城址へ径幾曲り乱れ萩
こぼさねば通れぬ萩の径なりし 逸孝
(洲本市三熊山にて H.22.10.18)
須磨明石見ゆる秋晴れつづきけり 逸孝
10月は秋晴れの日が続き、何もかも爽やかに明るく空は高く大らかである。
淡路ハイウエーオアシスから見た明石海峡は蒼く凪わたり航き交う船の白い航跡が波間に消えてゆ
く。遠く須磨の鉢伏山から垂水、明石方面が手に取るように見渡せた。
(このフォトは三枚のデジカメ写真を撮り後から接ぎ合わせてパノラマ写真にアレンジしました。)
老い独り待つ人のなく曼珠沙華 逸孝
今年は各地とも曼珠沙華の開花が遅れているようである。
近くの休耕田の畔に朝日に輝いている一叢を見つけカメラに
収めた。 葉を持たない花があまりにも妖精を帯びているので、昔から
彼岸花、死人花、幽霊花、狐花などと呼ばれているようだ。
天高しヘリコプターの臓腑透け 逸孝
秋が深まりゆくとともに、ますます空気が澄んで、春や夏と違って空が高いように感じる。そして一刷毛の雲があると、いっそうその感が強い。 晴れ上がった空を仰いでいると 乗員の顔が見えるほどの低空飛行でへりが頭上を過ぎ去った。
コスモスはたまらなくさみしげな花 逸考
細い草姿が少しの風にも揺らいでいる可憐な秋の草花、たまらなく寂し
げな花・・・・コスモス 秋の風情をもっとも感じる花である。
風白くなりたる気配野路の秋 逸考
大陸の涼しい高気圧が張り出し連日の猛暑も漸く峠を越えたようである。
秋雨前線が列島を南下し その影響で朝から吹き過ぎる 爽やかな
風がとても心地良い。長かった今年の夏、秋が短くならなければよいがと希うのみである。
ばったんこ気だるき音を繰り返し 逸孝
田畑を荒らす鳥獣を脅すために極めて素朴な仕掛けである。
山水などの落ちる水をシーソー形に組んだ太い竹筒の一端
に受けて、他の一端が間歇的に土台の石を打つ音で鳥獣を
追い払うというもの。別名を 添水、僧都(そうず)とも云う。
季節: 秋
秋暑し正中の蔭濃く落とし 逸考
久しぶりにいつもの散歩コースへカメラを担いで出かけました。淡路夢舞台の植物館へ入りましたが、館内の暑さには閉口、入口でもらった小さな保冷剤を頭に載せても、焼け石に水とはこのことでしょうか?サッパリ効用なし。館内の所々に大きな扇風機や送風筒それにミスト装置がおかれていますが、生ぬるい風をかき混ぜているような感じです。
この時期、カメラに収めるような花なども、あまりないようで 早々に退散しました。
やっぱり 家が一案涼しいと 思いました!
どこよりも家が涼しと帰りけり
野牡丹の夕散るいのち惜しみけり 逸考
野は野生を意味し 普通の牡丹とは全く花も種類も異なる。晩夏より秋にかけて次から次とつぎと五弁の花を枝先につける。朝咲いて夕べを待たぬ散り際が潔い・・・・・・
挿し木が簡単なので最近鉢植えのものを園芸店でみかける。
はなやぐも夕べ儚き布袋草 逸考
庭のメダカ用に作った小さなビオトープに布袋草の花が、いつ咲いたのか知らぬ間に
花をつけている。朝咲いて夕方には萎んでしまう儚い命である。
尺取の全身使い尺を取る 逸考
尺取虫はシャクガ科の蛾類の幼虫である。しかしイモ虫と異なる点は普通のイモ虫が体全体にある足と
疣足を使い物に体を沿わせて歩くが、尺取虫は体の前後の端にしか、足がないということである。
全身の屈曲運動で指で物の寸法を測る格好に似ているところから、この名がある。
尺取虫に全身の尺を取られると死ぬなどという俗説がある。