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小さき花-第7章~7

2022-09-30 03:44:55 | 小さき花

 いずれ後日天国に行ってから、この島流しの世の辛く陰気な日の事を思い、天主様の為に堪えたこの苦痛を喜んで思い起こすでありましょう。父の殉教(病苦)は三年も長く続きました。しかしこの三年は私にとって最も利益になる最も大切な年であったと思います。その苦しみの三年間はいかに優れた慰さめよりなお貴重でありました。そして私はこの時に受けた心の苦痛を耐えた功績……即ちこの上もない価値のある彼の宝を思いますと、感謝に堪えずしてこう叫びます「主よ祝せられ給え……苦しみの中に過ごした彼の恩恵豊かな年の為に大いに感謝いたします」と。親愛なる母様、私等はその苦しい境遇の中でも絶えず私等の心が愛と感謝の念とに満たされておりましたからこの苦き十字架は如何にも貴重で、如何にも甘味でありました。そのときに私等は完徳の道に歩むばかりでなく走っておりました。いや全く飛ぶようでありました。
 レオニアとセリナは、現世に住まいしていながら、もはやこの世の人ではありませんでした。その時分に彼らの贈った手紙を見ると天主様の摂理にまかせるという心が非常なものであったという事が良く表れております。セリナは私を修院に訪ねて来た時には、如何にも愉快でありました。修院の客室にある鉄格子は私等の身体を分け隔てておりましても、同じ思想や望みや、イエズス様と霊魂等を愛する同じ愛を持っておりましたので、却って二人の心を一層強く一致させておりました(すなわち同居しているために起こる肉身的の愛よりも天主様の為に互いに別れ離れているので一層強く霊的の愛が起こったのであります)そしてその時の会話にはこの世間のことについて一言も言いませんでした。私等は以前家にいた時のように、最早肉眼でなく心の眼を以って時と場所とを越えて未来永遠の方に注ぎ、早くその福楽を受けたいという目的で、この世界の中に苦難と蔑視される事を選んでいたのであります。
 私は苦しみに遭いたいという望みは全うせられておりましたが、しかしなお苦しみを愛そうという心の傾きが減りませんので間もなく霊魂もまた試しに遭い、例の無感覚がましてきて、天からも地からも少しの慰めも得ませんでしたが、それに関わらず私は一心に望んでいたこの苦しみの洪水の中では、人々の中で一番幸福な者であったのであります。
 私の許嫁の期間はこのように過ぎました。私にとってはこの期間は真に待ち遠しくありました、この年の末に母様は私に「まだ誓願を立てる事を神父が許可してくれませんでした」と仰せられましたので、私はこの上まだ八か月も待たねばなりません。最初に私はこのように犠牲を捧げるのは至って辛くありましたが、しかし間もなく聖寵の光が霊魂の中に浸み込みました。



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