因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

shelf volume11『untitled』

2011-06-03 | 舞台

*矢野靖人 構成・演出 公式サイトはこちら SENTIVAL!2011参加作品 アトリエセンティオ (1,2,3,4) 5日まで
 3月11日の震災が、首都圏に住む自分たちに与えた影響から逃れ得ないこと、同時に直接に多大な被害を受けてはおらず、被災地から距離があり、被災された方々の傷ついた心身をわが身が同じように感じることはできないという絶対的な違いに対する悲しみ。
 これまでみたshelfの舞台はイプセンや岸田國士などの戯曲にしっかりと軸足を作り、その上で独自の表現を試みる形式であったが、今回は複数のテキスト、8人の俳優の身体、携帯電話や帽子などのわずかな小道具だけで、構成したものだ。

 約60分の上演時間は、自分にとっては何とか意識を保てるぎりぎりのところであった。開演15分前に開場、装置のない裸舞台に俳優が板付きになっている。男性2人、女性6人が似たような色合いの不思議な衣装をつけ、たたずみ、座り込み、寝ころがり。ここですでに抽象的、象徴的なつくりと察せられた。
 転形劇場の沈黙劇を想起させるほどに、台詞や動きは少なくゆっくりとしている。震災の生々しい写真が掲載された週刊誌の記事や『小さき者へ』(有島武郎)、『小さなエイルフ』(イプセン)、ほかにベケットやテネシー・ウィリアムズの戯曲の一部が読まれるが、各パートは客席がはっきり理解できるほどの有機的なつながりはもたない。かといって断片的な点描というには舞台を支配する空気はある濃度を持っており、とまどいながら探りながら迷いながらの60分であった。

 この日は終演後に矢野靖人はじめ、当フェスティバルのディレクターを交えたトークがあり、舞台に対するもやもやした気持ちを客席と作り手側が活発に意見を出し合う盛り上がりをみせた。しかし60分の本編に対し、結果的に50分近くに伸びたトークは長すぎる。話が予想外に展開することは大いに歓迎したいが、進行者はどこで仕切りまとめるかをもっと見極めてほしい。
 よくも悪くも本編の舞台よりも劇場は生き生きした雰囲気になり、これまでのshelfの舞台をしっかりとみていただけでなく、きちんと自分の意見を発言する積極性、自立性を備えた観客が多く存在することがわかる。今回の舞台を概ね良かったとする雰囲気であったが、後半に第七劇場主宰の鳴海康平氏の「矢野くんはこれをどうしたかったの?」の発言で流れが一気に変わり、堰を切ったような質問や意見に矢野氏はそうとうに追い込まれているようであったが、それも含めて自分は今回の舞台を単なる通過点ではなく、矢野靖人とshelfの重要な里程標と捉えたい。

 震災は、被災していない者へも複雑微妙な影響をもたらしている。それがいつどのように出てくるか、自分たちの舞台をどのように作っていくのか。怒りや悲しみを直接示すもの、社会的に告発するものなど、手法はさまざまである。影響を受けたことを素直に認め、恐怖や不安から逃げず、いや逃げるなら逃げてもよい、その姿を描くことに演劇人の真骨頂を見せよ。センチメンタルに流されず、自分の軸足をぶれさせず、自己の内面の告白にとどまらない作品に完成させて観客に提示すること。「震災ネタ」、「震災に衝撃を受けた傷つきやすい自分たち」と安易にひとくくりにされないためにも、これからの舞台にいっそう期待するものである。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オクムラ宅『かもめ 四幕の... | トップ | ドラマツルギ2011 劇団エリザ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事