因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

えうれか第四回公演『海と日傘』

2018-06-26 | 舞台

*松田正隆作 南慎介演出 公式サイトはこちら 28日まで 御徒町・ギャラリーしあん1,2,3
 本作の初演は1994年。1996年に岸田國士戯曲賞を受賞した。これまで木山事務所公演、テアトル・エコーなど、違う座組で数回観劇しているが、今回のえうれか公演『海と日傘』にもっとも強い感銘を受けた。

  ギャラリーしあんは築六十年の古民家である。演劇の上演に使う場合、長短あるだろう。縁側の広いガラス戸を締め切って暗幕でも設置しない限り、昼公演と夜公演では光の当たり方や雰囲気が大きく異なる。外の音や道路を歩く人のすがたなども完全に遮断できないので、照明や音響効果について、通常の劇場とは別の工夫や技術が必要になる。また俳優が玄関や縁側から出入りすることの利点や面白みは大きいが、前後の段取りに十分な配慮をしなくてはならないことなど、観客側から察せられるだけでも少なくない。

 演目も十分な吟味が必要だ。利点をより活かし、なおかつ使い勝手のよくないところを補ってなお余りある演劇的効果を出せるか。箱ものの劇場では得られない舞台成果を上げることが可能か。

『海と日傘』は、屋内だけで進行する芝居である。ならばギャラリーしあんは最適かと言うと、却って難しい面もあるのではないか。たとえば昼公演の場合、日光のなかで夜の場面をどう見せるか、逆もまた然り。雨天の場合、運動会の秋晴れや、雨上がりの終幕の台詞を無理なく発することができるのだろうか。

  夜公演を観劇した結果、これらの懸念はすべて杞憂であった。昼間の猛暑が静まり、まだ明るさの残る夕刻に開場し、物語が進むにつれて夜の闇が深まっていく。残暑のけだるい夕方や秋晴れの場面も不自然ではなく、夕食の場面の静けさにしんみりとした味わいがある。いちばん気になっていた終幕の雨上がりは、劇場公演の場合、やや情緒過多に美しくしてしまいがちだが、無理は感じられなかった。

 さらに的確な配役と、それに応える俳優の丁寧で誠実な演技が、舞台成果に結びついた。もっとも難しいのは、夫の佐伯洋次(吉村公佑/劇団B級遊撃隊)であろう。場面を追うごとに彼がいかに中途半端で頼りない男性かがわかってくる。教師としても小説家としても半端であり、家賃を何か月も払えない。そして何といっても女性関係において隙が多い。ならば色白の優男、いかにも文学青年くずれで、太宰治ばりの美男かといえば、戯曲から想像してもどちらかと言うと風采の上がらないタイプではないか。間違っても目から鼻に抜けるような美男子ではない。病弱な妻(花村雅子)を心から大切に思っていることは間違いない。けれど彼はどうも「よそ見」をしてしまうらしいのである。これはいわゆる「モテる」ことではなく、彼は決して「女好き」ではないのだ。

 後半、薬を持ってきた看護婦(森衣里)を妻はひきとめ、しきりに夕飯に誘う。そこでいきなり「たびたび寄ってやって。この人(夫)も寂しくなるだろうから」とどきりとするようなことを言う。

 ここで重要なのが看護師の配役だ。一目見て地味な女性であり、あくまで医師に従って、間違いのない堅実な仕事ぶりがうかがえる。それはおそらく男性に対しても同様で、身持ちの堅い女性であることが察せられる。この場で観客に、「なるほどこの看護師さんならいずれこの旦那さんと…」などと下世話な想像をさせるような女性であってはならないのだ。

 そして編集者の多田久子が幕切れ近くになってようやく登場する。それまで人々の台詞のなかでさんざん思わせぶりな前振りをされており、夫が過去にもやもやしていた相手であり(浮気、愛人といった言葉は使いたくない)、妻も彼女に対して相当な感情を抱いていることが観客の意識にしっかりと植え付けられてからの登場である。

 いわば妻と愛人の直接対決だ。表面的には当り障りのない会話ではあっても、ほんとうの気持ちを曝け出す寸前の危うさがマグマのように底流している。この家の夫婦とその周辺の心優しき人々の交わりのなかに、明らかな異物として飛び込むのが多田久子である。妻よりはずっと若い。しかし男を色香で惑わせるタイプではない。むしろ地味なほうがよい。病弱な妻との生活に倦んだ夫がついふらふらと若い女の色香に迷ったという話ではないと思う。

 演じる松葉祥子は大きな目が生き生きと光り、抑制したふるまいながら、強い生命力を感じさせる。衰え病んだ妻とのちがいは気の毒なほど歴然としており、しかしきっぱりとこの恋は終わったものと決意した潔さを持っている。大事なのはここで、ぜったいに嫌な女に見えてしまってはならないのだ。

 これまで観劇したことのある松葉祥子の出演作(1,2,3)の役柄とは大きく違うタイプの人物であり、辛抱の必要な難しい役どころであると想像する。

 本作は晩夏のころから秋を過ぎ、年が明けた冬までの物語である。ひとり残された夫が慎ましい夕飯をとりながら、ふと表を見て、思わず「雪が降ってきたぞ」と妻に呼びかける。普通の劇場ならここで問題なく雪を舞い散らすことが可能であるが、さすがにしあんではできない。カーテンの閉まった外に少し明るい照明が当たる様子は、リアルな冬景色というより、夫もまた別の世界の人になってしまったかのような夢幻的な空間を作り上げ、雪を降らせる以上の寒々とした寂寥感を醸し出すことに成功したのである。

 何度も観劇して、よくわかっている作品と思っていたが、これは大変な思い上がりであった。古びることのない瑞々しさに触れて、良き夜となった。

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