本日はスキーが大流行した1990年代当時の状況を5つご紹介させていただきます。今思うとそれは凄かった~!
1.1990年代のスキーバブル期
1993年のスキー人口は約1,900万人と近年400万人の約5倍で大よそ4人に1人がスキーをしていたのです!
2000年迄スノーボードの流行もあり、高水準をキープしていましたがその後、バブル崩壊とレジャーの多様化で減少傾向が続いています・・・。
(出典:「日本生産性本部」・「日本経済新聞社」さんサイトより引用)
2.スキー全盛バブル期事情5つ
①長いリフト待ち時間
当時の週末は20分~30分待ちがザラでした。当時は当たり前でしたが今思うとよく我慢していました。
②バスツアーが主流
当時はバスツアーでスキーに行くことが主流。新宿や渋谷等のターミナル駅にはツアー会社のバスが連なり、係員がマイクで行き先とバスを叫んでいました!
「サミーツアー」が最大手。2時間置きにドライブイン等でトイレ休憩があることと興奮もあり、ほとんど寝られませんでした。
③予約殺到のプリンスホテル
当時はプリンスホテルに宿泊することがステイタスで苗場や軽井沢を筆頭に予約が異常に取り難く、1時間半以上電話しまくり、ようやく予約が取れた状況。
自身は人気を避けて水上や妙高パインバレーを選んでいました。(現在は両方共、プリンスホテルの経営から変わっています)
(出典:「㈱西武・プリンスホテルズワールドワイド」さんHPより引用)
④JRシュプール号も大人気
バスツアーの後、ゆったりして時間も正確なJRの電車、シュプール号が大人気に。会社の上司にお願いして昼休みを早めに取り、JRの「みどりの窓口に」に駆け込んでいました。
⑤お祭り状態の東京・御茶ノ水/神田のスキー街
当時の御茶ノ水/神田には数え切れない位のスキーショップが軒を連ね、9月以降の週末や平日夜は多くのスキーヤーで賑わうお祭り状態。各スキーショップの店員がスキー板を担いで走っていました。
(出典:「㈱ヴィクトリア」さんHPより引用)
当時は猫も杓子もスキーの時代。夜中にスキーを夢見てスキー場に向かい、思い思いにスキーを満喫し、心地よい疲労感の中、首都圏に帰るという、それはそれで良き時代でした。懐かしい限りです・・・。
行きと帰りは、大渋滞、
スキー場では、滑りは5分、リフト待ち20分。
日曜日も全力で滑り、翌日出社。
今は無理だけど、当時は楽しかったなぁ。
今思うとハードですね!ただ、当時は仲間同士でスキーに行くことが多く、楽しかったです。