ひと月に参加する句会が3つになって、3か月が経ちました。俳句をはじめたころは、月1度の句会の5句が精いっぱいだったのがひとつ増え、だんだん欲が出てきて遂に月3つになったわけであります。句会が月に3つですと、毎月提出の締切がつぎつぎにやってくる。自分から俳句を追い求めるというより、「句会の締切に追われている」のが実情です。
句会の場数を踏めばそれだけ上達しているかというと、それがどうもよくわからないという・・・。
「この句ならいけそう」という予想はほとんどはずれ、あまり考えずに何となく浮かんだことばを五七五にした(この過程ではそれなりに努力している)ものに選をいただいたり、句会本番まで自分の出来がまったくわからないというのも不思議でありますが、そういうものなのでしょう。
金星句会と演劇人句会については過去記事こちら、今年1月から参加している本部句会のことはこちらへお運びくださいませ。
先週、4月の本部句会が行われました。出席者は54名、ひとり5句、合計270句から選び、考える数時間です。
句会の大きなポイントのひとつは、「自分の句が選ばれるかどうか」だと思ってきましたし、たぶんまちがいではないでしょう。しかしこれほどの大人数で、句歴の長いベテラン、主宰も幹部方も出句される句会においては、「自分の句」にこだわっていては肝心なことを見のがし、この句会ならではの恩恵をじゅうぶんに受け取れないことに気づきます。
幸いなことに、これまで参加した本部句会ではいずれもどなたかの選をいただきました。中には望外の評価を賜った句もあり、とても励みになっています。しかしこれはもう奇跡というか、めったにないことであり、それだけを気にしていると、披講で自作に選がはいった時点で句会が完結してしまいます。
大切なのはほかの方々の句に心を注ぐことではないでしょうか?
たとえば4月の兼題は、「春筍」(はるたけのこ、しゅんじゅん)、「若鮎」、「駒鳥」、「葭切」(よしきり)でした。たけのこと鮎はともかく、鳥の季語についてはイメージすら浮かばず、句を作ることを早々にあきらめました。ならば参加した方々の句をしっかりと味わって、その季語の個性を知り、使い方や活かし方を吸収しなければなりません。自分の5句を提出したあとは、清記作成や披講による点盛などの「作業」だけやっていればよいのではない。そこからが句会の旨みであり、重要なところ。
270もの句をどんどんみていくとき、どうすればよいか。いまのところ、先輩方の様子をチラ見しつつ、知らない季語や言い回しをみつけたらノートに書きだして、あとで調べるのがせいいっぱい状態です。あとは自分がどの句を選ばせていただいたのかをちゃんと記録しておくことですね。結構忘れているのです。どなたの句か、そのかたはほかにどんな句を作っていらっしゃるか。どんな句を選んでいらっしゃるかを覚えようとすること。
大人数の句会は、自分のような初学者にはとかく流れ作業をこなすことに終始しがちな面があり、自戒しつつ試行錯誤しながら、たくさんの句に出会える時間をもっと大切にしたいと思います。
と書いているうちに、明日の夜は演劇人句会です。「御影供」、「鳥帰る」に加え、「変ロ長調」という冗談のような課題(兼題ではない!)もあって、さてどうしたものでしょう?
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