一般社団法人「教育デザインラボ」代表理事
石田勝紀
●「宿題」を考え直す●
自主的に「やりたくなるもの」に
「宿題」という言葉を聞いて、心地いいと思う人は少ないでしょう。
少なくとも小学1年生から中学3年生までの義務教育の9年間、子どもの生活は、宿題とともにあると言っても過言ではありません。
学校や塾で毎回のように宿題が出され、家では親に「宿題をやりなさい」と言われ、そして高校、大学、そして社会人になってもこの「宿題」という言葉がつきまとってくることさえあります。
そもそも、宿題に何の意味があるのでしょうか。
筆者は20歳で起業し学習塾を始めた際、宿題を出していました。なぜ出していたかというと、「通常、宿題は出すものだから」という全く意味のない理由でした。
宿題を出すとどういう現象が起こるかといえば、まず宿題をやってこない子がいます。授業は宿題をやっていることを前提に進めるため、宿題をやってこない子はどんどん遅れる羽目に。さらに、宿題をやってこない子に説教する必要も生まれるため、子どもが勉強嫌いになることも起こりました。
そこで、宿題を完全撤廃したのです。こんな意味のない宿題なら出さない方がいい。
「そもそもなぜ宿題を出す必要があるのか?」と考えた時、これは指導者側の怠慢なのではないか?とすら感じたのです。
そこで、子どもたちには宿題を出さない代わりに、授業中に覚える時間をつくりました。練習の時間もかなりつくりました。それでも伸びない子は別途、補習と称して個別で教えたのです。(もちろん無償で実施)
この流れによって宿題を出さなくても成績は確実に上がることが分かりました。
さらに興味深い現象が起こりました。
筆者はいわゆる“宿題”は出していませんが、レベルアッププリントを用意し、「やらなくてもいい。でもこれをやると今日のレベルから二つぐらい上がる」とアナウンスしました。このプリントをやらなくても基礎力は授業で十分付けているので問題ないのですが、なぜか子どもたちは、そのプリントを下さいと言ってきます。そして、これが実質的な“宿題”になっていたのです。
「宿題はやらされるものではなく、やりたいもの」。このように、これまでの概念がひっくり返りました。
本来、宿題は、子どもが自主的にさらに学力を伸ばしたいのであれば出してあげるものであり、そうでなければ、宿題を出さずに授業内で基本事項を完結させるべきでしょう。
それを家庭に持ち込ませ、勉強ができるようになるかどうかを子どもの責任、家庭の責任とするのは、いかがなものかと考えます。宿題の意義について、一度、考え直してみるのも大切だと思います。
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