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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

オペラシアターこんにゃく座 『森は生きている』

2020-12-22 | 舞台
*サムイル・マルシャーク原作(湯浅芳子訳による)林光台本・作曲 大石哲史演出 公式サイトはこちら 川崎市/多摩市民館大ホール 12月22日15時、19時上演(1,2,3,4,5,6,7,8
「こどもからおとなまで楽しめる こんにゃく座の代表作 満を持しての地元・川崎市多摩区公演!」公演チラシ記載の通り、川崎市の企業や社団法人、教育委員会、文化財団、商栄会など、さまざまな協力や後援に支えられて上演が実現した。

 全席自由席。家族連れの観客が多いことを考慮してか、家族など同道者同士は隣り合っていてもOKらしい。ただし別グループとはあいだを空けて着席するような流れだ。多摩区総合庁舎の中にある、客席数およそ900の大変立派なホールだけに、あいだの空いた客席が残念だ…という上演前の懸念は、オープニングで消し飛んだ。テーマ曲の「森は生きている」のコーラスが、まだ昼間のあれこれを心身に抱えた観客の懸念や雑念をあっという間に吹き飛ばし、劇世界へ導く。

 本作最近の観劇は、2012年9月俳優座劇場での上演だが、そのときとほとんど印象が変わらないことに驚く。前述のようにテーマ曲が歌われた瞬間、大好きな友だち、懐かしい知り合いに再会したかのような温かな気持ちに包まれること、すぐに耳に馴染んで覚えやすい曲は、実は非常に難曲ぞろいであること、ピアノ版、オーケストラ版、外部から演出家を招くこと、配役の刷新など、その都度変化はあっても、作品の根幹がまったく揺るぎないこと。オープニングとラストに素の歌役者が登場することの意味…。世界中が病理に苦しめられ、演劇界も多大な影響を受けざるを得なかった。いまだ終息の出口は見えない。これほど状況が激変しても、ここには変わらない、いや、いよいよ力強く瑞々しい劇世界がある。

 休憩を挟んで2時間20分の舞台を支え、盛り上げるのはピアニストの大坪夕美である。こんにゃく座の歌役者であった金子左千夫のコンサート(1,2,3,4)において、100をゆうに超える全曲の伴奏を勤めた方で、こんにゃく座での演奏を拝見するのはこれが初めてになった。本作はスケールが大きく、起伏の激しい作品であり、単なる伴奏ではなく、打楽器の迫力、弦楽器の繊細な音色、軽やかな木管楽器など、オーケストラをひとりで担うくらいの力量が必要とされるだろう。大役である。それを気負いなく自然に、しかし堂々と、それも全曲を暗譜である。プロの演奏家なら当然のことかもしれないが、やはり素人からすれば驚嘆と尊敬に値する。

 さて本作の登場するのは12人、1年のそれぞれの月の数である。それが森の動物や、わがままな女王、翻弄される博士や女官、兵士、むすめとおっかさん、姉むすめなど複数役を兼ねる。衣裳もとっかえひっかえ、どの歌役者が何を兼ねているのか、すぐにはわからないくらい目まぐるしく、演技も実に達者である。この複数役の作りは、演出の手腕や歌役者の見せどころ、作り手側の事情というより、『森は生きている』という作品の必然性ではないだろうか。

 健気なむすめに対し、おっかさんとその連れ子の姉むすめは強欲で意地悪であるし、女王のわがままは目に余る。単純に言うと「悪役」である。だが彼女たちもそれぞれ月の精を演じている。表の役が強烈なだけに、裏の役での見せ場はあまりなく、実にノーマルだ。単なる複数役の演じ継ぎというより、おっかさんと姉むすめ、女王の別の顔だと捉えてみた。自分に嫌な振る舞いをするような迷惑な人であっても、それが全てではないかもしれないよ…ということを暗に示しているようにも思われるのである。

 「新しい日常」や「withコロナ」では到底乗り越えられそうにないパンデミックの現状において、『森は生きている』が描く自然と人間との喜ばしい共生のすがたを、わたしたちはどう受け止めればよいのか。『森は生きている』の変わらない劇世界との再会とともに、大いなる課題もまた与えられた。重苦しいが、やはり喜びとしたい。2012年から続いてきた大石哲史演出版は今夜の上演が最終公演となる由。2021年は気鋭の若手演出家・眞鍋卓嗣によるオーケストラ版のお目見得となる。
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