとまず席に案内してもらった。注文を取りに来たのは英語を話せる若いお兄ちゃん店員だったのでスムーズに頼めた、ホッ【今になって思えば、Hombre=男・人を意味するので、「お一人様ですか?」だったと思われる】
レモネードとトルティージャ料理、ポソレ【豚骨(しかも頭)でとった出汁に唐辛子やスパイスで味を付け、肉やトウモロコシを煮込んだスープ。cacahuacinteという白くて大粒のトウモロコシを使用するのが特徴。刻み玉ねぎ、スライスしたラディッシュなどをトッピングして食す】を注文して96ペソ(≒1,152円)。画像がなくて、ごめんなさい
高地で胃が縮んでいるのか、大した量でもないわりにけっこう満腹と感じる。
レストランを出て、街を歩く。ポルトガルと見紛うような青いタイルの建物に目を惹かれた。
新旧の建物が入り乱れる市街。
そして、マックもケン〇ッキーも定番カラーを捨てて市街に溶け込んでいたのが面白かった。
そして、ガイドのξさんに薦められたショップを探し当て、お買い物 博物館に所蔵されているような壺を再現した焼き物など、artisticで上質なものが置いてあった。店内空間もハイセンスだし、純粋なお土産物屋というより メキシコのエッセンスを取り入れたインテリア好きのnativeが足を運ぶようなお店だった。
さて、いよいよ地下鉄でホテルへ戻るのだが・・・
ソカロ駅の入口はあっけなく見つかり切符も買えた。が、ホームの表示は「~方面」 そりゃそうよね、日本でもそうだったわ。乗り換える駅はあらかじめ頭に入れていたが、方面は盲点だった・・・仕方なくガイドブックを開く。ま、ホームや乗り換え通路に警察官がたくさん立ってたから、少なくとも16時過ぎの地下鉄駅構内は大丈夫だった。
車両はオレンジ色の外観に、中は大江戸線を思わせる幅の狭さ、椅子は日本のホームにあるような硬いタイプで色はグリーン。
1駅で2号線を降り、1号線に乗り換えて5つめのInsurgentes駅まで。車内では終始アラートをフル稼働していた自分、とりあえず“押さえつけスリ”には遭わずにすんだ、ホッ
問題は降りてから。7つの道路が伸びるロータリーなので元々怪しんではいたんだけど、地上に出てからが方向分からなくなって かなりグルグル歩いてしまった ソナ・ロッサ自体は危なくない地域とはいえ、夜だとマズかっただろうな・・・
ホテルへ戻る前に、郵便局へ向かう。駅から西へ500mたらずなのだが、フローレンシア通りを越えると少し寂しくなるから気を付けて、とガイドξさんから言われたとおりのさびれ具合だった。ともあれ、無事に切手を10枚ゲット ホテルへ戻りながら、セブン〇レブンで水やビールを買い込んだ(この国にセブンはかなり進出している模様で、各地で見かけた)。
風呂あがりにビール(5ペソ≒60円)を飲みつつ、トマト&チリペッパー味のポテトチップス(6.5ペソ≒78円)をつまむ。Coronaじゃなくて、なぜCoronita 日記にそう記しながら放置していて、この記事を書くにあたり調べてみた。通常サイズは355㎖のところ、小容量207㎖のを指すんだそうだ。そっか・・・セブンにはこれしか置いてなかったんだけど、もし両方あったら迷わず大きいのを買うだろうから、この謎に気づかなかったかもなぁ
本日の食事はこれにて終了。遅めのランチをしっかり食べて夜は軽めに、というガイドξさんのアドバイスを参考に。TECATEという缶ビールも飲んだのだが、画像はこれだけ【TECATE; バハカリフォルニアのテカテ市発祥、なんとアメリカとの国境地帯。羽を広げた黒いワシの胸に白いTのロゴマーク】
今回の旅は中南米に強い旅行社に日程と希望訪問地を伝えてアレンジしてもらったのだが、スケジュール表を見た時にこの日が最大の難関だと思った。国情を十分に吞み込めていない到着早々のフリータイム が、思い描いていた場所を巡ることができたし、危ない目にも遭遇せず1日を終えることができた。やったね
てか、この日の成功はガイドξさんの助言があってこそ 迷わないようにと地図に書き込んでくれたホテルの位置にも助けられたし、教えてもらったことが要所要所で活きた。空港からホテルまでの短い時間の付き合いだったけど、まさに一期一会・・・心から感謝している
1・2・1・3 メキシコシティ ⇔クエルナバカ ⇒サカテカス (2008年3月25日)
この日はメキシコシティとクエルナバカを観光後、500㎞北西のサカテカスへ飛ぶことになっていた。荷物を持ち歩くわけにいかないため車をチャーターしており、ドライバーとガイドさんがホテルへ迎えに来てくれた。
自己紹介が終わるなり、グアダルーペ寺院に行きたいのだが、と切り出した。しばし考えたガイドさん曰く、治安がよくない場所にあるので難しい、と。やっぱりかあぁ~
ダメもとで言ってみたんだけど、無理だったか。事前のガイドブック情報でもそうだったし、現地の方も言うなら諦めるほかない。かくして、黒い髪・褐色の肌を持つグアダルーペの聖母には会えずじまい
気を取り直して出発。まずはホテルのほど近く、フローレンシア通りとレフォルマ通りが交差するロータリーにある独立記念塔【メキシコ独立革命開始100周年を記念して1910年に建立。全長48m、頂上に24金で覆われたニケ(ギリシャ神話の勝利の女神)像を戴く。左手に持つちぎれた鎖は自由を象徴する。右手に掲げた桂冠を独立の英雄ミゲル・イダルゴおよびメキシコにかぶせようとしており、勝利を意味する。柱の内部には200の階段があり、ニケの足元の展望台まで登ることができる】。青天に映えるわぁ
メトロポリタン・カテドラルの目と鼻の先にある、テンプロ・マヨールへ。
【1913年に発掘された、アステカ帝国の中央神殿跡。同様の遺跡がソカロ付近のカテドラル・広場・宮殿の地下に埋まっているという】
次は国立宮殿へ行くはずだった。が、この日は入れないという。確かに、行事等が催される日は入場できないとガイドブックに書いてあったけれども
というわけで、画家ディエゴ・リベラの最高傑作を見損ねてしまった。残念【1920年代にメキシコ壁画運動を牽引した画家で、宮殿の空間を埋め尽くすかのような大規模な壁画「メキシコの歴史」には、アステカ帝国時代から現代までが描かれているという】
前日と違って、ガイドさんと一緒に歩いていると物売りが寄ってきた。が、一度断ると 粘らず去って行く。アジアのそれに比べてあっさりしすぎ・・・拍子抜け
そして、75㎞南のクエルナバカへ向かう。
目的のカテドラルで車を停める。駐車場に美しく咲く紫の花・・・何の木だろう
右前方に鐘楼がのぞいている。
外壁を越えて入場する。要塞?と思われた方、正解 この教会が建てられた16世紀前半はアステカ帝国を滅ぼした直後で、承服していない先住民の襲撃にあうこともしばしばだったといい、宣教師たちは身を守るため域内に逃げ込んだらしい。
入場口を拡大すると、こんな感じ。フランシスコ会による教会なので、ドクロが掲げられている。
入域し、カテドラルに近づいていく。
木製の重厚な扉。
これを見るためにクエルナバカへ来た。以下2枚の画像、合わせてひとつのフレスコ壁画である(広角の狭いデジカメにつき1枚に収まらず、ごめんなさい)。
上の画像の右に、下の画像が広がる。
文字にご注目あれ。EMPERADOR TAYCOSAMA MANDO MARTIRIZAR(=皇帝太閤様が殉教を命じた)とある【豊臣秀吉は1587年のバテレン追放令以降、キリスト教弾圧に転化。1596年のサン・フェリペ号事件を機に、翌年キリスト教徒・宣教師26名を長崎で処刑。日本から遥か離れたメキシコでこの出来事が伝えられているのは、メキシコ初の聖人となった宣教師フェリペ・デ・ヘススが含まれていたためらしい。彼が列聖された1629年以降にこの壁画が描かれたという。19世紀に漆喰で覆われたが、20世紀後半の改修時に発見された】。
逆サイドの壁には船と魚が描かれていた。
洗礼盤はビッグサイズ。ちなみに、写っているのはドライバーさん&ガイドさん。
このカテドラルは修道院群のひとつゆえ、敷地内に種々の建造物が存在する。こちらは聖母マリアのチャペル。
続いて、第三修道会チャペル【18世紀前半に建立。ファサードに天使や聖人が彫られているが、その一部は先住民の頭飾りを着けている。のち神学校となり、19世紀のクエルナバカで重要な教育機関として繁栄】。赤い石とのコントラストが印象的だった
再びメキシコシティに戻り、国立人類学博物館へ【国内に点在する遺跡から発掘された彫刻や壁画のうち、永久保存に値するクオリティのものを集めている。1階は考古学フロアで、12の部屋に分かれている】。
まず、1階の第7室=アステカの部屋へ連れて行かれた。この博物館最大の見どころといわれる太陽の石(アステカ・カレンダー)がある。
近づくとこんな感じ【直径3.6m・重さ24tの玄武岩の中央に太陽神トナティウが鎮座。その周囲の4つの四角形は過去に経てきた4つの時代を表し、右上=第1の時代はジャガーに喰われて、左上=第2の時代は暴風で、左下=第3の時代は火山の噴火で、右下=第4の時代は洪水で滅びたという。また、表面に刻まれた細かいモチーフの組み合わせにより、1年=365日の暦を示す。アステカ文明ではこの暦をもとに農耕を行い、節目には血のいけにえを伴う祭事を催した。かつて神殿に掲げられていたのをスペイン侵攻前にアステカ人が地中に隠したとも、アステカ帝国が滅ぼされた後 道端にうち捨てられていたこの石を先住民が拝んでいたため大司教の命令で埋められたともいい、1790年に地中から発見された】。
アステカの彫刻。左の人物が右の人物の頭を叩いているような・・・戦いの様子か?? 何かを授けているように見えなくもないが・・・
スペインに征服される前のアステカ帝国の中心部の様子【正確にはテノチティトランといい、湖上に浮かぶ都市だった。中央部の広場にはピラミッドが並んでいた。スペイン軍に随行した記録係はこの都を初めて目にした時の感想を夢幻の世界、夢を見ているのかと思った、と残したらしい。しかし征服者コルテスの命令により神殿や宮殿は破壊され、その石材でスペイン風の建築物が築かれ、湖は埋め立てられた】。いまや水辺の面影ひとつないメキシコシティがかつてこんな姿だったとは、にわかに信じられない
知識として知ってはいたが、歴史の現実を突きつけられる。侵略とはこういうこと・・・
次に、第10室=マヤの部屋へ案内された。ここの目玉は、実物大で復元されたパレンケ遺跡の王墓。ちなみに、旅程の都合でやむなく訪問を断念した遺跡である。
以下2枚、ピンボケ画像でごめんなさい 赤いのは、生命を象徴するためという。
見事なヒスイの装身具。
他にもチャックモールや降臨する神の像を撮影したのだが、現地を訪れた続編の記事内で紹介したい。
2階の民族学フロアには立ち入ることなく博物館を後にした。このあと国内線に乗らねばならず、渋滞を心配するガイドさんに急かされたからだが、自分としては後ろ髪引かれる思いだった【メキシコシティの渋滞は世界ワースト10といわれる。人口が増えている地域への公共交通機関が十分に整備されておらず、移動手段として車を使用せざるを得ないのが原因らしい】
そして16時半、空港に到着。予想以上に道路がすいていて、3時間も時間をつぶすハメに。あ~あ
ファストフードで夕食をとる。タコス19ペソ(≒228円)也。
Sopa de tortilla【ニンニクの効いたトマトベースのスープに、揚げたトルティージャ(トウモロコシ粉の生地を薄く焼いたもの)の細切りを浮かべた料理。具は肉やアボカドなど様々】、35ペソ(≒420円)也。
暇にまかせて空港内をブラつく。籠と、同じ素材でつくったらしき人形が展示されていた。カラフルで可愛い
花瓶というか、壺型のカゴと花たち。
民族衣装を現代風にアレンジした服装のマネキンたちがズラリ。
離陸がやや遅れた飛行機は21時15分にサカテカスへ到着。シートベルトサインが消える前に多くの人が立ち上がるが、CAはそれを注意しない。メキシコ人って短気なのかなぁ そーいえば、渋滞で2~3分車が動かないとドライバーさんはクラクション鳴らして明らかにイライラしてたな~
降機後に徒歩で建物まで行くパターンの空港だったんだけど、夜空の美しさにハッとした。東京だと見えないオリオン座の間の星々が矯正視力1.0の自分でもゴッソリ見える だもんで、上を見ながら歩いてたら動線をそれてしまったようで、そっちを歩けと注意される始末
出迎えのドライバーさんに会ったら、スペイン語のみの方だった・・・旅行社との契約では英語話せる人のはずだったんだけどなぁ
ま、ともかく宿まで連れて行ってもらうしかない。会話が成立しないため し~んとした車内で、大変なことに気づいた私。飛行機の棚に入れた手荷物を取り出し忘れた 軽い高山病なのか 緊張からくる疲れなのか、搭乗してすぐにウトウトしてしまい、降りる時はうすら寝ぼけてたんだよなー 隣の席には誰もいなかったし、手元に置いておくべきだったか。中身は前日にartisticなお店で買ったコワレモノのお土産たち、被害額1万円強。気に入ってたのでショック大
後悔は尽きないけど、貴重品・生活必需品がなくなったわけじゃないからと自分をなだめるしかない、もはや。
沈んだ気持ちで漆黒の車窓をしばらく眺めていると、視界に盆地の夜景が広がった。らせん状の道路をくだって底に位置する中心街へ向かう途次、家々の灯がまばゆく この地に自分を誘ったカテドラルらしき建物はライトアップされていた。こぼれる宝石のようなその美しさは何年経っても瞼に焼き付いている。一人旅では夜出歩かないので、ナイトフライトでなければ決して目にすることのなかった光景。本当にラッキー、地獄から天国へとテンションup
予約済みのホテルに無事チェックインしたところで、ドライバーさんが何がしか話しかけてきた。雰囲気からして、どうやら明後日 空港へ送ってくれるのもこの方らしい。ピックアップの時間を何度も確認し、去って行った。スペイン語の数字、なんとか理解できてセーフ
2泊するお部屋はこんな感じだった。
バスルームの装飾がきらびやか。
館内で催しているらしいディナーショーの音楽がうるさく、冷蔵庫が備え付けられてないためアルコールはおあずけ・・・心の中で舌打ち
が、0時には音も止んだし、アルコール抜くのは身体にいいし。何事も捉え方しだい
★ 中締め ★
次回はサカテカスを巡った後、ユカタン半島へ飛びます。お楽しみに