まことに聖主は私に対してかくのごとくにして下さいました。私は今この意味深き言葉についていちいち私の身の上にまるで実行せられたという事を証拠立てるができますが、しかし直に申し上げた所の恩寵が、これを証拠とするに十分であろうと思いますから、ここにはただ聖主が「豊かに」与えて下さった養いだけについて一言申しましょう。
私はまだ聖書の中に含んでいる、かくれたる意味を悟ることが出来ませんでした。「イエズスキリストの模範」は私の霊魂の利益になる唯一の書物でありました。この書物の中に含まれてある「一番純潔なる粉」は永く前から私の霊性を修養しておりました。私はこの小さき書物は決して離しませんでした。これが為家族の者等が面白がって、ときどき叔母などは無造作にこの書物を開いて、自分の眼についた章句を私に尋ねて居りました。14歳の時に私のこの「知りたい」という望みと同時に、天主様が一番純潔な粉に、蜂蜜と油とを豊かに添えるのを必要と聖慮されて私に注いで下さいました。この蜂蜜と油という事は、アルミンジョンという霊父が、この世の終わりと未来命の妙理についてなさった説教を書いてある書物によってその意味を悟ることが出来ました。この霊父の説教を集めてある書物を読んで私の霊魂にとってはこの地上の楽しみではない一つの楽しみを感じました。即ち主を愛し奉る者の為に供え置いて下さる所の天国の幸いを前もって悟るようになったのであります。そしてこの世界の些細な犠牲に対して永遠の褒賞が釣り合わぬほど非常に優れて居るのを見て、私は命のあらん限り力の続く限り、あらゆる手段方法を以って、聖主イエズス様を熱心に愛し、なおその愛を表現したいと望みました。
私は降誕祭から後、特にセリナを選んで心の底を打ち明けておりました、イエズス様が我等二人を共に善徳のほうに導き進めたいという聖慮であったのでありましょう。両人の心の中には肉親の縁よりも強い縁が結ばれて、霊魂上の姉妹として下さいました。そしてそのとき私らに対して、十字架の聖ヨハネ(11月24日祝日)その聖歌の中に書かれているある言葉を実行させてくださいました。即ち
我が親愛なる御方よ。少女達が主の跡を踏みながら、
早く難なく徳の道を歩み、火花の触りと、
香料を入れた酒に励まされて、天上の薫りを放つ。
真に私等がイエズス様の御跡を踏んで完徳に進み行くのは、まことに早く難なくそして快活でありました。聖主が私等の霊魂の中に蒔きなさった燃ゆる火花(恩寵)と、我等に飲ませて下さった甘い酒(霊的の愉快)とが、此の世のはかなきことの為に、私等の眼を奪われないようにして下さいました。それで私等の唇からは愛熱の燃ゆる香料を放っておりました。
ああ、私はこの時セリナと霊魂上の会話をした事を思い出すと、いかにも愉快であります。毎夜、物見台に登り、蒼空に撒かれている金色の星を仰ぎみておりましたが、その時私等は多くの恩寵を与えられておったような感がいたします。
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