こういう追懐は真に愉快であります。しかしながら私等にとって最も大いなる慰めと思うのは、この聖き家に於いて聖体を拝領し、御主が御生活なさった同じ場所で、私はイエズス様の活ける聖堂となったことであります。ローマの慣例では聖体は各天主堂にただ一の祭壇が設けられ、そこに保存せられてあります。そうしてその祭壇により司祭が信者たちに聖体を授けます。この小さき聖き家は、貴重なダイヤモンドが白い蝋石に囲われている如くに天主堂の中にあります。そしてその側には聖櫃の置かれてある祭壇がありまして参拝者は皆この祭壇のもとでミサに与り聖体を拝領します。しかし私等はこの部屋で聖体を受けるよりも、この聖き家の中……即ち飾り箱のなかではなくダイヤモンドの中で、天使のパン(聖体)を受けたかったのであります。この聖き家の中にも祭壇がありまして、時々特別のミサがあります。常に中和を以って父は他の参拝者たちに混じりましたが、さほどに柔和でない姉と私とはこの聖き家に入りました。
すると僥倖にも天主様の厚き御摂理によって、ちょうどその時一司祭が今そこにミサをおこなおうとして居られる所でありまししたから、早速聖体を受けたいという事を願いまして素のミサに預かり特別に聖体を拝領いたしました。その時のうれしさ喜ばしさは到底申し述べることが出来ません。しばらくこの家に居ってさえも斯様に喜ばしいことがあったと思えば、後日天の王の宮殿の中に於いて、永遠に天主様と一致する時の歓喜福楽はどれほどでありましょうか?天国には私の歓喜には終わりがなく、そこから出発せねばならぬという悲しみもありません。また私等が致した如く聖き記念として聖主のご存命中生活して居られたこの家の壁を、ひそかに欠いて持ち帰る必要もありません。なぜならば天主の住居はいつまでも永遠に私等の住居となってしまうからであります。
御主がご自分の住居しておられた地上の家を私等に与えたいという聖慮ではなく、ただ貧窮とか質素とか、隠れた生活を重んじさせるために見せてくださるのでありまして、私等の為に残しておられる住家は御自身の光栄の宮殿であります。そこには最早幼児の姿ではなく、また僅かのパン(聖体)のうちに覆われておられるのではなく、限りなき栄光を帯びて光り輝いておられる、実際の御容姿を拝することが出来ましょう。
これからローマについての事を申し上げましょう。私はローマに行くならば、そこで修院に入る好き返事を受けて慰めを得るであろうと思うておりましたところが、却って悲しみが待っておりました。このローマに着いた時は夜でありまして、私は汽車の中で眠っておりますと、駅夫は勿論、参拝者の多数は喜び勇んで、ローマ!ローマ!と騒ぎ叫ぶ声に驚かされて目が覚めました。これは夢ではなく実際にローマに着いておりました。
最初は真に愉快な楽しい一日をローマの郊外を巡りました。全ての建築物は古代の風がそのままに残っておりますが然しローマの中央はこれと違って大きな旅宿や商店の前を通ると別にパリ市と違ったところがありません。このローマ郊外の見物は特に私に深く愉快な感想を残しました。殊にコロッセオ(むかし多くの公教信者が猛獣の餌食となって天主様の為に身を捧げたところ)の遺跡に行くと何とも言えない深い感想が致しました。ああむかし多くの殉教者がイエズス様のために血潮を流した場所はここである……最早彼らの光栄ある名高い戦いによって聖とせられた。その地の址に接吻いたそう……と、しかし予想が外れて、今日この有名なコロッセオは余程壊れて4間ばかりも地上げせられ、遺物を掘り取るために所々深く掘られ、中央はただ種々の破片ものなどが集められてあります。そして通行の出来ないように保存する工事中でありましたので、あまりに危険で誰もこの中に入るものがありませんでした。
しかし私等はせっかくローマに来てこのコロッセオの中に入らず帰るのは如何にも遺憾であると思いましたので、私は最早案内者の説明も聴かず、ただこの中に入りたいという事のみを望んでおりました。
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