重粒子線治療患者の生きた証し by imas

前立腺ガン患者の平凡な日々を綴ります

遅く起きた日

2012-03-10 18:36:23 | 新聞記事
2日連続の雨になりましたね。気温も上がらず寒い日です。


木々や植物の新しい芽を勢いづかせるには、相当な水が必要ですから

こうして春先には雨が多いのですね。自然の摂理には感心させられます。


自然界では人間はほんの小さい存在であり、人類が絶対に押さえつける事ができないのが自然です。

人は自然界で生かされているのだという、謙虚な気持ちで、共存をしていかなければなりません。


仕事でドタバタ、通勤途中の接触事故と結構しんどい日が続き、

昨日のPSAの数値の低下で安堵したのでしょうか、

明け方の地震はなんとなく感じてはいましたが、起き上がらず

目が覚めた時は、昼の12時でした。


本日の読売新聞の群馬版より



震災の被災者約1,000人を、震災後の3月18日に片品村が受け入れた記事です。

3月14日の早朝に、村長が、村幹部10人に自らの決心を明かした。

「同じ日本人だ。避難者1,000人を迎えよう」と。

専権処分で1億の予算を付けて、ひとりの予算を2,500円で、宿側に払う。

そうして、3月18日の深夜には938人の南相馬市の避難者が到着し、

半年後の9月29日に最後の一人が福島に帰った。

受け入れた宿の大半が赤字になり、警察の厄介になる避難住民もいた。


村長は「広域支援のあり方に道しるべを示した」と信じている。

県が1月に修正した地域防災計画も村の経験が参考になった。

村の記録は、日本の防災上、貴重な資料になるだろう。


片品村が、震災後に素早い行動を起こした事は、当時の報道で知り、

何故ほかの市町村も受け入れないのだろうかと思った。

桐生は市営住宅も空室が相当数あるはず、どうして、素早い行動が起こせないのだろうか?

行政もスピードが求めらて久しいが、まだまだ民間に比べれが遅い。

企業が市外に転出、その結果が、人口の減少に拍車をかける。

今の政府と同じで、なにもやらない市行政、これでは若者は住みつかなくなる。

明日で震災1年、この機にもう一度、全て見直しましょう。


明日から2011年3月11日の記録として、当時の新聞記事の一面を投稿していきます。

皆様も一年前を振り返ってみてはいかがでしょうか?。