*ロナ・マンロー作 谷岡健彦訳
『アイアン』はスコットランドの女性劇作家 ロナ・マンローが2002年に発表し、同年エディンバラ・フェスティバルで上演され、好評を博した戯曲である。先日兵庫県伊丹市のアイホールで劇団太陽族の岩崎正裕演出によるリーディング上演が行われた。残念ながら足を運べなかったが、戯曲を読む幸運が与えられたので、本稿は「戯曲読み」から得た印象を記すことにする。
考えてみると、自分が戯曲を読むのはたいてい一度は舞台上演を見たものであり、まったく戯曲から入ることは極めて珍しい体験であることに気づいた。「先に知ってしまうのはもったいない、まずは舞台を楽しんでから」という気持ちがあるのだろう。ほとんど白紙の状態で戯曲を読むのは、思いのほか難しい作業であった。
登場人物は夫殺しの罪で終身刑に服すフェイ(45歳)、その娘で15年ぶりに母親に会いにくるジョージー(25歳)、看守1(53歳男性)、看守2(24歳女性)の4人である。いったい誰をどの俳優にすればよいのか、いろいろな人のイメージが浮かんではかき消され、最初の読みは充分なものではなかった。
二度目は配役を次のように決めて読むことにした。文学座バージョンである。フェイ:倉野章子 娘ジョージー:佐古真弓 看守1:戸井田稔。人物がどんどん動き出す。ところが看守2が決まらない。言動が粗野なところがあり、かと思うと案外親切だったりして、なかなか色を決めにくいのだ。フェイの娘と同年代というところが肝心で、年齢を考慮しなければ富沢亜古さんかな?とも思うのだが。看守2不在のままで読み進む。ちょっと遊んでみたくなり、フェイを秋山菜津子にしてみた。
ジョージーは中嶋朋子か深津絵里。そうすると看守2は犬山イヌコになり、案外悪くなさそうだ。看守1は山崎一に落ち着くのだろうか。ほとんど『労働者M』の世界である。
ところが欲が出てフェイを大竹しのぶにしてしまう。となるとジョージーは菅野美穂である。これは手強い。
母子の場面を考えるだけで精一杯、手も足も出ない状態となった。
母と娘がこわごわと近寄る様子を描いた第1幕が終わり、第2幕の冒頭に二人の看守の会話の場面があって、ここがなかなかおもしろい。しかし看守2の配役がどうしても決まらない。しかたなく看守2の台詞を自分が音読しながら戯曲を読み進む。我ながら何をしているのかと思う。
娘は自分自身の心を、「根っこ」を探しに母親に会いに行く。母親は娘に歩み寄ろうとするが、過去の記憶にもがき苦しむ。両者の会話は安易な共感や同情を拒絶するかのように鋭く重い。
その鋭さにおののき、重さに圧倒されながらも心の中で俳優を動かすことに、ぞくぞくするようなおもしろさを感じるのである。生きて動く俳優の姿を思い浮かべることができればその戯曲は魅力を放ち、わたしを捕えて離さない。俳優の姿や声を心の中で想像し、自由に動かす。既にこの世にいない俳優も、厚かましくも自分さえも登場させることができる。なかには思い通りに動いてくれない方もいるが、それもまた楽し。
『アイアン』の世界には足を踏み入れたばかりだ。人物の言葉をもっと深く読み取り、その心に近づきたい。
『アイアン』はスコットランドの女性劇作家 ロナ・マンローが2002年に発表し、同年エディンバラ・フェスティバルで上演され、好評を博した戯曲である。先日兵庫県伊丹市のアイホールで劇団太陽族の岩崎正裕演出によるリーディング上演が行われた。残念ながら足を運べなかったが、戯曲を読む幸運が与えられたので、本稿は「戯曲読み」から得た印象を記すことにする。
考えてみると、自分が戯曲を読むのはたいてい一度は舞台上演を見たものであり、まったく戯曲から入ることは極めて珍しい体験であることに気づいた。「先に知ってしまうのはもったいない、まずは舞台を楽しんでから」という気持ちがあるのだろう。ほとんど白紙の状態で戯曲を読むのは、思いのほか難しい作業であった。
登場人物は夫殺しの罪で終身刑に服すフェイ(45歳)、その娘で15年ぶりに母親に会いにくるジョージー(25歳)、看守1(53歳男性)、看守2(24歳女性)の4人である。いったい誰をどの俳優にすればよいのか、いろいろな人のイメージが浮かんではかき消され、最初の読みは充分なものではなかった。
二度目は配役を次のように決めて読むことにした。文学座バージョンである。フェイ:倉野章子 娘ジョージー:佐古真弓 看守1:戸井田稔。人物がどんどん動き出す。ところが看守2が決まらない。言動が粗野なところがあり、かと思うと案外親切だったりして、なかなか色を決めにくいのだ。フェイの娘と同年代というところが肝心で、年齢を考慮しなければ富沢亜古さんかな?とも思うのだが。看守2不在のままで読み進む。ちょっと遊んでみたくなり、フェイを秋山菜津子にしてみた。
ジョージーは中嶋朋子か深津絵里。そうすると看守2は犬山イヌコになり、案外悪くなさそうだ。看守1は山崎一に落ち着くのだろうか。ほとんど『労働者M』の世界である。
ところが欲が出てフェイを大竹しのぶにしてしまう。となるとジョージーは菅野美穂である。これは手強い。
母子の場面を考えるだけで精一杯、手も足も出ない状態となった。
母と娘がこわごわと近寄る様子を描いた第1幕が終わり、第2幕の冒頭に二人の看守の会話の場面があって、ここがなかなかおもしろい。しかし看守2の配役がどうしても決まらない。しかたなく看守2の台詞を自分が音読しながら戯曲を読み進む。我ながら何をしているのかと思う。
娘は自分自身の心を、「根っこ」を探しに母親に会いに行く。母親は娘に歩み寄ろうとするが、過去の記憶にもがき苦しむ。両者の会話は安易な共感や同情を拒絶するかのように鋭く重い。
その鋭さにおののき、重さに圧倒されながらも心の中で俳優を動かすことに、ぞくぞくするようなおもしろさを感じるのである。生きて動く俳優の姿を思い浮かべることができればその戯曲は魅力を放ち、わたしを捕えて離さない。俳優の姿や声を心の中で想像し、自由に動かす。既にこの世にいない俳優も、厚かましくも自分さえも登場させることができる。なかには思い通りに動いてくれない方もいるが、それもまた楽し。
『アイアン』の世界には足を踏み入れたばかりだ。人物の言葉をもっと深く読み取り、その心に近づきたい。
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