因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

唐組第59回公演『ビンローの封印』

2017-05-27 | 舞台

*唐十郎作 久保井研+唐十郎演出 公式サイトはこちら1,2,3,4
 4月に大阪は南天満公園で初日を開け、新宿・花園神社から雑司ヶ谷・鬼子母神へ。再び花園に戻ったのちは、長野市城山公園・ふれあい広場、山梨は甲府市歴史公園・山手御門前で千穐楽となる。毎年のことながら、唐組の春公演は大ツアーだ。

 本作の初演は1992年。実に四半世紀前である。台湾は台北の林海公園で幕を開け、大盛況を博した。その勢いで日本で凱旋公演を行ったが不入りに泣かされたという。その作品を、まさに題名と同じく封印を解いて再演する理由については、エンタメ特化型メディア「SPICE」4月14日号に掲載された久保井研のインタヴューに詳しい。また唐十郎の代表的著作のひとつである「特権的肉体論」には、台北公演の一部始終が活写され、戯曲が併録された「桃太郎の母」のあとがきには、演劇評論家の長谷部浩が「海の化石」と題して、1992年から1993年における唐十郎と唐組の「演劇的収穫期」の豊かな訪れを期待を込めて記している。

 靖国通りや明治通りを走る救急車のサイレンはじめ、街の喧騒が遠慮なく飛び込んでくる花園神社での舞台は、観客をネオンやデパートやコンビニなどの日常から力づくで劇世界へ引きずり込む勢いがある。雑司ヶ谷の鬼子母神は、地下鉄の駅からの道にも境内にも人は少なく、深い森の中へ迷い込む感覚だ。それが夕闇が濃くなるにつれて少しずつ人が増えてゆき、劇団員の一声「大変お待たせいたしました!」が響いて客入れとなる。この瞬間はいつものことながらぞくぞくする。

 周辺が静かなこともあって台詞の一つひとつが粒だち、テント内の空気も、盛り上がるというより、強い集中力を保ちながら静かに高揚するといった感じであろうか。長年唐組の舞台を見続けている知己が、「唐組を見るなら、鬼子母神と決めている」と言うのも頷ける。その一方で、シアターコクーンという大劇場での蜷川幸雄演出の唐作品の舞台にも別の魅力があり、入れ物や場所を選ばず、どんな条件であっても柔軟に変容し、その場に応じた魅力を発揮する可能性を持つことがわかる。

 戯曲の構造や人物の相関関係、物語の流れを理解し、把握するのは今回も困難であったが、目を見張ったのは若手俳優の変化であった。前回公演に比べて出番も台詞も格段に増えていたり、客入れの際、堂々たる声量と、ほとんど貫禄に近いホスピタリティで客席誘導をし、舞台の立ち姿も地にしっかり足がつき、ただ声を張り上げるのではなく、台詞が自分の腹にきちんと入っていることが感じられたり等、嬉しい発見がいくつもあった。

 劇団を継続するのは、こちらが想像するよりもはるかに困難であるだろう。しかしながら前述の久保井のインタヴューには、今年入団の新人4人全員が「劇団だから(唐組を)選んだ」とある。個人ユニットやプロデュース公演があまたある中で、行く先々でテントを張り、劇団員が寝食を共にするという昔ながらの流儀を貫いている唐組。収穫の前には入念に土を掘り起こし、慎重に種を植え、辛抱強く世話をしなければならない。劇団が再び豊かな収穫期に向かう途上を、あたかもテントの桟敷席から伴走する喜びを予感した一夜であった。

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