因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『ホテル・ルワンダ』

2006-02-27 | 映画
*ケア・ピアソン、テリー・ジョージ 脚本 テリー・ジョージ監督
 94年にアフリカのルワンダで民族大虐殺が行われたとき、ある高級ホテルの支配人ポール・ルセサバギナ氏がおよそ1200人もの人々を匿い、救出に導いた実話に基づく作品。
 この作品の特徴は、第一に主人公が決してスーパーマンではないことである。ポールは「アフリカのシンドラー」と呼ばれているそうだが、シンドラーとの決定的な違いは、彼自身が事件の当事者であり、家族もろとも命の危険に曝されていたという点だ。第二に作品が日本で公開されるまでの過程が特殊である点だ。情報をまだ充分整理・把握していないのだが、あまりに重い内容から公開が危ぶまれていたところを、一人の青年の呼びかけに端を発してネットによる署名で公開にこぎつけたというのである。それほどこの映画を見たい、見て欲しいと願う人々が大勢いたということなのだ。
 始めは自分の家族が助かることだけを思っていたポールが、次第に自分を犠牲にしても人々を守り抜こうとしはじめる。
 彼は有能なビジネスマンで、賄賂も使うし裏取引もするし、実にうまい駆け引きをする。しかし周囲の人々を動かすのは、小手先のテクニックではなく、最終的にはやはり人間性なのだと思わせる。

 立ち見も出る盛況と聞き、覚悟して出かけた。小さな映画館は満員である。上演中何度か涙が止まらなくなったが、それはこれほど惨いことが行われているのに、自分は何もできないという申し訳なさ、情けなさに苛まれるからであった。こういう状況に身を置いた時、自分は何ができるだろうかと思うと、絶望的になる。
 しかしこの映画は立派な人の立派な行いを賛美するものではない。国家や民族レベルの大問題で、一人の人間の力では到底太刀打ちできないと思っても、何かできることがある。小さな勇気、やむにやまれぬ自然な衝動から一歩を踏み出すことができる。その可能性と希望が描かれているのである。
 良心の呵責に苛まれ、自分の弱さを悲しんで自己嫌悪に陥るのは、ある意味で自分は誠実であり、何もできない立場にいることに安心したいからでもある。
 映画には「隣人」という言葉が何度も出てくる。 この「隣人」には聖書的なニュアンスが込められていると感じた。すなわち「自分自身を愛するように隣人を愛せよ」というメッセージである。ポールは自分とその家族を真剣に愛した。そして義務や責任感だけではなく、隣人への愛をもって行動したのである。そういう人間に変わっていったのである。

 見終わって外にでると、次の回の上映を待つ人で狭いロビーは熱気に溢れていた。長い列に並んだ人たちをみて、心の中で「頑張ってね」「よろしくお願いします」と言っている自分に気づく。何を頑張り、何をよろしくなのかわからないが、
自分にはもはやルワンダの虐殺なんて知らないとは言えない。逃げ惑い、必死で助けを求めている、あれはわたしの「隣人」なのだ。

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1 コメント

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おけいさん、TBありがとうございました。ルワンダ... (因幡屋)
2006-05-03 00:25:37
おけいさん、TBありがとうございました。ルワンダ本国では評判悪し、ですか・・・。しかしはっきりと「悪評」であるというのは、少なくとも無関心に流されてはいないということであり、それだけの力が本作にあるということだと思います。わたしはその力を信じたいです。おからだ大切に、また当ぶろぐにもお立ち寄りくださいませ!
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