因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シリーズ・同時代『昔の女』

2009-03-22 | インポート
*ローラント・シンメルプフェニヒ作 大塚直翻訳 倉持裕演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 22日で終了
 昨年川崎市アートセンターでみた『前と後』のリーディング公演がシンメルプフェニヒその人の作品であったことを思い出す。このときは「ほぼ完敗」を認めざるを得ないありさまであった。違う作品とはいえ、こんなに早く再会できたのは幸運なのだが、いや自分はまだ準備が出来ていない…。
 登場人物はわずか5人。いつの時代のどこの町ともしれない場所で起こる物語だ。明日は引っ越しをする家族のもとにに、父親(松重豊)の昔の女(西田尚美)が訪ねてくる。永遠に愛し続けるという約束を果たしてもらいに来たのだそうだ。それは過去の恋愛の話で、彼には妻子がある。24年ぶりという半端な年数で会いにくる点といい、その間女は何をしていたのかわからないところといい、まったく生活臭のない部屋の様子といい、どこか無機的で、どうみればよいのか迷いながらの観劇となった。パンフレットに記載された翻訳者と演出家の対談や、終演後のポストパフォーマンストークで、劇作家が自分の言葉で戯曲を書くこと、それを翻訳し、演出家が読んで俳優たちと共に実際の舞台を作り上げること、それを観客がみるプロセスのなかで、戯曲というものが生き物のようにどんどん変容していく様相を想像して、ぞくぞくした。何の仕事でも絶対に必要なのは互いの信頼だと思っているが、もしかすると舞台作りに関しては、劇作家その人には信頼をおいても、演出家として疑うこともまた必要なのではないだろうかと思う。疑うこと、互いのあいだに溝や壁ができること、ずれていくこと。共同作業ではあっても個人の心に内在する部分が少なからずあり、それもまた舞台を作っていくために重要な要素になるのではないだろうか。

 この日は春の嵐が吹き荒れた。劇の終盤は久々に本気で怖くなり、舞台から目を背けてしまった場面もある。後味が悪く食欲が落ちる。時間の余裕はあったが、この日2本めの舞台にでかけることは止めにした。けれど嵐の止んだ空を見上げる気持ちは幸せだった。こんな複雑な思いを与えてくれた『昔の女』にダンケシェーン。
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