因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

平成中村座 陽春大歌舞伎

2015-04-18 | 舞台

*公式サイトはこちら 浅草寺境内 5月1日まで
 前回平成中村座に行ったのは3年前のこと。このときは隅田川沿いをしばらく歩いたところに小屋があり、十八代目中村勘三郎は存命であった。というより、あの人がこの世から、舞台からいなくなるなど考えたことがなかった。あっという間に旅立ってからもう2年数カ月が経つ。今回は賑やかな仲見世を通りぬけた浅草寺の境内奥に小屋が建ち、「十八代目中村勘三郎を偲んで」と題して、ゆかりの演目がずらりと並ぶ。演じるのは長男勘九郎、次男七之助はじめ、義弟橋之助、その息子の国生、宗生、宣生三兄弟、勘三郎によって見出された中村獅童、盟友の坂東彌十郎や片岡亀蔵、そして中村屋のお弟子たちである。演じる役ぜんぶが初役という俳優もあり、勘三郎の遺志を受け継ぎ、さらに発展させようとする熱い思いが伝わってくる。

 筋書きは単行本サイズで持ちやすく、読みごたえのあるものだが、出演者のなかに「中村小山三」の名前をみつけると、やはり悲しくなった。十七代目中村勘三郎の時代から、十八代目、息子の勘九郎、七之助、さらに勘九郎長男の波野七緒八まで、じつに中村屋を四世代にわたって支えてきた献身の老優である。4月6日に歌舞伎界最高齢の94歳で旅立った。高齢ゆえ、最近の出番は非常に少なかったが、小山三さんが登場すると客席がどっと沸く。元気なすがたをみるのがほんとうに嬉しかったのに。

 客席入口の掲示によれば、平成中村座の収容人数は870名とのこと。とすると世田谷パブリックシアターやシアターコクーンよりも大きいのだが、ほどよい大きさの居心地のいい劇場、いや芝居小屋の風情がある。もう少し床に傾斜があれば、前の方の頭が気にならないのだろうが、桟敷席と椅子席のバランスもよく、天井に「平成中村座」と書かれた大きな提灯が揺れて、休憩時間には窓のカバー?をはずして日光が入ってきたりなど、ここでしか味わえない江戸の芝居小屋の雰囲気が溢れるようだ。
 舞台と客席も近い。花道などもあまり高さがなく、観客のすぐ脇という印象である。

 昼の部は『双蝶々曲輪日記』より「角力場」、歌舞伎十八番『勧進帳』、最後は『魚屋宗五郎』である。
 『勧進帳』は橋之助の弁慶、勘九郎の富樫、七之助の義経である。これまで歌舞伎座で一等席を奮発したことはあるが、こんなに舞台と「近い」ところで『勧進帳』をみるのははじめてではないか。兄の頼朝に追われ、山伏に身をやつして奥州へ落ち延びようとする義経一行は何としても安宅の関を越えねばならない。そして迎え撃つ富樫はぜったいに見のがすことはできない。両者の激しい攻防が、やがてことばにはならない温かな情を生じさせる。
 たとえ追われる身であっても、最後まであるじ義経を守り抜こうとする弁慶たちの忠義、それを感謝しながら、応えられない落魄の義経の哀れ、彼らが義経一行と確信しながら、敢えて見のがす富樫の情け。
 現代には存在しない心のありようがみっしり詰まった人間ドラマは、みるたびに「ほんとうに関を越えられるだろうか」と手に汗握る緊迫感があり、弁慶が先に行った義経たちを見届けながら、飛び六法で花道を駆け抜ける終幕は、何度みても胸が熱くなる。

 残念ながら平成中村座でみた『勧進帳』には、ことばにしづらい奇妙な違和感をもった。単純に言えば、「近すぎた」のだろうか。
 クライマックスで、橋之助の弁慶は激しい息づかいが客席に聞こえるほどであり、飛び六法では、思わず声が出てしまうのだろうか、何か叫びながら駆けてゆく。これを臨場感として味わえればよかったのだが、自分にはその感覚はもてなかったのである。

 弁慶も義経も富樫も、劇世界に生きる人間であり、演じるのは生身の俳優である。額の汗が見えたり、息づかいが聞こえたりするのは当然であり、そこに歌舞伎ならではの味わいをみるべきなのだろうが、今回実感したのは、自分が『勧進帳』に対して、ある種の「距離感」を求めていることである。
「距離感」というのは、まだまだこなれていない表現であるが、最後の演目の「魚屋宗五郎」の場合、舞台と客席の近いことが最大級の効果を発揮し、じゅうぶんに楽しめたのである。
 『勧進帳』の人々は、生きた人間でありながら、どこかこの世の人ではない何かを纏っている。あるいは背負わされている。作品ぜんたいがもつ幽玄、死生観とでも言おうか。安宅の関を超えても義経一行の末路は滅びである。義経も弁慶もまたそれをわかっている。そして見のがした富樫はやがて腹を切って責任をとることになる。人々が向かうのは例外なく死の世界なのだ。
 その世界が、中村座の小屋では身近な人間ドラマのように感じられた。小さな小屋では不向きな演目かというと、決してそんなことはないはず。つまり小屋の大きさや、小屋の性質、風情、客席も含めた空気感に合わせた作り方があるのではなかろうか。

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