因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『犬顔家の一族の陰謀~金田真一耕助之介の事件です。ノート』

2007-09-11 | 舞台
*劇団☆新感線2007夏休みチャンピオン祭り いのうえひでのり作・演出 公式サイトはこちら 池袋 サンシャイン劇場 公演は9日で終了
 映画『犬神家の一族』をベースに、ブロードウェイミュージカルや大ヒット曲『千の風になって』など、いろいろな作品のパロディ場面が次々に出てくる、文字通りお祭り騒ぎのような舞台である。古田新太、橋本じゅんをはじめとする劇団員に加え、客演陣は池田成志、木野花、勝地涼、主役には宮藤官九郎という豪華版。たくさん笑って残暑疲れを吹き飛ばそうと思ったが、いや、予想より盛り上がれず。

 パロディのおもしろさとは何だろう。今が旬のものを盛り込むことと、再演に堪えうることは両立しないのだろうか・・・ということを考えた。パロディが成功するのは、本家本元の作品をいろいろな角度から研究し、その魅力や特色を的確に把握し、そこから独自の切り口で新しい表現ができたときだろう。本家に敬意を払いつつも、「自分たちは、もっとおもしろいものを作る」という気合いが、みるものを楽しませるのである。

 今回の舞台は残念ながらそこまでの迫力は感じられなかった。悪く言えば小ネタやギャグの連続で、物語を貫く芯が弱かったのではないか?『犬神家の一族』の主役は金田一耕助である。しかし考えてみると、彼自身は地味でノーマルだ。言い換えると事件に関わる当事者たちがあまりに濃厚で、事件は猟奇的でおどろおどろしい。金田一は主役でありながら彼自身が事件を巻き起こすわけではなく、「事件とそれに関わる人々の引き立て役」とでも言うような立ち位置の難しい役どころなのだ。それが舞台になった場合、特に新感線のように主役は勿論出演者のほぼ全員に何かしらの見せ場を持たせる作風であると、その難しさはさらにやっかいになる。

 2003年末に北九州劇術劇場でみた『レッツゴー!忍法帖』のチラシに、「劇団が総力をあげて適当に作る」と書いてあったことを思い出す。「ここまでやるか」という気持ちが、「よくぞここまで」に変化していくおもしろさが堪能できた。茶化したり悪ふざけではない、いい年の大人たちが舞台でここまで本気で徹底的に遊んでいる。それを1万円近いお金を出してみにくる、これまたいい年の大人たち(自分のことです)。これでいいのか、演劇の社会的役割とは何か?などと考えるのは別の機会にして、やはり新感線では、これ以上ないというほどたっぷりと楽しませてほしいのである。

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