*ハロルド・ピンター『レヴューのためのスケッチ』より 山登敬之構成・演出 中本孝昭演出協力 東京えびすさまシアター 22日で終了 (1,1',2)
都内某所のクリニックを劇場にして2010年晩秋にはじまったクリニックシアター。1年半ごとに回を重ね、3度めの公演となった。
今回の演目はつぎのとおり。
★『最後の1枚』
★『三人の対話』
★『応募者』
いつもは観客が待合室、談話室、院長室を移動しながら、そこで1篇ずつ上演される芝居をみるという、まさに「ツアー」形式がとられているが、今回は待合室だけで行われた。
クリニックシアターならではの冒険心、遊び心は依然として衰えず、開幕してから新たに加わった1幕もあって盛りだくさんの公演となった。
「おまけの1本です」として最後に上演されたのが、男優ふたりが志村けんと柄本明ばりの女装でおこなう『最後の1枚』をベースにした1幕だ。女装版は前回、前々回もあり、ふたりが金髪のかつらに派手なドレスで登場したときは、申しわけないが「またか」と思った。
しかしピンターの原作に、俳優それぞれの個人的な歴史(例:国立病院に9年間つとめて退職金がこれだけしか)などを巧みに盛り込んで客席を笑わせ、最後には俳優が女装を解いて素にもどり、この日の3本ぜんたいをしめくくるかたちで幕をとじたあたりは心憎い構成・演出であった。
クリニックシアターが掲げるのは「社会人演劇」であり、プロ、アマチュア、素人などというくくりとはまた別のところに成立するものだ。時間をかけてじっくりと作り上げていることもあり、シアターのみなさんはみずからがお芝居を楽しんでいるとお見受けする。ゆとりがあり、スマートなのだ。しかしそこには「趣味」のレベルを越えたシビアなものも感じられる。
むろん力いっぱい限界まで、より高みを目指して努力することはすばらしい。新劇、商業演劇、小劇場のジャンルに関わりなく、筆者は日々そういった舞台に触れることによって生かされていると実感する。
クリニックシアターの「社会人演劇」は、ほかに生業をもつ人が、なぜ演劇というあまり経済効率のよくない行為を敢えてするのか、演劇をつくること、それをみることが、人生に、もっと大きく社会にどのような実りをもたらすのかを、控えめなかたちで提示しているのではないだろうか。単に「むかし学生演劇をやっていたから」とか、「演劇が好きだから」という個人的な好みだけではない。演劇が人に何を与えるか、人は演劇から何を得られるか、まさに演劇のもつ魅力、魔力、必要性が潜んでいると思われてならないのである。
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